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【ライターコラムfrom広島】塩谷司、アル・アイン移籍の真相…“広島愛”に溢れた大人の決断

2017.06.15

アル・アインへの移籍が決まった塩谷司 [写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 塩谷司のアル・アイン(UAE)移籍がサンフレッチェ広島、アル・アイン両クラブから発表された。

 ここでサッカー界の移籍について、少し触れておきたい。


 プロ野球と違ってサッカー界は世界的に人材が流動的だ。その流れが急速になったのは、やはり「ボスマン判決」以降だろう。

 1995年、ジョン・マルク・ボスマン(ベルギー)が契約終了後も所有権を主張した所属クラブを相手どってベルギー国内の裁判に訴え勝訴。さらにUEFAを相手どっての欧州司法裁判所での裁判でも勝利。契約終了後もクラブが保持していた選手の「所有権」が否定され、EU圏内の選手が外国籍選手扱いできなくなった。この欧州の流れが日本にも大きな影響を及ぼすのは、サッカーが世界的なスポーツであることを考えれば当然だろう。

 2009年、Jリーグはそれまでローカルルールとして設定していた「移籍金制度」を撤廃し、欧州と同じシステムとなった。2005年、鹿島の主力だった中田浩二が契約満了をもってマルセイユ(フランス)に移籍金ゼロ円で移籍してしまったことを端緒にJリーグから海外への「ゼロ円移籍」が頻発。欧州と日本の移籍形態に差異があると様々な矛盾が起きてしまうからだ。

 それまでの「移籍金制度」は年齢が低くなればなるほど移籍金が高くなるという仕組みで、実績が高いベテランよりも経験のない若い選手の方が莫大な獲得資金が必要という矛盾をはらんでいた。だが一方で「潤沢な移籍金が獲得できないと育成への再投資ができないし、選手のクラブへの帰属意識が希薄になる」と発言したJクラブ関係者もいた。Jリーグから足が遠のく要因として「選手が変わりすぎる」という意見を少なくないサポーターから聞いたこともある。

 広島はクラブ規模からしても、選手に潤沢な年俸を用意できるわけではない。一方で「育成」をコンセプトとしているせいか、若い選手の成長をサポートできる伝統も持つ。たとえば森保一や路木龍次、柳本啓成や久保竜彦といった草創期を支えたレジェンドたちは、プロ入り前はいずれも無名。それが広島で成長して日本代表となり、才能の花を開かせて、他クラブからのオファーを受けて移籍した。もっとも、クラブの経営危機やJ2降格といった状況も無縁ではなかったが。

 21世紀に入っても、広島ユースから日本代表に育った駒野友一・高萩洋次郎・森脇良太・槙野智章・柏木陽介といった選手たちも、クラブを巣立った。高校時代から才能に注目されていた浅野拓磨も広島で磨かれて成長し、欧州へと飛び立った。移籍先で彼らは活躍しているわけで、それはそれで育成としては成功。もちろん、「ずっと広島にくれていれば」と考えないことはないが、浦和レッズやFC東京とはクラブ規模も事情も違う。

柏木陽介 槙野智章

広島時代の柏木陽介(左)、槙野智章(右) [写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 そして、塩谷司である。水戸ホーリーホックで注目され、広島で一気にブレイク。優勝に貢献し、日本代表やJリーグベストイレブンにも選出された。彼自身も気づいていなかった特別な攻撃的なセンスも、広島で引き出されたと言っていい。

 クラブへの愛着はある。2014年オフに5年契約を結び、2016年オフにもう1度、5年契約を結びなおした。ともに、塩谷自身が言い出したことで、広島を愛していなければできることではない。

 一方で彼はこんな言葉も残している。2015年初頭、彼に5年契約を締結した真意を聞いた時のことだ。

「2014年のアジアカップで僕は(フィールドプレーヤーでは)唯一、試合出場機会がなかった。(このままJリーグでやっても代表では)難しいのではないかとも考えた。海外でプレーしたいという気持ちは、ゼロではない。

 広島にはすごくお世話になっている。だからこそ感謝の気持ちを何らかの形で表現したかった。5年契約を結べば、クラブは僕の違約金をそれなりの金額に設定できる。もし移籍することになったとしても、お金をクラブに残したい」

 昨年のリオデジャネイロ五輪・対ナイジェリア戦で生涯でも最悪レベルの「屈辱」を経験した時、これまでの自分に対する「甘さ」を感じたという。だからこそ、練習での2時間から1分たりとも集中を切らさないようにやろうと決意していた。そうすることで、広島で成長できればいいと思っていた。

塩谷司

リオ五輪では失意を味わった [写真]=FIFA/FIFA via Getty Images

 だが意気込みとは裏腹に、集中力を継続させることは今季、できていない。失点に何度も絡み、ゴール前でマークを外した。どうすればいいのかわからなくなり、頭がパンクしそうにもなった。いつしか彼は、記者たちに口を開かなくなる。雑談には応じるし笑顔を見せるが、サッカーのことになるとしゃべらない。それは、リーグ2勝目をあげたヴァンフォーレ甲府戦の試合後まで続いた。敗戦を自分の責任だと受け止め過ぎていることは明らかだった。

 五輪から戻ってきた後、実力が十分に発揮されていたとは言えない。「試合でも練習でも集中を切らさない」と決意したはずなのに、それがピッチで表現できなかった。コンディションの問題ではないし、戦術の課題でもない。ピッチ外で何らかの問題を抱えているのではとも推察した。もし、この海外移籍問題が(移籍先のクラブはアル・アインでなかったとしても)彼の中でずっと尾を引いており、メンタルに影響を与えていたとすれば、今季の「不調」も合点がゆく。

 広島の立場に立てば残留を争っている現状で戦力的には痛い。しかし、設定どおり(あるいはそれ以上の)違約金を提示され、塩谷自身が「移籍する」と決断してしまえば、移籍を止める根拠を失う。契約を盾にとり、交渉にも応じないという手もあるが、それでは塩谷司というサッカー選手の未来を奪う。それはクラブにとっても得策ではないのだ。塩谷が移籍を決意した以上、見送るしかない。

 鹿島アントラーズ戦の前にオファーが届いた時、森保一監督は塩谷から相談を受け、こう語ったという。

「チームにお前は必要なんだ。今は苦境にあるが、一緒に闘ってほしい。一緒に乗り越えて、広島で成長してほしい」

 また、足立修強化部長も「次のチームリーダー。広島で歴史をつくってほしい」と訴えた。塩谷が尊敬している先輩・森崎和幸も塩谷の将来とチームのことを考え、強く慰留した。一時は翻意もあるかと思われたほど、彼は悩んだという。だが結局、思い出深い広島を離れ、アラブの地に闘いの場を移すことを彼は選択した。

「DFの補強? もちろん。塩谷に代わって活躍できる選手を獲得しないといけない」

 足立強化部長の言葉ではあるが、彼に代わるほどの選手を見つけるのは、非常に難しい。強さ、逞しさ、圧倒的とさえ言える攻撃力。たくさんの夢と希望と3度の優勝、そして移籍金をもたらしてくれた塩谷司を送り出す。もちろん、寂しい。だが、プロとして、大人としての判断を下した若者を、敬意を以て、送り出したい。

文=紫熊俱楽部 中野和也

塩谷司

広島を離れ、新たな環境で挑戦することを決断した塩谷司 [写真]=J.LEAGUE PHOTOS

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