2017.05.26

【ライターコラムfrom広島】死線をさまよった男・水本裕貴 努力と決意と献身の成果となった350試合出場

水本裕貴
甲府戦でJ1出場350試合を達成した水本 ©J.LEAGUE PHOTOS
サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン「紫熊倶楽部」編集長

「この記録って、そんなに凄いんですかね?」

 水本裕貴が苦笑いを浮かべながら言葉をつなぐ。

 彼がそう感じるのも、無理はない。過去、J1で46人の選手が達成した記録でもあるし、「600試合を達成した偉大な先輩もいるから。まだまだ、ここからです」。31歳、脂が乗っている年齢のDFがそういうのも無理はない。

 ただ、J1通算350試合出場という実績に対し、水本の家族はおそらく、特別な気持ちを抱いているはずだろう。2011年5月7日、彼は死線をさまよっていた。「生きてくれるだけで、それでいいから」。父・昌克さんの思いは、家族の願いだった。

 この日、水本はエディオンスタジアム広島でヴァンフォーレ甲府との戦いに臨んでいた。前半8分、森崎浩司のCKを叩き込もうと水本は飛び競り合ったDFと激突。その時、ヒジが水本のこめかみに衝突した。もちろん、故意ではない。事故だった。あまりにも不運な。

水本裕貴

2011年の甲府戦、ピッチに横たわる水本 ©J.LEAGUE PHOTOS

 過去、経験したことのない激痛。だが、意識ははっきりしていた。「行けます」。ドクターには答えた。時間が経てば頭痛もおさまるとも思っていた。

 だが、状態は良くならず、吐き気まで襲ってくる。それでも、彼はピッチに立ち続けた。この試合、すでに負傷のために青山敏弘、中島浩司と二人が交代。もう広島には交代枠は1枚しかない。ここで自分が交代を申し出るわけにはいかない。

 ハーフタイムを過ぎても、吐き気は止まらなかった。ここからの記憶が、彼にはほとんどない。闘争本能だけでボールを追い、相手に身体をぶつけた。だが50分、我慢が限界に達した水本はそばにいた森崎和幸に「もうダメです」と告げた。56分、もはや立っていることすら奇跡のような状況で、ピッチを後にする。

水本裕貴

甲府戦、自身の状況を森崎に訴えかける水本 ©J.LEAGUE PHOTOS

 救急車が呼ばれ、水本はドレッシングルームから病院に直行。すぐに検査が行われ、緊急手術。診断は「頭蓋骨骨折及び急性硬膜外血腫」。ヒジが激突した衝撃で頭蓋骨が折れて出血し、血腫が形成された。このまま放置しておけば脳ヘルニアとなり死に至る可能性が高い。手術は一刻を争った。

「俺、死ぬかもしれん」
 朦朧とする意識の中で、水本はうめいた。

「俺には家族がおる。まだ死ねん。死にたくない。生きたいんや」
 側で泣いてる愛妻に、心配をかけたくないと笑顔を向けた。

「大丈夫やから。何を泣いとるんよ」
 手術準備室に入り、家族とは離れた。その瞬間、男は何度も何度も、嘔吐した。その嘔吐がおさまった時、覚悟が決まった。

 26針も頭を縫う大手術。成功し、生還した水本に対して、医師は後にこんなことを告げた。

「最後までプレーしていたら、あなたの生命はなかった」

 血腫は硬膜の内側にあるクモ膜まで達しようとしていた。もしそうなっていれば、生命を維持することは難しく、もし助かったとしても後遺症に苦しむ確率は高い。

「本当に奇跡ですよ。生命も助かり、後遺症もほとんど残らないわけですから」

 その言葉を聞きながら、彼は自分が「幸運だ」と思ったという。そして、決意を固めた。

「サッカーを続ける」

 手術直後、駆けつけた父と母に向かって「サッカーはもうできない。やれば死ぬ。嫁や子どもを悲しませてしまう」とぼんやりとした意識の中で何度も口にしたその言葉は悲痛。だが、ドクターの言葉を聞いて、もう1度ピッチに立てるのではないか、と希望を持ち始めた。

 だが、一方で「本当にやれるのか」という不安も広がる。チェコ代表GKのペトル・チェフが頭蓋骨陥没骨折という重傷から復帰した事実は知っていた。だが、水本はDF。ヘディングでの競り合いは重要かつ基本的な仕事である。それが果たして、自分にもう1度、できるのか。

 複雑な思いの中で過ごした1週間後、病室のテレビで広島を応援していた彼に、驚くべき光景が飛びこんできた。

「広島の男・水本裕貴、この場所で君の帰りを待つ」
「水本と共に」
 サポーターの愛情がこもった横断幕。
 白い手旗による「4」の人文字。

水本が負傷した試合の1週間後、横浜FM戦で掲げられた横断幕 ©J.LEAGUE PHOTOS

 横断幕にビッシリとサポーターのメッセージが書かれていたこともテレビでは伝えられた。そして3-2で横浜F・マリノスを破った後、佐藤寿人(現名古屋グランパス)、森崎浩司、ミキッチ、西川周作(現浦和レッズ)ら選手たちが「4」の旗を掲げ、西川が「水本ッ、水本ッ」とスタンドに向かって声を張り上げる。そしてそれが、サポーターに広がった。

 この光景がどこまで水本に伝わったかはわからない。だが、テレビから流れてくる限定的な情報だけで、胸が熱くなった。涙が止まらなくなった。

「俺、もう1度、サッカーがやりたい。ピッチに立ちたい」

 水本がJ1の舞台に戻ってきたのは2011年8月20日の対鹿島アントラーズ戦。以降、2015年11月7日のガンバ大阪戦で右眼窩底骨折の重傷を負い67分で交代するまで、127試合連続フルタイム出場記録を樹立した。この記録は今年、阿部勇樹(浦和)に破られてしまったが、ヘディングの恐怖に打ち克って堅守を実現し、広島をリーグ優勝に導いた彼の偉業は少しも色あせない。あの大事故前の173試合とその後の177試合では、意味合いが全く違うのだ。

水本裕貴

戦列に復帰した鹿島戦でも気迫のこもったプレーを見せた水本 ©J.LEAGUE PHOTOS

 水本裕貴が通算350試合出場を果たし、自らのゴールで祝砲をあげたのは今年5月20日。そして2011年5月20日は、彼が退院した日であり、受傷後初めてエディオンスタジアム広島に足を運んでミハイロ・ペトロヴィッチ監督(当時・現浦和)や選手たちに無事な姿を見せた日でもある。記録達成が甲府戦だったことも含め、人生の不思議さを感じざるをえない。ただ、日付の符合は偶然でも、水本裕貴の業績は必然である。努力と決意と献身がもたらした、彼と彼を支えた家族の成果なのである。

文=紫熊倶楽部 中野和也

水本裕貴

甲府戦で決勝点を挙げ、仲間から祝福された水本 ©J.LEAGUE PHOTOS

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