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【コラム】湘南はなぜ生え抜きが育つのか? エース離脱の危機を18歳抜擢で乗り越えた「育成クラブの底力」

2017.04.10

首位の東京V戦で先発出場してJデビュー飾った石原 [写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 戦況のほとんどをベンチ前のテクニカルエリアで見守り、間断なく降り続いた雨に打たれながら、湘南ベルマーレの曹貴裁(チョウ・キジェ)監督は幾度となく6年前の記憶を蘇らせていた。

 2011年3月7日。ファジアーノ岡山を平塚競技場(現Shonan BMWスタジアム平塚)に迎えたJ2開幕戦。76分から途中出場してJリーグでデビューを果たしたルーキーの高山薫と、目の前で攻守に奮闘している18歳の石原広教(ひろかず)の姿がダブって見える。


「前に行くことしか考えていない。まだまだ下手くそで、それでも勇敢という意味では(高山)薫もそういう選手だった。薫が初めてピッチに立った時と、本当にそっくりだと思って」

 前節終了時で首位に立っていた5連勝中の東京ヴェルディのホーム、駒沢陸上競技場に乗り込んだ9日の明治安田生命J2リーグ第7節。3‐2の逆転勝利をもぎ取り、名古屋グランパスに次ぐ2位に浮上した曹監督は、6年目を迎えた指揮官のキャリアの中で初めて、十代の選手3人を先発でピッチに送り出した。

 青森山田高校から加入して2年目のMF神谷優太、市立船橋高校卒のルーキー杉岡大暉、そして湘南ベルマーレユースから昇格したばかりの石原。特に石原は初めてベンチ入りを勝ち取った東京V戦が、Jリーガーとしてのデビュー戦でもあった。

 小学生年代のジュニアから湘南一筋で育ってきた石原は、今までは応援する立場で口ずさんできたサポーターによる応援歌をウォーミングアップ中に聞きながら、闘志がさらに高ぶったと屈託なく笑う。

「小さな頃から聞いてきた応援歌を目標としてきた舞台で聞けるのは、めちゃくちゃ気持ちがよかった。よし、やってやろうと思いました」

 今シーズンと同じく、2011シーズンもJ2の舞台で再出発を余儀なくされていた。当時はコーチとして反町康治監督(現松本山雅FC監督)を支えていた曹監督にとって、高山は川崎フロンターレU‐15監督時代にも熱血指導した愛弟子でもあった。

 湘南で再会を果たし、恩師のもとで心技体のすべてで成長し、昨シーズンからキャプテンを託された高山はしかし、ピッチの上にいない。3月25日のジェフユナイテッド千葉戦で右ひざ前十字じん帯を損傷。全治8カ月と診断され、4日に手術を受けていた。

 高山が離脱したショックからか。2日のカマタマーレ讃岐戦で初黒星を喫した。開始早々にミス絡みで失点し、精神的な動揺に拍車がかかった中でさらに2点を追加され、攻撃陣も不発に終わった。

エースの高山離脱の危機に曹監督が考えたこと

曹監督は若手の抜擢について、育んできた「湘南スタイル」を進化及び深化させるためだったと明かす [写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 曹監督は実績にとらわれることなく、表情を含めた選手たちのすべての立ち居振る舞いを見て先発を決める。建て直しを期す東京V戦で神谷、杉岡、そして石原を起用した理由は、育んできた“湘南スタイル”を進化及び深化させるためだったと明かす。

「プレッシャーのかかるこの試合で彼らを使ったことで、もし負けたとしても僕の中で後悔はなかった。今まであったものだけにしがみついて、遺産でサッカーをやるよりは、新しいものを創り出しながら、今まで良かったものの上に積み上げるのが湘南のスタイルだと思っているので」

 そして、「アイツのことを一度も褒めたことがない」と苦笑いしながら、高山が主戦場としてきた左ワイドで石原を先発させた意図を説明する。

「石原と(齊藤)未月は湘南のアカデミーのジュニアにおける最後の選手。小学生からウチにいる点で、湘南の選手として何をしなければいけないかは、他の選手よりも確実に分かっているので」

 ホームタウン全域で開催しているサッカースクールと、そこから選抜されたスーパークラスにより注力していく形で、湘南ベルマーレジュニアの活動が終了したのが2011年3月。最後に卒業した子どもたちの中に石原と、昨年5月にプロ契約を結び、東京V戦で66分から途中出場した齊藤がいた。指揮官が続ける。

「チャンスはつかむものという言葉があるけど、与えるものでもあると僕は思う。与えられたチャンスで普段の生き様が見えることが、その子にとってすごく大事なこと。然るべき時期にチャンスを与えていかないと、まかれた種が花を咲かせないままくすんでいく。もちろん僕から一方的に与えるものではなく、彼らが積んできた努力など、すべて良い方向につながればといつも考えている」

 結果に対する責任はすべて監督が取る。常に頼れる、大きな背中で引っ張ってくれる曹監督から、初先発を告げられたのは東京V戦の前夜。不思議と緊張はなかった。直後に高山からLINEで激励のメッセージが届いた。石原の中で覚悟は決まった。

「薫君以上のプレーはもちろんできないけど、とにかく自分のストロングポイントを前面に押し出そうと。対面の選手に走り負けないこと。1対1の局面で負けないこと。対面は高木大輔選手でしたけど、走り負けなかったと思います。技術的な面では全然ダメでしたけど」

 無我夢中でプレーした77分間を振り返った石原は、キックオフ前に曹監督からこう耳打ちされたと明かす。

「初めてなので絶対に上手くいかないこともあるけど、それに負けて自分のやるべきことだけは変えるなと言われました。今日に満足せず、これからも当たり前のように試合に出られるように、自分が湘南を強くするくらいの気持ちで毎日の練習に取り組んでいきたい」

 169センチ、63キロの石原は「自分はファイターなんです」と自負してきた。まさに生き様を反映させたデビュー戦を、涙腺が弱い曹監督は声を少し上ずらせながら称えている。

「プレーはまだまだお粗末だけど、今日の気持ちでやれば良い選手になっていくと僕は確信している」

 縦に速く紡ぐプレースタイルだけが“湘南スタイル”ではない。アカデミーから一貫してビジョンを共有し、地元の子どもたちを丹念に育て上げることもまた「縦に紡ぐ」ことになる。高山の長期離脱というピンチを地道に積み重ねてきた歴史で補った湘南が、勢いを再び加速させる体勢を整えた。

文=藤江直人

By 藤江直人

スポーツ報道を主戦場とするノンフィクションライター。

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