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【コラム】“集大成”の一戦で痛恨ミス、V逸…槙野智章、悔しさを胸に再起へ

2016.12.06

攻撃参加をする槙野智章(中央)。自らが与えたPKが鹿島の決勝点となり、優勝を逃した [写真]=Getty Images

 時間にして2分ぐらいだっただろうか。

 いつもは相手の目を見てうなずきながら、時間の許す限り丁寧に取材に応じる浦和レッズDF槙野智章が、普段よりも早口で質問に答えて4回程度のやり取りを済ませると、「じゃあ」と言って足早にミックスゾーンから立ち去った。


 槙野がショックを隠せないのも、無理のないことだった。鹿島アントラーズとの2016明治安田生命Jリーグチャンピオンシップ決勝第2戦、年間優勝に向けて邁進してきたチームの努力を台無しにしたとも言える痛恨のミスを犯してしまったのだ。

 1―1で迎えた79分、鹿島DF山本脩斗のパスが槙野の背後にいたFW鈴木優磨へと渡ってドリブルで抜け出されてしまった。懸命に追走した槙野がペナルティエリア内で鈴木を後ろから倒してしまい、PKの判定が下る。決して悪質なものではなく、思わず押し倒してしまったような形だったが、ファウルであることに違いはない。それは槙野自身が一番よく分かっていたはずだ。待ち構えながら鈴木との間合いを詰めていたGK西川周作だけでなく、槙野自身もレフェリーの判定に対して全く抗議をすることはなかった。

槙野智章

鹿島の決勝点となるPKを与えてしまった [写真]=Getty Images

 FW金崎夢生の蹴ったPKが西川の守るゴール左隅に突き刺さる。結果としてこれが決勝ゴールとなり、浦和は10年ぶりとなるJ1王者の座をつかみ損ねてしまった。おそらく槙野にとって何より悔やまれるのは、そのゴールが相手FWに見事にかわされて決められたものではなく、軽率なファウルで与えたPKによるものだということだろう。

 ファウルをしない――。それがこの2年、槙野が大事にしてきた身上だからだ。

 今年10月にYBCルヴァンカップを制し、リーグ戦ではセカンドステージで優勝。さらに年間順位1位の座を勝ち取り、満を持して臨んだ今回のチャンピオンシップこそが、槙野にとってこの2年間の取り組みが結実する場となるはずだった。

 かつて自身のことを「ディフェンシブ・フォワード」と称し、「世界のDFで3本の指に入るくらいシュート練習をしている」とうそぶいていた男に変化が訪れたのは、2年前のことだ。

 これまで浦和は2012年に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下で攻撃的で美しいサッカーを追求してきた。同時期に浦和に加入した槙野も、サンフレッチェ広島時代の恩師に導かれ、攻撃参加が許されるストッパーのポジションを謳歌してきた。攻撃のオートマティズムは試合を追うごとに磨きが掛かっていく。だが、2012年はJ1リーグ3位、2013年はヤマザキナビスコカップ準優勝、2014年はJ1リーグ2位、そして昨年はJリーグチャンピオンシップ準決勝敗退に天皇杯準優勝と、あと一歩のところでタイトルを逃してきた。

 その原因に守備の脆さからくる勝負弱さを見いだしたチームは、昨季からプレッシングに磨きを掛け、今季は相手の対策や手堅いゲーム運びも重視するようになる。攻撃的なプレーが身上だった槙野も、攻撃参加を自重するようになっていった。

 槙野に変化を促したもう一つのきっかけが、日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督との出会いだった。

 代表監督就任から約2カ月後の2015年5月、代表合宿中に指揮官から呼び出された槙野は、そこで20個近くのダメ出しを突きつけられる。そのほとんどが守備に関することで、映像で何度も繰り返して見せられ、ミスを指摘された。さらにハリルホジッチ監督は険しい表情で、槙野にこう告げた。

「Jリーグでは、お前は70パーセントくらいの力でプレーできてしまうし、ミスしても失点にはつながらない。でも、その一つのミスを、私は許さない」

 代表監督にそこまで檄を飛ばされ、奮起しない選手はいないだろう。多数のダメ出しは、そのまま自身の伸びしろでもある。槙野はすぐに弱点克服に取り組んだ。中でも強く意識したのが、次の3つだった。

・ファウルをしないこと
・前に出てボールを奪うこと
・ドリブルではなくパスで3、4人を置き去りにすること

 意識は、そして彼のプレーは確実に変わりつつあった。

 2015年8月、ホームの湘南ベルマーレ戦では、スルーパスに抜け出した相手FW高山薫を追走し、ノーファウルでボールを奪い取った瞬間には、まるでゴールを決めた直後のようにガッツポーズを繰り出した。

「20の課題なんて1、2試合じゃ変わらないんですよ。でも、意識し続ければ変わってくる。今ではたった一度のファウルですら『やっちゃった』って思えますから」

 弱点を克服しつつある槙野に対するハリルホジッチ監督の信頼も増していく。UAE代表、タイ代表と対戦した9月のFIFAロシア・ワールドカップ・アジア最終予選で槙野の負傷離脱が決まると、指揮官は「起用するつもりだったから残念だ」と言って嘆き、10月のアウェイのオーストラリア代表戦では左サイドバックとして槙野を送り出した。歴戦の指揮官からしても、成長の跡がしっかりと見て取れたのだろう。

 守備面が安定するにつれ、浦和の勝負強さは増していった。年間1位を手にした今季はリーグ戦34試合で28失点。これはリーグ最少の数字だ。チームとしても個人としてもしっかりと結果を残し、DFとしての進化を見せつける一つの舞台が、今回のチャンピオンシップだった。実際、鹿島攻撃陣をシャットアウトして1-0と勝利した第1戦後、槙野はこう手応えを語っている。

「以前は攻撃参加を持ち味としてやっていましたけど、今は守備に重きを置いてプレーしています。守備でも自分の持ち味が存分に出せるようになったのが今日の試合にもつながっているし、恥ずかしながらゴールを取る喜びより、ゼロに抑える喜び、相手のキーマンを抑える喜びを新しく感じている。そんな進化をしたDFの槙野です。昔は4-3でも勝てばいいと思っていましたけど、今は1-0でゼロに抑えた喜びを感じています」

 個人としてもチームとしても、一つの集大成とするべきゲームとなった第2戦。リーグ優勝までアディショナルタイムを含めて約15分と迫ったところで痛恨のミスを犯してしまった。槙野が自責の念にかられていることは、想像に難くない。立ち直るのは簡単なことではないかもしれない。だが、一日一日積み上げてきた努力がこれですべて失われるわけではない。逆境に強い男の真骨頂が問われるのはここからだ。

 このミスと真摯に向き合い、このミスを糧にすることができたなら、「あのミスがあったから今の自分がある」と言える日が来るはず。来春にはロシア行きの切符を懸けたワールドカップ アジア最終予選の後半戦がスタートする。年間1ステージ制に戻るJ1リーグでも、浦和の一員として再び頂点を目指す戦いが待っている。決して立ち止まっているわけにはいかない。

 試合のキックオフ直前、槙野は自分のポジションに立ち、手のひらを見つめて「頑張る時は、いつも今」とつぶやくことで気持ちを高める。そうやって一歩ずつ進んできた。胸に秘めた悔しさは誰よりも大きいはず。ならば、そこから這い上がるために頑張る時は、まさに今からなのだと思う。

文=飯尾篤史

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