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指揮官・反町康治が取った“男のけじめ”…松本との契約延長に秘められた真意とは

2015.11.13

J1開幕節の名古屋戦に臨んだ松本山雅の反町康治監督

「あくまでも自分の中でのけじめ。責任を取る、ということがどういう形になるのかだ」

 J2降格が決まった後の取材に対してそう語るに留めていた松本山雅FCの反町康治監督が、“契約延長”という形で責任を取ることを決意した。


 J2昇格初年度の2012シーズンから指揮を執る反町監督は、チーム作りは基本的に3年間を一つの節目として考えてきた。来季は自身にとって監督人生をスタートさせたアルビレックス新潟時代以来となる就任5年目のシーズンを迎える。関係筋によると、故郷の清水エスパルスなど他クラブからの打診を断ってまでのことだという。

 実は新潟、その後に率いた湘南ベルマーレも含め、これまで交渉に際して報酬面で条件提示したことは一度もないという。「お金はどうでもいい。全部向こうの言い値。結局はやりがいだ」と話したことがある。松本の監督就任を決めた際も、数人から断られたという旨を大月弘士社長(当時)から聞き、休養しようとしていた意思を翻意。「他が嫌がるならやってやろうと思った。泣きつかれるような感じだったけどね」と明かす。

 松本という「未開の沃野」に新たなやりがいを見い出して臨んだ就任1年目は「今までで一番(仕事を)やった」と振り返るほど力を注ぎ、下馬評を上回る12位につけた。2年目にJ1昇格プレーオフ圏内に手が掛かりそうな7位まで順位を上げると、3年目の昨季は2位に入ってJ1自動昇格まで導いた。だが、初めてJ1を戦った今季は苦戦が続き、体重が6キロ落ちた時期もあったという。昨季まで世界の趨勢を確認するためにほぼ欠かさずチェックしていたヨーロッパサッカーも、今年はほとんど見ていない。「サッカーから離れたくなる時間も欲しかった。負けていると見る気もなくなる」。憔悴した表情でこう話してくれたこともあった。まさに全身全霊をかけてJ1残留を目指してきたことが伝わってくる。

 トップチーム強化に心血を注ぐ反町監督に追随するように、クラブもこの期間に飛躍的な成長を遂げた。グラウンドやクラブハウスなど練習環境の整備はもちろん、テクニカルダイレクター(強化部長)やアカデミーダイレクターを配置するなど人員も年々増加。スクール活動はJ3のAC長野パルセイロが本拠地とする北信地方を除く県内全域に展開し始め、今季はU-12が全国少年サッカー大会への初出場を決めた。「ここが幹となり、地域全体を引っ張っていかなければいけない」。指揮官の言葉からは、長くサッカー後進県と呼ばれてきた長野県に地殻変動を起こしたいという決意ものぞく。

 だが、まだまだ足りない。プロとしての厳しさがクラブに浸透し切っていないのではないか。まだ一人歩きできていないヒナ鳥を置いて去るのは責任放棄ではないか――。指揮官の胸中を察するに、そうした思いが「責任」を取る根拠になったはずだ。まだ自分にやらなければならない仕事がある。そう考えたのだろう。2013シーズンにJ1で戦っていた大分トリニータは、現在J2・J3入れ替え戦圏内に低迷している。J1昇格を期した矢先に歯車が狂ってしまった栃木SCはJ2最下位に沈んでいる。どのクラブも同じような危険をはらんでおり、松本が同じ道をたどらない保証はどこにもない。これまで右肩上がりが続いてきただけに、今回のJ2降格に伴う反動が大きくなることも否定できない。

「お客さんが入っているからそれだけでいいのか、という話。これまでは勢いだけでやってきたが、ちょっと気を抜いてサボれば我々もどうなるかわからない」

 一寸先は闇。長くプロの世界で生き残ってきた指揮官には、その厳しさが十分すぎるほど骨身に染みている。

 だからこそ過去4年間、クラブには歯に衣着せず苦言を呈してきた。自らの求める水準に満たない現場スタッフを入れ替えさせたのは一度や二度ではない。今季の明治安田生命J1リーグ・セカンドステージ第15節サガン鳥栖戦、同時刻キックオフでJ1残留を争っていた新潟の試合経過を「得点が入るたびに知らせるように」とスタッフに指示していたが、試合終了後に「2-4でした」と報告されて憤慨した。細部にこだわるのは、少しでも勝利に近づきたいという気持ちが強いからだ。練習場では遠くまで響き渡る大声でスタッフの不手際を問い詰めたこともあるし、スクールの練習方法に「もっとボールに触らせたほうがいいのに」と呟いたこともある。クラブはJ2参入1年目の2012年に『プロフェッショナルへの変革』をスローガンに掲げたが、まだ指揮官が一人前だと認めるまでにはなっていなかったのだろう。

 それはチームの現場にも当てはまる。追加点のチャンスを再三逃してJ2降格が決まった同16節ヴィッセル神戸戦の直後に行われた11月10日の練習のことだ。これまでルーティン化していたシュート練習の手法を変え、ディフェンスの人間を置いて実戦に近い形式を用いた。「コーチも育てないといけないから黙認していたが、ドリル(形式の練習)は嫌い。選手には『遊びじゃないぞ』と言ってはいたが、やっぱり『遊び』になってしまっていた。それもすべて自分の責任だ」。今振り返れば、ここからさっそく新たなチャレンジを始めていたのかもしれない。

 13日正午にクラブが発表した公式コメントは非常に簡素なものだった。だが、その中でも「来年はより難しいチャレンジになると思います」という文言がひときわ目を引く。クラブにとっても、チームにとっても、地域の指導者にとってさえも、その言葉は当てはまるだろう。厳父・反町の大きな背中に寄りかかるのではなく、クラブを挙げて、街を挙げて、彼が見いだした可能性と期待に応えなければならない。もちろん指揮官にとっても大きな責任を背負ってのチャレンジだ。松本山雅FCと反町康治の新たな挑戦が、ここから再び始まる。

文=大枝令

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