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「3」を背負った田中隼磨の「覚悟」…そして明かされるJ1昇格の「代償」

2014.11.02

ピッチで想いを語る田中隼磨 [写真]=増田泰久

「ナオキが行きたかったところに連れてきてやったよ」

 試合終了のホイッスルが鳴り響いた直後、田中隼磨はユニフォームを脱ぎ、「3 松田直樹」と書かれた白いアンダーシャツ姿でひざまずいて両手で顔を覆った。そして天国で見守ってくれているであろう盟友に、こうJ1昇格を報告したという。


 2011年に松本山雅FCへ加入し、同年8月に練習中の急性心筋梗塞で他界した松田直樹さん。その遺志を受け継いだ松本山雅が11月1日のJ2第39節でアビスパ福岡を破り、来シーズンからのJ1昇格内定を手にした。

 試合当日、田中は松田さんの姉・真紀さんとの電話で「博多の街はマツさんが生まれ育った場所」だと聞いた。そして「きっと天国から、自分が生まれ育った場所でのJ1昇格を見守ってくれていたんだと強く思います」と亡きチームメートの笑顔に思いを馳せた。

 J1昇格の歓喜にむせぶ松本山雅。だが、その舞台裏には大きな使命を背負って緑色のユニフォームに袖を通した男の強い覚悟があった。

 横浜F・マリノス名古屋グランパスでリーグ優勝を含む数々のタイトルを獲得してきた田中が、昨シーズン限りで名古屋を契約満了になった際に選んだ新天地が、故郷でもある松本だった。

 他クラブから好条件のオファーがある中で松本山雅を選んだ理由。それはかつて横浜FMでチームメートだった松田さんが志半ばで諦めざるを得なかったJ1昇格の夢を叶えるため、そして“サッカー不毛の地”とも称された故郷に誕生したプロサッカークラブをJ1の舞台に引き上げるため。自らのサッカー人生を懸けて地元に凱旋し、松田さんが着けていた「3」を背負うことを決意した。

「環境も条件も良くないけれど、自分が求めているのはそこじゃない。『J1に昇格させる』と言って松本に帰って来たし、マツさんもJ1で戦いたかったはず。最初は俺が3番を着けることに賛否両論あったけど、マツさんのお母さんやお姉さんにも相談したら、すごく後押ししてくれた。そういう言葉にも負けたくなかったし、いろいろな思いを背負ってやってきて、ここまでいろいろな戦いがあった。だから何としてもJ1昇格を実現したかった」

 田中にとっては、まさに“悲願”とも言える目標達成。だが、その代償はあまりに大きかった。昇格決定後の記者会見中、反町康治監督は突然こう切り出した。

「残念ながら隼磨は明日からサッカーをすることができない」

 今年5月24日に行われたJ2第15節ジュビロ磐田戦で、田中は右ひざ半月板を損傷していた。本来ならば即手術で全治約3カ月という重傷。治療のためチームを離脱することも検討したが、ここで彼は「昇格が決まるまで試合に出続けたい」という決意を固める。直後に対処していれば夏頃に復帰できた可能性もあった。だが、ドクターやチームスタッフと相談しながら「自宅の階段を上り降りするのも辛い」と語るほどの状態でプレーを続け、何度も病院で右ひざにたまった水を抜き、無数の痛み止め注射を打ち、けがが悪化することを覚悟の上でピッチに立ち続けた。

 練習から常に全力で取り組み続けるプロフェッショナルな姿勢が、昨シーズン最終節で得失点差でプレーオフ進出を逃した松本山雅に与えた影響は大きかった。チームメートの喜山康平が「隼磨くんの加入が一番大きかったかもしれない」と話すように、田中は嫌われ者になることを決して恐れず、必要だと思ったことを口うるさく言い続けた。背中で、言葉で、チームをけん引する彼の胸中には「このまま成長していけば、絶対にJ1に昇格できるという手応えがあった」という。だからこそ、無理を押してでもチームを離れるわけにはいかなかった。

「反町さんには自分のパフォーマンスが悪かったらメンバーから外してもらうように話していた。周りにも気づかれないようにしてきたし、あのタイミングでチームを抜けることはできなかった。悪いのはけがをしてしまった自分だし、言い訳はできない。右ひざの半月板損傷はマツさんの古傷だったし、マツさんに試されているんだと思った。『なんでこんないたずらするんだ』とも思ったよ。センタリングはごまかしながら上げていたけど、シュートは打てないんだ。本当はそれじゃダメなんだけど、『これ以上やったら本当に壊れる』って本能が打たせなかったんだと思う。サッカー人生を懸けて戦ってきた。残念だけど、俺はもう戦えない。限界なんだ。ボロボロなんだよ。でも、後悔はない。マツさんと同じ志を持った選手と一緒にプレーできて、本当に心強かった。最高のチームメート、最高のファン・サポーターに心から感謝している」

 彼の思いをそこまで駆り立てたものは、いったい何だったのだろうか。

「それは俺にしか分からないと思うよ。松本出身で、マツさんの遺志を受け継いだチームをJ1昇格させることにサッカー人生を懸けていた。だから自分のひざじゃなく、チームを昇格させるための判断。あとは自分との勝負だった」

 試練を乗り越え、自分との勝負に勝って結果を出した。だが、負傷箇所に関してはセカンドオピニオンも含めてドクターの見解が分かれており、現時点で全治は不明だという。「復帰はいつになるか分からないけれど、ここからしばらくは自分のサッカー人生を優先させてください」と静かに語った。

 悲願達成から2日後、田中はオフを利用して松本山雅の大月弘士社長と一緒に、松田さんの墓前にJ1昇格を報告に行く予定にしている。

「マツさんが目標にしていた松本山雅のJ1への道を自分たちが切り拓いたっていう報告をしたい。あとは背番号についても話したいし、けがの話はちゃんと文句を言うよ。ふざけんなよって(笑)。でも、本当の勝負はこれから。目標を達成できたことはうれしいけど、これで満足していたらマツさんに『こんなことで満足するなよ』って言われるだろうし、これからもマツさんとともに戦っていきたい。これからのストーリーも描けている。何とかしてここまで来たけれど、落ちるのはあっという間。でも、俺はJ1での勝ち方を知っているし、ただ昇格して盛り上がるだけではダメ。ここからが大切だし、来シーズンの開幕に間に合うかどうかは別にして、自分の持っている経験をしっかりと伝えていきたい」

 自らを犠牲にしながら、大きな使命を果たした田中隼磨。昇格決定直後、ピッチ上で顔を覆いながら「マツさんに報告していた」と語る彼に、「何と話し掛けたんですか?」と聞いた答えが冒頭のコメントだった。その瞬間を思い出し、ここまでのいろいろな思いや戦いが脳裏をよぎったのだろう。目線を上げ、言葉をやや詰まらせながら、少しだけ目を赤くした彼の表情が忘れられない。

 故郷に錦は飾った。盟友の遺志もしっかりと形にした。だが、これからも戦いは続いていく。しかるべき復活の時へ──。田中隼磨がしばしの休息を経て、新たなストーリーを歩み出す。

文=青山知雄(Jリーグサッカーキング編集長)

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