2013.12.01

日本を、名古屋を愛した13年間…クラブを変えたピクシーの功績

ストイコヴィッチ
今季限りで名古屋の指揮官を退任するストイコヴィッチ監督 [写真]=Getty Images

 愛情も、批判も注がれた6年間だった。



 名古屋グランパスの伝説的な選手だったドラガン・ストイコヴィッチが、指揮官としてクラブに還ってきたのが2008年。3月、リーグ開幕を告げる京都サンガF.C.戦が行われた豊田スタジアムで、彼はサポーターから『ピクシー』コールの大声援に包まれ迎えられた。

 あれから時が流れ、2013年11月30日。あの時と同じ豊田の地で、ピクシーはホーム最後の指揮を執った。

 試合後、感謝の言葉を紡いだ。

「今日は私の最後のホームゲームです。名古屋には、たくさんの思い出があります。ファンの皆さん、本当にありがとうございます。私は、皆さんのことを忘れません」

 彼が発したのは、日本語だった。選手時代に7年、監督として6年、計13年もの間を過ごした、ここ日本。実は、いまでは日本語の意味もかなり理解できている。また彼の大好物が納豆と鮎の塩焼きというのもよく知られている。「私は日本を、名古屋を愛している」この言葉に、嘘や陰りはない。

 Jリーグが発足して以降、リーグ戦でチャンピオンの座についたことのない、勝者の味を知らないチームを、ピクシーは変えた。2008年リーグ戦3位、2009年ACLベスト4、天皇杯準優勝と、最初の2年からタイトルまであと少しのところへ迫った。そして2010年、田中マルクス闘莉王ダニルソンら大型補強で戦力をアップさせたチームは、圧倒的な強さで念願のリーグ初制覇を成し遂げた。さらに翌2011年も優勝した柏と勝ち点差「1」で2位。ピクシー・グランパスは過去を払拭し、誰もが認める“強い名古屋”を形成していった。

 昨季と今季は低迷し、ときにはその戦術や采配を巡り、さまざまな批判的な意見を浴びたこともあった。最後は結果を出すことができず、それには本人も悔しさを隠せない。

「リーグタイトルを獲れたことは喜ばしい思い出。ただ、ファンに申し訳なく思うのは、もう一回頂点に立てたチャンスもあったこと。それが心残りである」

 それでもこの日、豊田スタジアムにいた人々はみな、感謝の笑顔と惜別の泣き顔をしていた。名古屋のレジェンド、ピクシーとの戦いの旅も、ここで終わる。

「皆さんのことは永遠に心に残っています。また会いましょう。サヨナラ」

 涙はなかった。最後まで誇らしい表情を貫き、感謝の意を述べた。沸き起こる、“ピクシー・アレ!!”の大合唱。選手時代からの応援チャントで、監督就任以降はここぞのときにしか唄われなかったこのフレーズが、最後まで彼に注がれていた。

 愛情も、批判も受けてきた。ただ、最後はやはり大きな愛情に包まれた。名古屋を変えた男、“ピクシー”ストイコヴィッチ。その熱くほとばしる魂こそが、クラブにもたらした最大の功績である。

文●西川結城

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