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日本を、名古屋を愛した13年間…クラブを変えたピクシーの功績

今季限りで名古屋の指揮官を退任するストイコヴィッチ監督 [写真]=Getty Images

 愛情も、批判も注がれた6年間だった。

 名古屋グランパスの伝説的な選手だったドラガン・ストイコヴィッチが、指揮官としてクラブに還ってきたのが2008年。3月、リーグ開幕を告げる京都サンガF.C.戦が行われた豊田スタジアムで、彼はサポーターから『ピクシー』コールの大声援に包まれ迎えられた。

 あれから時が流れ、2013年11月30日。あの時と同じ豊田の地で、ピクシーはホーム最後の指揮を執った。

 試合後、感謝の言葉を紡いだ。

「今日は私の最後のホームゲームです。名古屋には、たくさんの思い出があります。ファンの皆さん、本当にありがとうございます。私は、皆さんのことを忘れません」

 彼が発したのは、日本語だった。選手時代に7年、監督として6年、計13年もの間を過ごした、ここ日本。実は、いまでは日本語の意味もかなり理解できている。また彼の大好物が納豆と鮎の塩焼きというのもよく知られている。「私は日本を、名古屋を愛している」この言葉に、嘘や陰りはない。

 Jリーグが発足して以降、リーグ戦でチャンピオンの座についたことのない、勝者の味を知らないチームを、ピクシーは変えた。2008年リーグ戦3位、2009年ACLベスト4、天皇杯準優勝と、最初の2年からタイトルまであと少しのところへ迫った。そして2010年、田中マルクス闘莉王、ダニルソンら大型補強で戦力をアップさせたチームは、圧倒的な強さで念願のリーグ初制覇を成し遂げた。さらに翌2011年も優勝した柏と勝ち点差「1」で2位。ピクシー・グランパスは過去を払拭し、誰もが認める“強い名古屋”を形成していった。

 昨季と今季は低迷し、ときにはその戦術や采配を巡り、さまざまな批判的な意見を浴びたこともあった。最後は結果を出すことができず、それには本人も悔しさを隠せない。

「リーグタイトルを獲れたことは喜ばしい思い出。ただ、ファンに申し訳なく思うのは、もう一回頂点に立てたチャンスもあったこと。それが心残りである」

 それでもこの日、豊田スタジアムにいた人々はみな、感謝の笑顔と惜別の泣き顔をしていた。名古屋のレジェンド、ピクシーとの戦いの旅も、ここで終わる。

「皆さんのことは永遠に心に残っています。また会いましょう。サヨナラ」

 涙はなかった。最後まで誇らしい表情を貫き、感謝の意を述べた。沸き起こる、“ピクシー・アレ!!”の大合唱。選手時代からの応援チャントで、監督就任以降はここぞのときにしか唄われなかったこのフレーズが、最後まで彼に注がれていた。

 愛情も、批判も受けてきた。ただ、最後はやはり大きな愛情に包まれた。名古屋を変えた男、“ピクシー”ストイコヴィッチ。その熱くほとばしる魂こそが、クラブにもたらした最大の功績である。

文●西川結城

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