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【コラム】「ここで現役を終えます」…20年ぶりに故郷・町田に帰還した太田宏介の“夢”

7月20日、会見で町田への加入を発表した太田 [写真]=FC町田ゼルビア

20年ぶりの古巣“エフマチ”へ

“エフマチ”から巣立ったサッカー少年が20年ぶりに故郷・町田へと帰ってくる。そのニュースがリリースされると、太田宏介の携帯電話にはたくさんの連絡が届いた。その中には、彼に関わった多くの指導者や、お世話になった人たちも含まれていた。

「今までで一番か、二番ぐらい連絡が来たかな。ここ何年も連絡を取っていなかった(町田の)人からも連絡が来た。まだ、こういうつながりがあったんだってうれしかった。そして、『絶対に試合を観に行くよ』と、言ってくれた。こんなにもたくさんの人たちに支えてもらっていたことをあらためて思い出した」

生まれ育った町田にはそれだけ多くの思い出が詰まっているのだろう。その宏介からFC町田ゼルビア加入の報せを聞いたとき、頭に浮かんだのは母・祐子さんと、6つ上の兄・大哉さんの顔だった。うれしいことも苦しいことも家族3人で乗り越えてきた。涙もろい母と、頼りになる兄の存在が、彼のキャリアの何よりの支えだった。

中学時代に両親が離婚し、母子3人で一軒家からアパートへと引っ越した。その日から大哉さんは、兄と父の一人二役となった。そして、この兄弟は「いつか二人で稼いで母親を楽させる」と、母親孝行を誓い合う。兄はどんなときも「お前にはサッカーがある」と言い、いつも宏介の良き理解者で、一番のファンで在り続けてきた。

宏介がプロに入りたての頃、兄名義で一緒にマンションを購入して母にプレゼントしたことがあった。自分は鶴川の中古車屋で買った走行距離十数万kmの車を乗っていたのに、だ。兄弟で気持ちの強さを確かめるためでもあったのだろう。

「町田で頑張っている姿を見せたい」

[写真]=FC町田ゼルビア

その後、兄は仕事で成功し、弟は日本代表まで上り詰めた。母にとっては「自慢の息子たち」だ。いつもそう言って目元をぬらす母に決まって、兄弟は声をそろえて言ってきた。「まだまだこれからでしょ。どんどん母親孝行していくから」。そうやって互いを試金石にし、思いの堅さを確かめ合うように切磋琢磨してきた。

今夏にオーストラリアから帰国すると、その大哉さんから「ここでキャリアを終えてもいいんじゃないないのか? 十分やりきっただろう」と言われた。違うフィールドで戦ってきた兄弟が手を合わせ、新たなキャリアを歩むという夢があったから。

ただし、町田からのオファーは別だった。宏介からは「最後はFC町田ゼルビアに行きたい」と聞いていた。何よりも、大哉さんは父の顔で「どんなときも感謝の気持ちを示せ」と、宏介に言い続けてきたからだ。だから、その話を聞いて兄も自分のことのように喜んだと言ってこう語った。

「最後のストーリーとしてもいいし、何よりお世話なった人たちに恩返しもできる。それに兄貴が育った場所でもある。Jリーグの時はアウェーでも試合をよく観に来てくれた。オーストラリアには来ることができなかったけど、オランダにも試合を観に来てくれた。その日常が戻ってくるのがうれしかったのだと思う。だから、めちゃめちゃ歓迎してくれた」

「それに」と言って、宏介は弟の顔になる。

「兄貴という立場よりも、オレにとっては父親的な存在だった。いろいろな手続きは、いつも忙しい母に代わって兄貴がしてくれた。高校生の頃からバイトをしてオレの学費にも充ててくれた。だから、オレはノビノビとサッカーができた。兄貴にとっては苦しい思い出が多い場所かもしれない。だから、兄貴には町田でいい思い出を少しでも増やしてほしいという思いもある」

母もこのタイミングで、現役生活に終止符を打つと思っていたという。「それが親子で毎週通った野津田でプレーするオレの姿を見られることを誰よりも喜んでくれた。送り迎えした場所が当時から大きく変わったので来るのが楽しみだと言ってくれた」。

そんな家族思いの宏介も2017年に文香さんと結婚し、2019年には1児の父となった。いつもの電話口で、暖かな家庭の声が漏れ聞こえてくるようになった。
「(文香さんも)サッカーを続けることができてホッとしていたと思う。オーストラリアではコロナ禍でプレーしている姿をほとんど見せられなかった。3歳になった子どももオーストラリアで見た最後の試合が2月だった。3カ月半アウェーで見る機会さえなかった。ホームも夜8時で遅かったというのもあった。パパがサッカー選手とは理解していても、記憶の中にプレーしている姿はないと思う。町田で頑張っている姿を見せたいし、子どもの記憶にもカッコイイ姿を刻みたい」

「キャリアの最終地のつもりで」

[写真]=FC町田ゼルビア

故郷を盛り上げるために、あの左足から放たれるクロスと、FKがJリーグに帰ってきた。7月23日に35歳になった夏男のとびきり熱い夏は幕を開けたばかりだ。「他の選手とはレベルが違う」という町田への思いも人一倍だ。

「キャリアの最終地のつもりで帰ってきた。むしろ町田に帰れなかったら辞めようと思っていた。だから、オレはここで現役を終えます。自分のキャリアを振り返って、これから縁のなかったクラブに行くよりも自分を育ててくれた場所に帰りたかった。それがなければ、プレーしようとは思っていなかった。これから町田はクラブとしてもっともっと大きくなっていく段階。ここにはたくさんの夢がある。サッカーの街としてまだまだサッカー少年少女がいて、彼らが5年後、10年後、このクラブを経由して世界に行くことができたら。そのきっかけとしてこれまで自分がしてきた経験を伝えていきたい。まずは町田で、J1に昇格してポポさん(ランコ・ポポヴィッチ監督)を胴上げして漢にしたい。そうなれば最高だから」

久しぶりに再会した宏介は「思い描いた以上のキャリアになった。ホント幸せ」と口にしつつも、「何も変わってないでしょ、オレ」と言った。

本当にそうだ。自分のサッカー人生を“成り上がり”とも形容してきた。知り合った頃のギラギラを残したまま、キャリアの終着地で最高の恩返しが始まる。きっと孝行息子が野津田でプレーする姿を見て当時の指導者は誇らしく思い、家族みんなが笑顔になるはずだ。そう思うと、グッとくる。太田家のこの素敵な物語は、舞台を町田に移してまもなく最終章へと入る。あの日、兄弟で誓い合った終わりなき母親孝行はまだまだ続く。

取材・文=馬場康平

■FC町田ゼルビア公式YouTubeチャンネルでインタビューを公開中!
【お帰り宏介!】新加入の太田宏介選手にインタビュー!会見では語られなかったある想いも話していただきました。
FC町田ゼルビア公式 YouTube:https://youtu.be/jT_1VT2ZvIM

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