2016.04.27

自分たちができることを、こつこつと…ブリオベッカ浦安の地道で愚直な戦い

東京武蔵野シティFCとの「東西線ダービー」で声援を送るブリオベッカ浦安のサポーター
写真家、ノンフィクションライター。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。

 J1の首位攻防戦が行われた4月24日、私が取材先に選んだのはJFLの「東西線ダービー」であった。

 今季よりJリーグ百年構想クラブとなり、J3昇格を目指す東京武蔵野シティFC。そして昨年の全国地域リーグ決勝大会を2位で突破して、今季からJFLの一員となったブリオベッカ浦安。「東西線ダービー」というのは、もちろん私が勝手に作った名称だが、両者の最寄り駅である吉祥寺(もしくは三鷹)と浦安とが東西線でつながっていることを考えれば、あながち見当違いとは言えまい。

 問題は、武蔵野と浦安の力関係を「ダービー」と呼ぶに相応しいか、であろう。前節を終えた時点での順位は、浦安が9位で武蔵野が11位。勝ち点差わずか1ながら、ルーキーの浦安が順位は上である。とはいえ浦安にとり、1999年の第1回JFLから名を連ねる武蔵野(当時の名称は横河電機サッカー部)は、まさに仰ぎ見るような大先輩。戦力的にも経験値でも、相手のほうが格上であるのは明らかだった。

 14時からキックオフとなった試合は、予想通り武蔵野が一方的に攻め込む展開が続いた。両サイドを有効に使いながらチャンスメイクし、積極的にシュートを放っていく。そのたびに浦安の選手たちは、素早く身体を寄せながら辛うじてブロック。オフサイドトラップもそこそこ機能し、さらにGK中島宏海がファインセーブを連発して何度も味方のピンチを救う。

 浦安の固いディフェンス網をこじ開け、寺島はるひのゴールで武蔵野が先制したのは前半30分のこと。しかし、なかなか追加点を奪えない。対する浦安は、まず守備ありきの我慢強い戦いを続け、ついに後半43分に竹中公基の劇的なゴールで同点に追いついた。その後も追い上げムードは続いたが、結局1−1でタイムアップ。それでもJFLのルーキーは、敵地・武蔵野陸上競技場で貴重な勝ち点1を手にした。ちなみに武蔵野のシュート数が10本、浦安はわずかに2本であった。

 自分たちができることを、こつこつと。それが「浦安スタイル」なのだと思う。それは、この日のゲームに限った話ではなく、そもそもクラブの成り立ちからしてそうだ。浦安が活動を開始したのは1989年。当初は純然たる少年サッカー団であった。6年生の保護者が役員となり、自治体からグラウンドを借りてコーチを雇い、市内のリーグ戦や県の大会を戦った。やがて卒業生の受け皿として、ジュニアユースチームやユースチーム、さらにはトップチームが作られる。そのトップチームも千葉県リーグの3部から参戦し、年月をかけてひとつずつカテゴリーを上げていった。そして、ゆっくりとステップアップした先に、アマチュア最高峰のJFLという舞台があったのである。

 そんな浦安だが、今季は遠く離れた柏の葉公園総合競技場をメインにホームゲームを戦っている。昨シーズンまで使用していた、浦安市運動公園陸上競技場がJFLの規定を満たしていないためだ(ちなみにピッチは人工芝)。集客面を考えるなら、施設を改修して浦安市内で試合をするのがベストだろうが、同市は先の震災で深刻な液状化の被害を受けており、行政もそこまで手が回らないのが実情。クラブ側もそこはよく理解しており、「将来のJリーグ入り」に関する言及は今のところ一切していない。

 そうした事情を重々理解した上で、それでもいつかは浦安市内で全国リーグのゲームが開催される日を願わずにはいられない。そしてその日が訪れたとき、真の意味で「東西線ダービー」が実現したと言えるだろう(その時、武蔵野がどのカテゴリーにいるかはさておき)。自分たちができることを、こつこつと。浦安の地道で愚直な戦いは、これからも続く。

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