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送別試合を終えた藤田俊哉「1人ずつにありがとうと言いたい」

試合後に胴上げされる藤田氏 [写真]=足立雅史

 元日本代表MFの藤田俊哉氏の引退試合「ほけんの窓口プレゼンツ 藤田俊哉送別試合」が23日に国立競技場で行われた。試合は、藤田氏が1994年のプロデビューから2005年(2003年のユトレヒトへの半年間のレンタル移籍期間を含む)まで在籍した磐田の OB 選手である中山雅史氏らで構成する「ジュビロ スターズ」と、三浦知良や中田英寿氏ら日本代表経験者を中心とした「ジャパン ブルー」が対戦。藤田氏は前半をジャパンブルー、後半からはジュビロスターズでプレー。4-3で「ジュビロ スターズ」が勝利した。

 試合後、藤田氏は以下のように試合の振り返りと今後への意気込みを語った。

―相当体も作ってきたみたいで。
「5月の頭に練習をやりすぎて、足を痛めたときは本当に焦った。ここでけがで出られないのかと思うぐらいへこんだけど、調整して今日を迎えられて良かったです。そこまで、何人もの先生が家に来て治療してくれたり。でも、みんなにはけがしていることも言えなくて。心配されるのもあれだから、『順調?』と言われたら、『順調、順調』と隠すのもちょっと心が痛かったけれど、良かったです」

―どこをけがしたか?
「左足のふくらはぎ。大学生と練習していたら、大学生の勢いで『俺もやれるんじゃないか』と思って、どんどんやってしまうんだよね。だけど、数日したら自分の体は41歳だったという、そこに気づいたね。情けない5月の頭だったけれど、そこから自分なりの調整をして、これだけみんなにやってもらえて感謝します」

―会見で得点を取ることにすごいプレッシャーがあると言っていたが?
「みんなが、取らせよう取らせようとさせるのが本当は嫌いだから、本当はこだわりたくないけれど、みんなが『得点、得点』と言うから。名波(浩)も『得点、得点』と言っていたが、みんなに感謝ですね。みんな、さすがにサッカーをよく知っているから、良いところに回してくれる。中山(雅史)とかね。あんなパス出してくれるし」

―最初のゴールの小野伸二から来たボールを押し込んだものは、結構泥臭い感じでしたけど?
「あれが、一発で入らない辺りが俺という感じですね」

―中山さんからアシストしてもらい、試合後に何か言われましたか?
「『散々パスを出してくれたから、今日はお前に出せて良かった』と」

―あれは綺麗なゴールでした。
「優しいパスを出してくれて、ふかさなくて良かったなと」

―改めてすごいメンバーが集まったが、どう思いますか?
「みんなとの付き合いというか、これまでそういう風にみんなと接してきたのかなと、色々考えたら、特に変わった付き合いはしていなかったけど。真面目に、丁寧にみんなと接してきて良かったなと」

―吉田麻也は結婚式と重なったが?
「僕も行きましたけどね(笑)。2人で、同じくらいのタイミングで、『実は俺、やるんだよね、5月23日に。お前も』みたいな。でも、いっそのこと互いに集めて、名古屋経由の国立でいいんではないかと思ったけれど。この試合を迎えるにあたって自分もハードだけど、僕の何倍もハードなスタッフを見ているし。そこを見ていたら、大変だとは言えない。それで、ジュビロのサポーターもナビスコカップがあって、そのまま来てくれたサポーターもたくさんいる。その他、難しいスケジュールの中でも来てくれたり、熊本から来てくれた仲間もいる。名古屋からもいっぱい来てくれたし。もちろん磐田から、静岡から、遠いところからいっぱい来てくれた。みんなにありがとうと、1人ずつ言いたいくらいです」

―今日は1回名古屋に行ってから?
「あんまり言うと、みんなが『大変だ』というから。だから、さらっと行ってきた」

―朝に行ったということ?
「朝に行って昼に帰ってきて、シンポジウムをやって、試合をやって。でも、ここからが長いね。今日は長いんではないかな」

―吉田麻也が若い頃からずっと、『もっと高いレベルで』と言われて、今があるということを言っていたが、なぜそういう言葉をかけたのか?
「若くて才能のあるやつは、サッカーで大きな成功をして欲しいし、1人でも多くのサッカー人がすごく成長してくれるとか、大きな選手になることを見ることが大好きだから。本田(圭佑)しかり、(川島)永嗣しかり、麻也があっという間に俺を置き去りにしていったときは、爽快だったね(笑)。別に本当に何の嫉妬もないし、俺は俺で幸せなサッカー人生だと思っているから。彼らはでも、俺より何倍もすごいから。それには良かったなと。サッカーやっている人が、ちょっとだけ幸せになってくれるというのがいいから。彼らは、そのちょっとだけが大分大きいけど。多くのサッカー人がいるだけで、どんなところのサッカー人でも、サッカーに携わるとちょっとだけ良いというサッカー界ができてくれないかなということが、願いです」

―指導者の道は前から考えていたのか?
「いや、考えていないですよ。やっぱり、選手が一番好きだから。今でも選手が一番すごいと思っている。辞めてから、より選手がすごいと思う。もうできないから」

―今後、監督を目指すということですが、黄金時代の磐田と対戦するならば、どういう風な戦術で臨むか?
「相手が僕のチームのボールを追っかけないといけない状況を作り出す。だから、違った手法ではなく、磐田のサッカーの上をいくようなチームを作るように目指すことが理想」

―理想の監督像とか、作りたいチームというのが自分の中にあるか?
「まだ駆け出しで、1回もやったことない人が監督論を語るべきではないということが持論で、監督はやったことのある人しか分からない世界だと思うから、まずは自分で指導者の道に入って。コーチ、監督というステップを踏んで、海外のサッカーを見る、日本のサッカーも見る。それで自分というものができてくると思うから。選手時代とはまた違ったサッカーの下で1から勉強し直すつもりでいます」

―VVVフェンロのハイ・ベルデン会長が来ていたが、どこのカテゴリーをやるとかは決まっているのか?
「これから明日にかけてハイさんと話し合って。ハイさんもチーム事情もあって明日の午前中いっぱいしかいないというから、明日の朝食ミーティングで色々決まるんではないか。でも、別に自分からどこを望むわけでもないし、まずは自分というキャラクターを向こうで理解してもらって、向こうの水に慣れるということが最初のステップだと思うから。多くを望まず、その状況の中で自分の良さが出せたらいいなと」

―決まっていることはコーチということだけか?
「決まっていることは、行くところと住まいです。あとは、一切決まっていないです。住まいは、なぜか決まっている」

―最も影響を受けた指導者は?
「それは、小学校時代の清水の恩師ですね。僕にサッカーの楽しさを教えてくれた、昨年の夏に亡くなった堀田(哲爾)先生ですね。一番最初に、サッカーの電気が走るくらいの楽しさを教えてもらった。それに魅せられて40歳までやってしまったと。あの人の言う『非常に上手い』、『素晴らしい』というのは、今でも耳から離れない。ものすごい嬉しかったし、先生が言ってくれるその『非常に上手い』と『素晴らしい』というのは。何て良い言葉なんだろうと。もちろん、挙げたらキリがないですよ。だから1人というのはなしで、最初にサッカーを始めるにあたってのインパクトがあったということ」

―育成の方に行ったとしても、そういうことを思い出しながらやるか?
「もちろん、育成の場もやったことがないから。育成の場と、トップの場は違うと言う人もいれば、一緒という人もいる。そういうことを確かめる時間になってくると思う。正直に言うとわからない。わからないことを最初から想像して言うということもね。選手ではないから、そこは自分の目で確かめて勉強して、掴んでいけばいいと思います」

―いつ頃、どのようにしてVVVフェンロに誘われたか?
「結構前から、そういうタイミングがあればということで。日本に来る時も会っていたりしたし。もちろん、本田や麻也の繋がりもある中で、知らない人でもなかったし。最初から狙ってこういう状況があるわけではない。少しずつの積み重ねで信頼を得たということ。そういうことが自分のスタイルかな」

―改めて海外でチャレンジしようと思った理由は?
「そこに自分のチャンスがあったし、興味もあった。もちろんJリーグでトライすることも素晴らしいことだと思っている中で、磐田の括りで言えば、名波が日本でしっかり準備していることもある。アドバイザーになった経緯も、国内は名波が統括して、アジアやヨーロッパは僕が見るということが入りだったので。互いに情報交換して高め合えば良いと思う」

―指導者が海外に行くことも、日本サッカーのためにプラスになるか?
「プラスになるし、行ってそうなったと思われなかったら、何のためにあいつは行ったのかということになるから、その責任はあると思う。日本の指導者はそんなものかと思われることがないようにしっかりネジを巻いて気合を入れてやりたいなと思う」

―言葉とかは?
「言葉は、引退してからスクールに通って勉強はしている。けれど、正直オランダ語を話せるかと言っても話せない。しばらくは英語でやらざるを得ないけど、言葉ができないからコミュニケーションがという言い訳をしないで、やりたいなと思う。そして、その内にできるだけ早く言葉を身につけた指導者になりたい。できない理由を言葉にはしたくない。英語でやればいい話で。英語もレベルアップしたいし、色んな勉強ができるということかな」

―行くのは何月か?
「明日の朝食のミーティングで、決まる。つい最近降格が決まって、これから人事が決まってキャンプが決まるわけで、その中でどのポストに自分が行くかということが決まって来ると思っているから。1番最初にみんなに聞かれることは、『お前、本当は行かないんじゃないか』ということが一番嫌だった。けれど、『行くと思うんだけどな』と。そういう時にハッキリしたことが言えなかったから辛かったけれど、シーズンが終わるまで次の体制を言えるクラブはないからね」

―単身で行くのか?
「最初は選手のときと同じように、自分で行って自分のスタイルを確立して、生活の基盤ができたら家族を呼ぶ。自分のことが管理できないのに、家族が来てもみんなに迷惑がかかるし。家族が向こうでの生活を少しでも楽しんでもらえる状況を作ることが大事。それまでにフェンロでの仕事というものをしっかりやらないといけない。そこがあっての次だと思うから。最初から多くを望まず、ひとつずつ準備すればいいかなと思います」

「選手と同じように先のことの約束はないが、自分の中でイメージというのはいつも持って、その目標に向かってやるからヨーロッパでも監督になりたいし、もちろん日本に帰ってきて、日本で監督もやりたい。サッカーに関わってやれることがあれば、全部やりたいというのが選手のときもそうだった。だから、全部やってみようかなと」

―香川真司ら、日本人選手が海外でも活躍して、日本の指導者が来てもリスペクトされる環境はあるのではないか?
「それは別物だと思っている。彼らの成長に指導者として、追いつけ追い越せでやりたい。Jリーグに入った94年は、海外でこれだけの選手がやる時代が来るとは思わなかった。今僕が、指導者としてヨーロッパに行くのも、なかなか無茶なこととか、すごいハードルとかというけれど。それはしばらくしたら、俺より成功する人がいっぱい出てきてというのが、当たり前になると思う。みんなチャンスがあればトライをする。そのトライがどうなっても良いじゃないかと。思ったことをやらないことが一番好きではない。ダメならダメで次があると。ダメと思わず次に行くんだけど、本当は。やらないことにははじまらないからね」

―奥さんから、花束をもらったとき何か言われましたか?
「『緊張する?』と。思わず、呼び捨てとかもしたことないけれど、スピーチでは呼び捨てし、ちょっと変だったね(笑)」

 藤田氏は今後、今夏からオランダのVVVフェンロで指導者キャリアをスタートさせる予定。

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