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【静岡学園出身・先輩後輩対談/名古新太郎×松村優太】高校選手権を経てプロへの道を切り拓いた“静学の系譜”

2020.12.28

[写真]=鹿島アントラーズ

 プロの舞台で活躍する名古新太郎松村優太。2人にはあらゆる共通項がある。

 その一つが、静岡学園だ。

 2014年の冬、全国高校サッカー選手権・第93回大会に出場した名古は、当時、高校最強と言われた東福岡を破り、世間を驚かせた。ベスト8で敗れたものの、大会でインパクトを残した名古は順天堂大へと進み、2017年の夏、ユニバーシアード日本代表のメンバーとして金メダルを獲得。大学在学中に鹿島入りを決めた。

 今年1月、第98回大会に出場した松村は、静岡学園の24年ぶり優勝のメンバーとなった。矢板中央と戦った準決勝は、後半アディショナルタイムにPKから決勝弾。決勝でも、青森山田との死闘を演じ、歴史的な逆転劇の末に優勝。高校卒業後、内定していた鹿島へ加入した。

 小中高と、同じような道のりを歩み、共に背番号10を背負い、歴史を紡ぎ、時代を築いた名古と松村。彼らは言うなれば、“静学の系譜”だ。そして足元にはもう一つの共通項、ミズノ『MORELIA NEO III JAPAN』がある。高校選手権を経験してプロ入りした2人は、高校年代で何を感じ、全国で学んだ何を糧にして、その後のキャリアに生かしていったのか──。

取材・文=武藤仁史
写真=鹿島アントラーズ、鷹羽康博、山口剛生、野口岳彦、平山孝志

なぜ「静学」は強いのか?

名古新太郎(前列左)は第93回全国高校サッカー選手権大会に静岡学園の背番号10として出場した [写真]=鷹羽康博

──二人は大阪府出身で、東淀川FCから静岡学園に進学。背番号10を背負って全国高校サッカー選手権に出場し、現在はプロの舞台でプレーしています。本当に共通項が多いですよね。

松村 名古さんと学生時代に被っている時期はなかったのですが、僕が静学に進めたのも、こうして鹿島に行けたのも、名古さんが同じ小・中のチームからルートを作ってくれたおかげです。「僕もプロになりたい」と強く思わせてくれた先輩ですね。すごい道を先頭に立って切り拓いてくれた先輩なので、頭が上がらないです。

名古 おおげさやろ(笑)。

──普段から交流はありますか?

名古 たまにですね。優太が加入してきた時は、ご飯に連れて行ったりしていました。でも、プレーでも私生活でも、優太はなんでも自分でやれてしまうので、めちゃくちゃ気にかけることはしてないですね。

──それぞれにどのような印象を抱いていますか?

名古 僕が静学に入った時は、関西の選手が1人か2人とかだったのですが、優太たちの代は結構いるんですよ。それだけで優太の代には親近感が湧きましたね。優太とは実家も近いし、関西人っぽい部分をすごく感じます。

松村 名古さんは「ザ・静学」って感じですね。(明治安田生命J1リーグ第31節の)アウェイ横浜F・マリノス戦なんかもそうですけど、テクニックで相手を剥がすプレーができる。僕にはできないプレースタイルなので、純粋にすごいなって思っています。

──「静岡学園出身=テクニシャン」という印象は強いですよね。毎年のようにプロ選手を輩出していますが、静岡学園にはどんな選手が集まってきているのでしょうか?

名古 全国各地から選手が集まってきていますね。人数が多く、競争率もすごく高いので、試合に誰が出るかは分からない。そうした中で日々の練習から毎日、危機感がありました。僕も3年生の時に10番を背負っていましたが、試合に出るために必死でした。すごく競争率の高い高校ですね。

──では、静岡学園の強さの秘訣とは何だと思いますか?

松村 戦術的なミーティングを重ねることはなく、個人の技術や武器を発揮して勝っていくチームでした。当時はみんな、どんな対戦相手よりも紅白戦が一番しんどいって言っていました。それくらいボールを全然取れなかったりしますから。Aチーム、Bチームなどに関係なく、どのカテゴリーでもみんな技術が高く、ボールを持てる。それに、下のカテゴリーであれば、絶対にAに上がるという目標があります。すごく向上心があって、野心的な選手が集まっていて、トップチームはさらに選抜されたメンバー。常に危機感がありましたし、そうやって取り組んでいくことで、それぞれの強みが磨かれて、絶対に負けない自信になります。

名古 たしかにそういう感じだったね。

松村 そうですね。戦術ももちろん大切ですけど、1対1で勝てる個が集まって、どの局面でも勝てるので、いい結果につながったのではないかなと、個人的には思っています。

静学が直面した「4年のジンクス」と「静岡の壁」

松村優太は24年ぶり2度目の選手権優勝を勝ち取った [写真]=山口剛生

──静岡学園は前回大会で優勝を果たしたしていますが、直近10年では名古選手の3年生の代、松村選手の3年生の代の2回しか全国に出場していません。選手権に対して、どのような印象があったのでしょうか?

松村 僕は1年生の時も2年生の時も県大会の決勝で負けていたので、静岡を突破する難しさを感じてきました。どのチームも「打倒・静学」と対策をしてきていたので、「静学を倒せば全国」というイメージを持っているように感じます。今年も後輩が準決勝で藤枝明誠に負けてしまいましたが、そのチームが全国に行きますからね。目の前の静岡の壁を乗り越えないといけないというのが、県予選の難しさだと思っています。

名古 僕らが出場した時は、夏の高校総体の県予選で負けていたんです。それまで4年連続くらい出場していたのに、僕らの代で負けてしまった。これはヤバイぞとなって、めちゃくちゃ練習したんですよ。夏場にほぼ3部練をして、めちゃくちゃ走って。選手権までの練習はとにかくきつかったですね(苦笑)。

松村 僕らの代も3年生になる前、2年生の冬の新人戦と3年の夏の総体でも負けて、名古さんの代と同じような状況でした。川口監督からも「5年前の代と似ている」と言われました。その時は「夏場にこんなことをやって選手権に出て、当時最強と言われていた東福岡に勝ったんだぞ」と何度も聞かされました。結果的にはその時と同じような強度のトレーニングを続けたことで、僕たちも選手権に出場できました。

──静学ならではのエピソードがあれば教えてください。

名古 試合前のアップで1人1個のボールを持つんですよ。他のチームからめちゃくちゃ見られていましたね。試合前にドリブルとリフティングをしているのは珍しいのかもしれないです。

松村 静学にはそういう伝統がありますよね。僕はそんなにできないですが、だいたいどの学年にもリフティングの足技が本当にうまい選手がいます(笑)。かかとや両肩のリフティングは誰でもできるんですよ。でも、どこにでも乗せちゃう選手がいるんです。かかとにボールを乗っけられたりする。人間の構造的に無理でしょって思うんですけど(笑)。そういうところは、他チームとの違いを感じますね。

──夏場の過酷なトレーニングを経て、選手権に出場するイメージが持てたのはいつ頃ですか?

名古 もちろん常に全国を目指していましたが、優太が言ったように静岡県予選の壁はすごく大きいと分かっていました。僕らが全国に出る前は4年前の大島僚太さんたちの世代で、その前もたしか4年前。だから静学には「4年のジンクス」があると言われていたんです。僕らにはそういうプレッシャーもありましたが、とりあえず目の前の1試合1試合を必死に戦っていったという感じでしたね。

松村 僕らの世代は高校3年間で、あの選手権が唯一出場した全国大会でした。当時、監督が少しだけ守備の練習をしたんです。1対1や切り替えの練習ですね。僕らは攻撃が特長的なチームでしたが、守備もかなり前からいっていました。「守備を意識することで、2次攻撃、3次攻撃につなげることができる」、「どれだけ対策をされても、相手がキツイだろう」ということで。実際に県予選前に取り入れて、それがすごくハマって大勝もできていました。

──なるほど。ただ「4年のジンクス」は途切れてしまったんですね。

松村 2年生の時に4年のジンクスを迎えましたね。周囲からも強いと言われていたのでいけると思っていたのですが、決勝で負けてしまった。それともう一つのジンクスもありました。静岡県は私立と公立が交互に選手権に出る。そのジンクスで言うと、僕らの代は公立の順番でした。僕らは私立だったので、4年のジンクスもなくなりましたし、「そんなジンクス全部取っ払ってやろうぜ」とみんなで話していましたね。

──実際に出場した選手権はどんな舞台でしたか?

名古 もう7年くらい前になりますけど、ピッチに立った時の雰囲気やワクワク感は覚えています。今でもその光景が目に浮かびますね。

松村 僕はちょうど1年前ですね。ずっと全国大会に出たかったし、選手権は憧れの舞台でもあったし、全員が同じ思いを抱いていました。3年目の最後のチャンスで初めて行けたけど、経験もないから緊張していましたね。初戦は大勝しましたけどかなり硬かったのを覚えています。25分くらいまで点を奪えなかったですけど、井堀(二昭)がフリーキックを直接決めてくれて、その時にフッと楽になりました。そこから選手権を楽しめるようになったと思います。

──その一発が、緊張を解してくれた。

松村 体の中からゾワゾワって何かが出ました(笑)。そこからは早く次も戦いたいっていう気持ちになっていきました。初戦の硬さの中でしっかり点を取れて勝てたことは優勝の要因の一つかもしれないですね。

優勝候補・東福岡撃破から、5年後の全国制覇へ

──選手権で真っ先に思い浮かぶシーンはなんでしょうか? 名古選手は初戦のスコアレスの状況で与えられたPKで、まさかのチップキックを選択しました。他にもヒールリフトで観客を沸かせたり、東福岡を破ったゴールも印象的です。

名古 もう全部、言われちゃいましたね(笑)。初戦の佐賀東戦は、1点入るまでみんな硬かった。もちろんプレッシャーや初戦の緊張感からくるものだと思います。僕はずっと大会前にチップキックの練習をしていたので、全国で絶対にやろうと思っていたんです。PKをもらったので、スコアレスだけど狙いました。相手もプレッシャーをかけるために、PKを蹴る直前までいろいろと言ってきていたんですよ。「いやいや、何を言ってんねやろ」、「どうせチップで蹴るし」って自信がありましたね(笑)。それが決まったことで、自分もそうだし、チームも吹っ切れたと思います。

──佐賀東戦のヒールリフトも話題になりました。

名古 あれも大会前からやろうと思っていました。静学といえば魅せるサッカーです。いろいろな人を魅了して、なおかつ勝つ。そういうこだわりが静学なので。みんなもそういう思いでプレーしていたと思いますし、僕も「静学の10番」として魅せないといけないなって。東福岡戦はみんなよく頑張りました(笑)。本当に頑張って勝ちましたね。その年の東福岡は高体連で一度も負けていなかったんですよ。めちゃくちゃ強いと言われていた世代で。でも、自分たちも自信を持っていました。あの試合はいい思い出の一つですね。

──松村選手はその試合を見ていましたか?

松村 残念ながら見ていないんです(苦笑)。

名古 たしか関西では放送されていないんですよ。

松村 そうなんです。でも、本当に僕らは監督から名古さんの代のことを口酸っぱく言われてきました。様々な状況を重ねていたんだと思います。「100人中100人が東福岡の勝利を予想しているような状況だったけど、絶対に勝ってやろうという意気込みで3-0で完封勝利した」、「彼らはそこで使い果たしたのか、次の試合で負けてしまった。優勝候補を倒したとしても、気持ちを緩めるとすぐに足元を救われるぞ」と監督からはいつも言われていました。「勝っても本当に緩めるな」と。

名古 満足するなということですね(笑)。

──実際に取材陣の対応はすごかったですか?

名古 あまり覚えていないのですが、世間的には静学ファン以外は東福岡が絶対に勝つと思っていたはずですからね。そういう雰囲気を理解していたので、僕らとしては戦いやすかったです。

──では、松村選手が思い浮かべる選手権のエピソードは?

松村 やっぱり(矢板中央との)準決勝かな。自分自身の力のなさもそうですけど、それまで自分が無得点で。全国では相手のレベルも上がり、その中で2、3枚にマークされて、なかなかシュートまでの形を作れていませんでした。アシストもドリブルもできていたけど、ゴールを決められていなかった。歴代の「静学の10番」はすごい選手ばかりじゃないですか。その重圧もありますし、点を取りたい、取らなきゃいけないという焦りがありました。だからこそ、準決勝では絶対に取ってやろうと思っていました。矢板中央も守備の陣形をストロングポイントにしていたのですごく堅かったですね。でも、(後半アディショナルタイムの)最後のプレーでPKをもらって、自分がゴールを決められたことは、結果的には優勝に少しは貢献できたかなとは思いました。

──PKをもらった場面の仕掛けは鋭さがありました。

松村 あそこは自分がどうにかするしかないと思っていたので。

名古 僕は大会中がキャンプと重なっていたんですよね。だからテレビで見ていました。もちろん静学を気にしていましたし、もしかしたら優勝できるのかなと思いましたけど……本当に優勝しちゃいましたからね。

高校サッカー選手権を戦う選手たちへ

──選手権に出場したことで、サッカーに対する向き合い方や意識、プレー面も含めて変化はありましたか?

名古 それまでの人生で一番大きな舞台でしたし、あの雰囲気の中でプレーできたことは、自分のサッカー人生においてすごく糧になりました。こういう舞台でもう一度やりたいという気持ちが強くなりましたね。

松村 サッカーをやっている高校生みんなが憧れる場所ですし、負けたら終わりという儚さがあります。「このメンバーでまだやりたい」という気持ちで戦っていました。後にも先にも5万6000人が入った決勝戦なんて経験できるものではありません。味方の声も全然聞こえないような中でサッカーができたことも一つの思い出です。みんなが自分の個性を生かして、楽しみながらやって、大逆転できた。優勝した後の観客席の景色とか、同級生がみんな泣いている光景とか、今でも目に焼き付いています。スタジアム全体が静学を応援してくれている雰囲気を肌で感じていましたし、そういう経験はなかなかできるものではないですよね。

──大会に出場する選手へアドバイスをいただきたいと思います。大会直前や大会期間中、メンタルのコントロールやコンディションを落とさないために気をつけたほうが良いことはありますか?

名古 その時と今では状況が違いますからね。それに正直、7年前なので何をしていたかあまり覚えていません(苦笑)。ただ、ワクワク感はずっとありました。緊張というよりも、絶対に楽しんで自分のプレーで魅了してやろうとか、楽しみな気持ちを常に持ってプレーしていたことは覚えています。もちろんいい緊張感というのもあると思います。そこは人それぞれなので、自分に合った過ごし方を見つけて頑張ってほしいです。

松村 僕らもやっと出られた全国大会だったので、みんなワクワクしていましたね。全国大会で、選手権で、3年生にとっては最後の大会で、負けたら終わり。このメンバーでまだやりたいとか、応援してくれる仲間と一緒にサッカーをしていたいとか、誰かのためにというような想いや、サッカーを楽しみたいという気持ちが強かったです。

──今年はインターハイが中止になった影響もあり、さらに気持ちが高まっている選手も多いと思います。
松村 そうですよね。でも、こういう状況だからこそ隣にいる仲間と一緒にやりたいという思いが一番強いかもしれませんね。練習や練習試合より絶対に楽しいですから。自然体で臨んでほしいですね。

──まもなく開幕する第99回大会に期待することはありますか?

名古 今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響が大きかった。たくさんの人が苦しんでいる中でピッチに立てているのは、本当に多くの協力があってのことです。僕たちも同じですが、サッカーをできることが当たり前じゃないということを頭に入れてプレーしてほしいですね。こうして舞台を整えてもらえているからこそ、たくさんの人に夢や感動や勇気を与えられるような大会になってくれたらいいなと思います。

松村 今年は大会の延期や中止ばかりで、日本中が例年よりも暗い雰囲気になってしまいました。そうした中で選手権を開催できることは、たくさんの方の尽力があったから。名古さんと同じで、感謝の想いは持ちつつ、自分が希望になれるという気持ちも忘れないでほしいですね。応援してくれる人や、楽しみにしている人に対して、ゴールを決めて喜んでいる選手の姿や一生懸命戦う姿は響くものがあるはずなので。まずはシンプルに、この大会を楽しみながら、そうした姿を届けてもらい、優勝を目指してもらいたいです。

名古新太郎松村優太が語ったスパイクへのこだわり

名古新太郎 『MORELIA NEO III JAPAN』
「丁寧なモノづくりで、Made in JAPANの魅力が詰まっている」

松村優太 『MORELIA NEO III JAPAN』
「ミズノを履くまでは、何を履いても合わないと思っていた」

──二人のもう一つの共通項が「ミズノ」。いつから履いているのですか?

名古 僕は今『MORELIA NEO III JAPAN』を履いていますが、ネオを一番最初に履いたのは高校2年生の時ですね。一つ上の先輩に勧められたんです。初めて履いた時のフィット感と履き心地が自分の足にすごく合っていて、自分の繊細なプレーにも良い影響を与えてくれました。それからずっと履いています。

松村 僕も初めて履いたのは高校2年生です。扁平足でなかなか合うスパイクがなくて、他のスパイクでは、中敷を2、3枚入れて履いていた時もありました。だから初めて履いた時は「中敷1枚でいけるじゃん」って(笑)。ドリブルや緩急など、クイックネスやステップをしても靴の中でブレることがないですし、フィット感には本当に感動したことを覚えています。

──スパイク選びで重視していたことは何ですか?

名古 履いた時のフィット感ですね。足の感覚は人それぞれだと思うので、履いた瞬間に自分に合うかどうかという感じで、感覚的に選んでいました。

松村 僕は何を履いても合わないと思っていたので、ミズノを履くまではデザインで選んでいましたね。でもミズノを履いてからはフィット感やボールを蹴った感触を重視するように変わっていきました。

──『MORELIA NEO III JAPAN』を選んだ理由を教えてください。

名古 いや、もうネオ3以外は履けないですよ。それだけです(笑)。

松村 なんせ軽いですからね。これを履くと足が速くなっているような感覚があります。

──デザインやカラーで気に入っているところは?

名古 僕は派手なものが好きなので、蛍光色や明るい色が出るとうれしいですね。

松村 僕も色系のスパイクは好きですね。赤なども好んで選んでいました。もちろん、黒や白も好きですけど、カラーのスパイクを履くとテンションが上がります(笑)。

──プロ選手がアドバイスするスパイク選びのポイントは?

名古 まずはミズノを履くべきですね。丁寧なモノづくりで、Made in JAPANの魅力が詰まっている。もちろん、合う、合わないはありますけど、1回履いてみて、ダメならダメでいいと思います。スパイクはずっと履いていくものですし、僕らにとっては仕事道具の一つ。いろいろなものを試しながら自分に合うものを見つけることが大事だと思っています。

松村 もちろんデザインも大事ですけど、見た目ばかりを気にしてカッコ良くないプレーになってしまうより、自分に合ったスパイクを見つけてカッコいいプレーをしたほうがカッコいいと思います。そういうプレーができると、自然とカッコ良く映りますからね。僕はフィット感を大事にしていて、その点で言うと、ミズノに勝るものはそうそうないと思います。ネオ3はもちろんですけど、『レビュラ』や『モレリア』もありますからね。自分に合ったものを履いて、カッコ良いプレーをしてほしいと思います。

──どういうプレーヤーにミズノを履いてほしいですか?

名古 高校生なので、自分がこれまで履き続けているスパイクがあると思いますが、一方で悩んでいる選手も多いはず。そういう選手はぜひ一度、ミズノを試してほしいと思いますね。

松村 名古さんもそうだし、中村憲剛選手や大島僚太選手もそうですけど、ミズノを履いている選手はテクニシャンというイメージもありますよね。パサーやボールを運べる選手には確実に合います。でも永井謙佑選手や僕のような、スピード系のドリブラーで履いている選手もたくさんいます。あらゆる選手にマッチしますが、個人的には、軽さを重視するドリブラーの選手にはオススメしたいです。

By 武藤仁史

元WEB『サッカーキング』副編集長

元サッカーキング編集部。現在は編集業を離れるも、サッカー業界で活動中。

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