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四中工一筋27年…「僕にとってサッカーは樋口士郎」 名将との二人三脚は今年限りも歴史は続く

2018.12.31

今季で退任する樋口監督(右)と山﨑コーチ [写真]=安藤隆人

 四日市中央工と秋田商の高校選手権1回戦。立ち上がりから後手に回った四中工は、秋田商に2点を奪われ、反撃できぬまま0-2の敗戦を喫した。試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた瞬間、名将・樋口士郎監督の四中工の監督としての最後の試合となった。

 かつて四中工のキャプテンとして、選手権準優勝に輝いた樋口監督は、日本ユース代表(現在のU-20日本代表)でもキャプテンとして活躍。本田技研やPJMフューチャーズ(現・サガン鳥栖)でプレーした後、1991年に母校のコーチに就任する。1年目で選手権初制覇(帝京と両校優勝)を経験すると、1995年に恩師である城雄士監督の後を引き継いで監督に就任し、今年で24年の歳月が過ぎていた。

 樋口体制になってから、選手権準優勝1回を経験し、坪井慶介、浅野拓磨という2人の日本代表選手を輩出した。最後は初戦敗退という形で幕を閉じた樋口監督。「ここまでやれたのは優秀なスタッフが自分を支えてくれたからこそ」と口にしたように、樋口監督の横にはいつも気心知れたコーチ陣がいた。

 彼らの絆は相当強いが、中でも常に樋口監督のそばに居た山﨑崇史コーチはまさに“二人三脚”で歩んできた存在だった。

 2人が最初に出会ったのは、今から27年前。山﨑が四中工に選手として入学した年、樋口監督がコーチに就任をした1年目だった。小倉隆史、中西永輔、中田一三の“四中工三羽烏”と、来季から監督に就任する現コーチの伊室陽介、島岡健太などスター選手ぞろいだった3年生の中で、1年生だった山﨑は「僕は先輩たちと比べて才能が無かった。だからこそ、努力では誰にも負けないと思っていた」と、必死で努力を重ねる姿がすぐに樋口の目に留まった。

選手、スタッフを労う樋口監督 [写真]=小林渓太

「ずっと指導者としての資質があると思っていたんです。まず頭がいいし、熱い気持ちを持っていて、勤勉さと人に教える能力は高かった。選手の時から『こいつは指導者タイプやな』と思っていた」とは樋口監督の談。

 そして、山﨑が卒業するタイミングで、樋口の監督就任が決まった。「ウチも部員が多いし、僕が監督になったタイミングで、やっぱりいろいろな新しい血が欲しいと思って、真っ先に山﨑にコーチになってもらおうと思った」と、当時、国立大を目指して浪人生活をスタートさせた山﨑に、樋口監督はすぐに声を掛けた。

「最初はびっくりしました。でも僕は高校時代からずっと指導者がやりたかったので、凄く嬉しかったです」

 浪人生ながら母校のコーチとしての生活をスタートさせた山﨑は、翌年に無事、三重大学に合格。そこからは大学生とコーチの二足の草鞋を履いた。そして教員免許を取り、卒業後は四中工に教師として採用され、今度は教員として樋口監督と同じ立場になって、ずっと一緒に指導をし続けた。

 山﨑のチームでの役割は多岐に渡った。Aチームを指導することもあれば、Bチームや1、2年生を指導して、トップチームに引き上げる重要な役割を担い、さらに遠征や試合、合宿の手続きなど、事務的な仕事もそつなくこなした。

「すべては士郎さん、四中工のため。全然苦じゃないですよ。むしろ楽しいです」

 四中工の試合に行くと、いつも忙しそうにしていても、笑顔を絶やさない山﨑コーチの姿があった。試合中の四中工ベンチは本当にスタッフ間の仲の良さが伝わってきていた。試合中に樋口監督が何かを言うと、山﨑コーチが笑顔で答え、さらに伊室コーチ、万代克己コーチ、村松正英トレーナーの長年の仲間が笑顔で乗っかる。自チームの選手を褒めつつ、樋口監督が「あの選手、良い選手やな~」と相手を褒めると、山﨑コーチらが「ホンマですね。あのパスは本当に見事ですわ」と答えるなど、まさに“士郎ファミリー”で、筆者はその雰囲気が大好きだった。

 ここ3年は全国大会に一度も出られず苦労をした。だが、その中でもスタッフの一体感は一切崩れなかった。だからこそ、キャプテンの山本龍平が松本山雅FCに加入内定し、3年ぶりの選手権にも出場ができた。

「士郎さんの苦労は本当に間近でずっと見てきた。ここ数年は『このままじゃ四中工終わって行くぞ』という危機感を持って、いろんな変革をチャレンジした。いろんな情勢が変わって行く中、勝たないといけないし、選手を育成しないといけない。士郎さんは相当難しかったと思う」(山﨑コーチ)

初戦敗退となり肩を落とす四中工の選手たち [写真]=小林渓太

 そして、ついに二人三脚に終わりの時がやってきた。しかも初戦敗退という厳しい現実を突きつけられて。

「士郎さんもやりきれなかった。僕らもやりきれなかった。選手もやりきれなかった…。でもこれは僕らの指導不足だと思います」

 来年は伊室新監督が誕生し、新たなスタートを切る。山﨑コーチは再び黒子として新体制をサポートする側に回る。

「山﨑は僕やスタッフに対する接し方、チームにおける自分の役割を理解しているので、全て任せられる部分が多い。それに僕らの基本理念を共有しているので、それがある限り、ウチのスタッフは絶対にブレない。だからこそ、伊室が監督になっても、それを共有して、山﨑は山﨑の役割を全うして欲しいと思います」

 現役時代を含めると、27年間、苦楽をともにしてきた樋口監督からエールを送られた山﨑コーチ。目に涙を浮かべて、最後にこう語ってくれた。

「今日の悔しさ、ここ数年の悔しさを挽回して、四中工復活に向けてもっと気合いを入れないといけないと思っています。…士郎さんは本当に人柄が素晴らしい。常にサッカーに対して真摯で、いろんな話をしてくれるし、僕らの話を聞いてくれる。僕にとってサッカーは樋口士郎ですね」

取材・文=安藤隆人

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