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21歳、引退。デウソン神戸・川那部遼が直面した憧れた夢の世界・Fリーグ、フットサルの現実

2018.05.23

2018年3月17日、緑の遺伝子を持つ者たちが集まっていた。デウソン神戸選手主催のファン感謝祭には何人もの選手がいる。このメンバーで最後のひと時を、ファン、サポーターと過ごしていた。だが、そこには川那部遼の姿はなかった。

写真・文=佐藤功(デジタルピヴォ!)
https://twitter.com/digitalpivo

▼無名の若者が自覚を持った1年

 2017年8月5日、9節・府中アスレティックFCに1-5で敗れた後、川那部は下を向き口数が少なかった。この時、川那部のFリーグ通算ゴール数はゼロ。実績のない若手は何かを語ることは許されない。川那部は、そう自分に言い聞かせているようだった。だが、横にいた山田慈英の「最後いきなりエンジンかかって変わりましたよね、本気でぶつかってましたし」の一言で変わり始める。変則日程で7節より先に行われた、8節・名古屋オーシャンズ戦のことだった。
「むちゃくちゃ悔しかった」。

 名古屋10-0神戸のスコアの中、川那部はピッチ上で戦っていた。「最後まで戦う姿勢は見せたかった。このまま不甲斐ないデウソンを見せたくはなかった」と川那部は自らの意思を魅せていた。山田は「ひとり名古屋に戦おうとしてた、必死に何かしようとしてた」と感じ、スタンドにいるサポーターにも伝わっていたと言う。その言葉を聞き川那部は「あそこで戦えなかったらやる意味がない」と顔を上げていた。そのことを話した翌日、10節・対エスポラーダ北海道で川那部はゴールを決め、通算無得点の呪縛から抜け出した。
2017年9月17日、川那部は16節の対戦相手であるシュライカー大阪を、鋭い目つきで威嚇していた。神戸は先制されてしまうが、追いつき一度は逆転。だが、最後に逆転されてしまい4-5で関西ダービーを終えた。

「前半を2-0で終わるのと、2-1で終わるのでは意味が違う」。

 その『1』は、川那部が決めたゴールだった。敗れはしたものの、試合後の川那部の表情には自信があった。ゴールを決めた実績と手ごたえを手にした川那部は、残りのシーズンを戦う。もう迷いはなかった。

 2018年1月7日、最終節を控えた夜、川那部は今シーズン最も印象に残る試合として、26節のバサジィ大分戦について語った。なぜその試合なのか。その理由は単純明快であった。

「自分が決めて勝った試合」。

 自信があふれ出ていた。そして、自分が引っ張るという自覚が芽生えていた。翌日のFリーグ最終節、フウガドールすみだに勝利し神戸は最下位を脱出。川那部はその歓喜の渦の中にいた。

 実績のない若手がひとつのゴールで生まれ変わる。そして、得点を重ねるごとに自信は自覚に変わり、言動も変わる。何もできず悔しそうだった川那部が、1年を通しちょっと生意気なことまで言うようになった。ここから栄光と挫折を味わい、さらに川那部遼という人間の魅力が増していく……はずだった。

 2018年2月8日、21歳の川那部遼は引退を表明した。

▼罪深き夢

 川那部は今、「Fリーグって何?」と言われたこともある大学職員のアドバイスに従っている。ユニフォームを脱ぎ、リクルートスーツに着替えていた。ファン感謝祭にいなかった理由は、就職活動のため。同級生である他の大学生と同じような生活を送っていた。
フットサルには夢があると説く。子供たちに技術を教え、素晴らしい選手に育てる。これを『教育』と言う人たちがいる。だが、フットサルを用い教育する者は、子供たちの未来に対し最も重要な部分を教えていない。

 10年以上経過したFリーグは、まだプロとしての環境が整っていない。選手個人が実力を磨いてもプロにはなれない現状である。

 ある選手は言った。「子供たちにフットサルは教えるけど、Fリーガーになれとは言えない」と。プロではない彼は、自分が自慢できるほどの者ではないと自覚していた。大人たちは、学んだことを生かし稼ぐ方法を子供たちに教えることができない。教える者が稼ぐ方法を知らない、フットサルのみで生計が立てられない世界がそうしている。そして最後は、自分でどうにか稼ぎなさいと突き放すしかできず、最後まで子供たちの未来を背負うだけの責任を持っていない。

 大人になっても苦しんでしまう。引退後、それなりに年齢を重ねた社会人経験の乏しい状態で社会に投げ出される。夢を教えられ追い続け、現実は誰も教えてくれなければ助けてもくれない。そういった子供たちの将来が、大人たちの姿に映し出されている。

 その子供たちが大人になり、また育成の現場に移り、また同じような夢を伝える。子供たちの競技力を上げながら、自らが競技だけでは生活ができていなかった世界に呼び込んでしまう。そして、指導者の過去と同じように、社会に投げ出される未来が待っている。競技しかできない、狭い世界でしか生きられない若者たちを量産する負の連鎖が今も続いている。
夢を語ることは罪深いことである。将来の不安という現実が奥にある。

▼誰よりも大人だった21歳

 21歳、引退。その理由は就活。同じことが二度起きた。川那部遼は、昨年当時シュライカー大阪に在籍していた水上洋人と同じ方法を取った。

 彼らは短い現役生活で、夢の先にある現実を目の当たりにした。そして、抜け出せなくなる前に外に出た。夢だけでは生きていけない、2年続けて21歳の若者は現実を見る大人の考えを持っていた。夢を語り続けるフットサル界ではなく、現実に役立つ大学を選んだ。それは生きるため、就職において最大のチャンスである『新卒』を活用することにした。企業の面接官に、Fリーグの経験を大学時代の思い出として彼は自己PRに使うこととなる。

 彼らは自らの引退という行動で、Fリーグやフットサル界、スポーツ界に訴えた。これは、将来に不安を抱え続けたままの現状に対する訴えである。世界が変わらなければ、彼ら訴えは呆れに変わるのだろう。そして、彼らを応援した人たちの悲しみはさらに深まるだろう。

 2018年1月7日、川那部は言葉に詰まりながらこう語った。
「もっと成長するために、もっと厳しい環境に自分を置いて意識を変えたい」。

 もう決めていた。だから言葉に詰まっていた。そして最後に本音が少しこぼれていた。

「成長するところに行くべきだと思います。それがフットサルか他のことかはわからないですけど」。

 続けることよりも、変えることの方が厳しい。川那部遼は人生を変える、新しい生き方を探していた。

選手をやる意味は?厳しさを求める岡崎チアゴのいるFリーグ、フットサルの現実

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