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【独占】「過去を振り返らない」中田英寿に、あえて20年前の“あの日”の話を聞いた

2018.09.15

1998年9月13日、ペルージャ対ユヴェントス戦後に中田とデル・ピエロは互いを称えるように握手をかわした

インタビュー・文=岩本義弘

 1998年9月13日。ちょうど丸20年前のこの日は、日本サッカーにとって特別な日だ。日本サッカー、いや、アジアサッカーが、初めてリアルにヨーロッパトップレベルのサッカーシーンで認められた日、と言えるかもしれない。

 この日にイタリア・ペルージャのスタディオ・レナート・クーリにて行われた1998-99セリエA第1節ペルージャvsユヴェントスにおける中田英寿の活躍はそれだけのインパクトがあった。

 1998年6月にフランスで行われたワールドカップにて、初出場国のエースとしてある程度のインパクトは残した中田だったが、ヨーロッパのサッカーシーンではまだ無名の存在だった。7月24日に、セリエA昇格組のペルージャへ中田が加入したことも、日本では当然大きく報じられたが、イタリアではほとんどニュースにはならなかった。当時のセリエAは、ヨーロッパ各国リーグの中でも、頭一つ抜けた存在のリーグで、世界中からトッププレーヤーが集まっていたリーグであったから、それも当然である。

 ペルージャの開幕戦の相手ユヴェントスはセリエAの中でも、飛び抜けた実績と強さを持つクラブだった。その輝かしい歴史に加え、前2シーズンを連覇し、3連覇を狙うシーズン開幕を迎えたユヴェントスは、ジネディーヌ・ジダン、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フィリッポ・インザーギ、エドガー・ダーヴィッツといった錚々たるメンバー。当然、戦前の展開予想では、ユヴェントスが圧勝する、という見方がほとんどだった。

 試合はダーヴィッツ、イゴール・トゥドール、ジャンルカ・ペッソットのゴールで、前半を終えた時点で「ペルージャ 0-3 ユヴェントス」と、戦前の予想そのままのスコアとなる。両者の実力差から考えても、ユヴェントスの勝利は、もはや確定だとすべての人が思ったに違いない。

 しかし、試合はここから予想外の展開を見せる。右サイドのジャンルカ・ペトラーキからエリア右に走り込みながらボールを受けた中田が、角度のないところから放ったシュートは、名手アンジェロ・ペルッツイの左脇をすり抜けてゴールへ。記念すべきセリエA初試合で初ゴールを挙げた中田は、さらにその直後、CKのこぼれ球を右足ボレーで叩きつけて2点目を挙げる。レナート・クーリはまさかの展開に騒然となった。結局、その後は試合巧者ぶりを見せたユヴェントスが、3-4で何とか勝ち点3を得たが、王者ユヴェントス相手に堂々たる戦いぶりを見せたことで、ペルージャはもちろん、2得点を奪った“NAKATA”の名前は、翌日の各メディアで大きく報じられ、一躍、その名はイタリア中に知れ渡ることになった。

 その後の中田のキャリアについては、ここでは改めて触れないが、この試合での活躍が、その後の彼のキャリアに大きな影響を与えたのは間違いないだろう。あの日から20年。2006年のドイツワールドカップを最後にその選手キャリアを終え、現在はサッカーとは少し離れた距離で過ごしている中田は、今あの日のことをどのように振り返るのだろうか。9月13日当日、「過去を振り返ることのない」男に、あえて20年前のあの日について話を聞いた。

* * *

■「試合に対するプレッシャーというのはなかったですね」

2018年9月13日、取材は東日本橋にある宿泊施設「CITAN」内にオープンした「CRAFT SAKE WEEK@KITKAT BAR」で行われた


――初めてのセリエAの試合、ユヴェントス戦を前にした時の、自分自身の気持ちについて覚えていますか?
中田英寿 細かくは覚えてはないけれど、あの時にイタリアで僕に期待している人は一人もいなかったわけだし、また相手がユヴェントスということで、当然誰しもユヴェントスが勝つと思っていた試合だったから。むしろ、自分としては、試合に対して気負うということは最初から全くなかったと思う。もちろん、日本から記者がたくさん来て面倒くさいな、というようなことは思ってたはずだけど(笑)。試合に対するプレッシャーというのはなかったですね。

――相手がユヴェントスということで、気負うこともなく?
中田英寿 全然。もう相手があれだけのスター選手のチームだと、気負っても仕方ないしね。ただ、うち(ペルージャ)の選手たちはかなり緊張していたと思う。

――そうですよね。セリエAへ昇格していきなり初戦がユヴェントスですから。
中田英寿 そう。もちろん、みんなはセリエAのレベルもユヴェントスの強さもわかってただろうし。でも、こっちは何も知らなかったわけだから。「すごいヤツらとやれるな」という楽しみな気持ちはあったと思うけれど。

――試合が始まった後は、どんな感覚でした?
中田英寿 試合が始まって、特に向こうも最初からすごいプレッシャーをかけてきたわけでもなかった。当然、最初からなめてる部分はあっただろうし、かなり余裕でプレーしていたとは思う。一方、こっちは「周りがビビって動かないな」みたいな感じで、さてどうするかと。そんな感覚があった記憶はありますね。

――前半で3点のビハインド。ロッカールームの雰囲気は?
中田英寿 チームメートは正直前半0-3で「ああ、やっぱり」みたいな感じで意気消沈してたかな。でも、自分個人としては、全然やれてたという感覚はあったから、後半どうやろうかなと。練習試合ではほとんど回ってこなかったボールが、この試合ではけっこう回ってくるな、という印象はあったかな。

――それまでは、パスがこなかったんですか?
中田英寿 もうチームに合流してからずっと。練習も練習試合も含めてほとんどパスは来ない。いくら良いプレーをしても全く来ない。練習の時も、ボールを持ったらそれなりにやれてたという自負はあったけど、他の選手もみんなプライドあったんだろうね。とにかく、いつまで経ってもパスは来なかったから、これは試合で結果出さないと変わらないんだろうな、と感じてた。だから、まずは自分でボールをカットして、自分で点を取りにいくような形じゃないと難しいという感覚だったかな。

――その中でも信頼できる選手は何人かはいたんですか?
中田英寿 ゼ・マリア(ブラジル)やミラン・ラパイッチ(クロアチア)といった外国人選手は、イタリア人選手とちょっとスタンスが違ったね。彼らはイタリア人じゃないから、変なプライドが邪魔しない。

――今とはだいぶ感覚が違いますね。
中田英寿 確かに。当時はまだまだそういった意味では、サッカーが今のように国際的ではなくてあくまでもヨーロッパのものであり、ヨーロッパ中心に全てが回っていた時代。特にヨーロッパでも、その時のイタリア、スペイン、ドイツ、イングランドが中心で、その中でも結局イタリアを中心にサッカーの世界は回っていたから。しかも、その中心であるイタリアだったわけで。

■「何かが変わる時はドラマティックな展開ですからね」

デビュー戦で訪れたハットトリックのチャンス、中田は「別にハットトリックを取ることが僕の目的なわけでもない」と言い切った


――試合に話を戻しましょう。0-3で負けている状況での後半、ヒデさんとしては何かプレーを変える必要は感じていました?
中田英寿 いや、特には。自分のプレーは悪くないしね。ただ、よりゴールに近いところでボールを受けてシュートを打っていかないとどうにもならないな、とは思ったかな。もう、ディフェンスでどうするとか、後ろでボールを受けて組み立てどうこうじゃなくて、とにかく点を取りにいかないと仕方がないと。もう0-3だしね。ちょっと無茶をしてでも前にボールを取りにいってシュートまでもっていかないと、という感じだった。

――そして初ゴールが生まれます。あのゴールを振り返ってもらえますか。
中田英寿 ペトラーキからボールが出てきて。受けた時点でペナルティーエリアの端のところで、かといって中に上げたところで誰かいたかと言われてもいなかったし。後ろからFWが走ってくるくらいで、相手のディフェンスのほうが多かったから、正直、選択肢はなかった。もちろん、普段は確度のないあそこからはシュートを打たないことが多かったと思うけれど、でも逆にパスの選択肢もなかった。そうすると他に何ができるって、ドリブルで抜いて中に入っていくしかないんだけど、それも1対2とかの状況でかなり難しい。結局はシュートを打つしか、選択肢がない状況だった。

――点を取った後、ユヴェントスの対応は変わりましたか?
中田英寿 ユヴェントスの選手たちも、0-3から1-3になって2点差になった時に、ちょっと感覚は変わったんだと思う。当然、彼らももう1点、とどめを刺しにいかないと、と思ったんじゃないかな。ただ、その直後にまたこっちが取ったから、焦った感じはあったかな。

――2点目を取ったことは、1点目以上に衝撃的でした。
中田英寿 2点目も結局はコースを狙ってあそこに打ったということじゃなく、あそこで一番大事だったのは雨の中でぬかるんでたから、まずはふかさないこと。叩きつけると必ずバウンドして滑っていく。とにかく、ふかさないことに気をつけて。だからこそ、インステップじゃなくてインサイドで打ってる。そこをきちんと意識した結果が点につながったんだと思う。点を取った自分よりも、チームメートのほうが喜んでいたけどね(笑)。

――あの得点で、試合の空気が全然違うものになりました。僕ら日本人から見ていても、ちょっと信じられないような感覚はありましたね。
中田英寿 まあ、いつでもね、何かが変わる時はドラマティックな展開ですからね。

――そのあとにPKがあるわけですが、キッカーは決めればハットトリックになる中田ではなく、アントニーノ・ベルナルディーニでした。
中田英寿 PKについては、基本的に試合前にチームで誰が蹴るか決まっているものだし、別にハットトリックを取ることが僕の目的なわけでもない。試合に勝つことが大事なわけで。そこで誰が決めても、3-4になった後に追いつくことが大事。なので、全く異論もなければ何とも思わなかった。

――試合が終わった後の雰囲気については覚えていますか?
中田英寿 終わった後は、前半で0-3になりながら、ユヴェントス相手に3-4までいけたということで、終わった後もまるで勝ったかのような、ある種の喜びと安心感があった感じだった。それは、選手だけじゃなくて、ファンの人たち含めてスタジアム全体もそうだったと思う。逆にユヴェントスはまるで負けたかのような感じで。

――結果的に、このシーズン、ペルージャは残留を果たしますが、開幕戦の結果は、チームにとってすごく大きかったと感じます。
中田英寿 僕のサッカー人生は、結局、小中高、そのあとも含めて優勝争いしたことはローマでの1回しかなくて。それ以外は比較的弱いチームにいることが多かったから(笑)。だけど、降格したとか最終的にダメだったことは1回もない。代表でも、U-17、ユース、オリンピック、A代表含めて、アジア予選で負けたことはない。そこは、自分の中では重要なポイント。ペルージャにとっても、昇格して1年目で、最終戦までもつれはしたけれど、残留を果たしたのは本当に大事だったろうし。

■「ペルージャは今でも特別な街だよね」

「ペルージャに行ったら『懐かしいな、やっぱりいいな』と思うのは自然」


――自身にとって、改めて20年前の今日の試合はどういう位置づけですか?
中田英寿 僕自身は過去を考えないようにしてるから、今回はこういうインタビューということで特別に答えてはいるけども(笑)。もちろん、覚えてないわけでもなく、過去が悪いわけでもなく。ただ、過去は過去であって、変えられるものでもないし。自分にとってはやっぱり過ぎたことであって。もちろんそれがあったからこそ、その次があって今がある、とつながっているとは思うけど。自分はいつも前のこと、先のことを考える人間だから。だから、あの時はどうって言われても、「うん、そういうものはあったね」という事実だけかな。変わらない、それは。

――あの時に初めて、ヨーロッパのトップレベルのサッカーと日本サッカーが、中田英寿を通じてとても近くなった瞬間だと感じます。
中田英寿 それは周りの人が思ってくれればいい。その後に日本人選手が行くきっかけになったと言われるのはうれしいけども、それを考えてやっていたわけでもないし。逆にそれを言われると、なんだかおこがましいな、と自分としては正直感じる。

――最後に、ペルージャという街に対しての想いを改めて聞かせてください。
中田英寿 やっぱり生まれ育った街である山梨だったり、初めてプロとして過ごした平塚だったりと同じく、ペルージャも特別な街なのは間違いない。平塚には3年半しかいなかったし、ペルージャにも1年半しかいなかったけども、でもやっぱり今回も行って思ったけど、そこでサッカーだけをやっていたわけじゃないから。サッカーをやっていた時間よりも、そこで生活していた時間のほうが長いわけで。そこでいろいろな人と会って、いろいろなものを見て過ごして、練習場での時間よりも街にいた時間のほうが長いわけで。だから、その時間はどうしても忘れられないものになってくる。むしろサッカーよりもそっちのほうが懐かしいというか。ペルージャに行ったら、「懐かしいな、やっぱりいいな」と思うのは自然だと思う。だから、そういう意味ではペルージャは今でも特別な街だよね。

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