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【インタビュー再録】中田英寿「やっぱり僕はイタリアが好きです」

2018.09.13

CALCIO2002特別編集『NAKATA Renaissance』(2009年6月掲載)

約11年前、カルチョの国へと渡った中田英寿。なぜペルージャを選んだのか、どのような生活を送っていたのか。思い出の地、古都ローマで語る。

インタビュー・文=岩本義弘
写真=高橋 在

■「『いかにサッカーに集中できる環境を 作ることができるか』ということが大事でした」

――今回はヴァンサン・カンデラの引退試合(6月5日、オリンピコで開催)に出場するために、ここローマを訪れたわけですが、ローマに来たのはいつ以来ですか?

中田英寿 「かなり久しぶりですね。最後に来たのは、たぶん2年くらい前だと思います」

――ローマはかつて住んでいた町なわけですが、やっぱり、落ち着ける場所なんでしょうか?

中田英寿「落ち着ける場所かというと、ちょっと違うかもしれません。ただ、やっぱり、楽しい場所ではあります。当然、友達も多いし、また、ローマという場所自体が歴史のある町で、町並み自体が歴史的な建造物であふれているので、これまでいろいろな町に行き、イタリアでもあちこちに住みましたけれど、やっぱり、町としてはローマが一番面白い町ですね。だから、そういう意味でもここに来ると楽しいです」

――さて、今回はたっぷりとイタリア時代のお話を伺わせていただくわけですが、まずはペルージャ時代の話から聞かせてください。ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)からペルージャに移籍した時には、事前にペルージャの町についてもある程度の情報を得てから、移籍を決断したんですか?

中田英寿「いや、町については、ほとんど知らなかったですね。あの時、一番大事だったのは、どこの町に住むかというよりも、監督の考え方やチームの状況というものだったので。だから、まずは監督に会って話を聞くことを何よりも優先していました」

――実際にカスタニェール監督に会って、具体的にどんな話を?

中田英寿「監督がどういうサッカーをやりたいと思っているのか、自分にどういうことを求めているのか、といったことですね。そういう話を聞いて、当時は他にも移籍先の候補があったのですが、様々な要素を考えて、ペルージャが一番いいかなと」

――実際にペルージャの町に住み始めて、どのような印象を受けました?

中田英寿「まず、とても外国人が多いということ。ペルージャには外国人大学があるためなんですが、最初はビックリしましたね。町自体の印象は、決して大きな町ではないですけれど、歴史がある町ですし、何よりこぢんまりとしていてかわいらしい町という印象を受けました。郊外にも、雰囲気の良い町が多く点在していて、すごく環境の良い所ですよ。そして何より、サッカーに集中するには願ってもない環境だったと思います」

――今回ペルージャで取材した、当時のことを知るスタッフが、「ナカタは外に出歩いたりするよりも、家での時間を楽しむタイプだった」と話していましたが、実際、あまり町には出なかったんですか?

中田英寿「まあ、僕は基本的に家にいることが好きなので、そういう意味ではそうですね。ただ、ペルージャの時は、まだ言葉が分からなかったので、その影響も大きかったと思います。少しでも早くイタリア語を話せるようにならなければいけなかったので、家で勉強することも多かったですし。当時はとにかく、「いかにサッカーに集中できる環境を作ることができるか」ということが大事でしたから、その環境を作る上で、イタリア語を話せるようになることは、非常に重要なことでした。それと、環境作りと同様に重視していたのが、自分のリズムを作るということ。やっぱり、生活のリズムが安定しないとサッカーにも集中できないので、その点にはすごく気を付けていましたね」

――今振り返ってみて、当時の自分はうまくやれていたと思いますか?

中田英寿「いや、もう全く問題なく(笑)。サッカーに集中するためには、日本でやっていた自分の環境と同じものをどこの場所でも作るということが大事だと考えていたので。「イタリアへ行ったからこれをやんなきゃいけない」ではなくて、できるだけ日本でうまくいった環境と同じ環境をイタリアでもできるように、と考えていました。だから、日本のトレーナーにイタリアへ来てもらったり、ということを含めて、できる限り同じ環境を作り上げて、あとはそれでも生まれる多少のズレを、いかにして調整してフィットさせるか、というところを詰めるだけでしたね。

――プロキャリアの中で、いろいろなチームでのプレーを経験しましたが、常にその点を最優先していたわけですね。

中田英寿「そうですね。ただ、最初の海外のチームだったペルージャは特別でしたよね。ペルージャでそれができれば、その後はどこへ行ってもやるべきことが分かるわけですから。

■「イタリアに戻ってきてちょっと時間が経てば、イタリア語も出てきますけれど」


――イタリア語に関して、ストレスを感じなくなったのはいつ頃ですか?

中田英寿「ローマ時代ですね」

――たった2年ほどで、ストレスを感じないレベルまでいったんですか!

中田英寿「ベルマーレ時代から勉強し始めてましたし、イタリアに来てからもかなり意識的に勉強したので、ペルージャ時代には監督やチームメートとのコミュニケーションでは、もうほとんど問題なかったと思います。ただ、インタビュー取材や記者会見といった公の場で話すには、ある程度きっちり話せるようになってからでないと自分が納得しなかったので、かなり引っ張って、そしてローマ時代に、初めてイタリア語で記者会見しました」

――「自分の納得できるレベルになってから」という点に、性格が出てますよね。他のことでも一事が万事、そうなんじゃないですか?

中田英寿「そうですね、まあ、クセというか……。元々、こういう人間なんです。すべてにおいて、きちんとやっていかないと気が済まない。英語についても同じ感じですよね」

――以前にインタビューさせてもらった時に、「英語のほうがイタリア語以上にストレスがない」というのを聞いて、びっくりしました。

中田英寿「やっぱり、英語のほうが使う機会も多いですからね。こうやって、イタリアに戻ってきてちょっと時間が経てば、イタリア語も出てきますけれど、引退して世界中を転々とするようになってからは、やっぱり英語を使うことが多いので、そうすると英語のほうがすんなりと出てくるようになりますよね」

――これはあくまで僕個人が感じた印象ですが、イタリア語をしゃべっている時は、日本語や英語を話している時よりも、声のテンションが高いように感じます。

中田英寿「それはイタリア語の持っている性質じゃないですかね。イタリア語は、冗談を言いやすい言葉であり、話しやすい言葉であり、歌にも適している言葉だと思うんですよ。だから、そういう印象を持たれるんだと思います」

■「満員のスタジアムから、一斉に人が なだれ込んでくるのは、ホントに怖かった」


――ペルージャで1シーズン半、プレーした後、ローマへ移籍しました。シーズン途中での移籍でしたが、環境の変化には順調に対応できたんですか?

中田英寿「最初の1、2カ月は大変でしたね。いや、もっとかな。特に最初の2カ月くらいは大変だったと記憶してます。ちょっとご飯食べに行くにしても、パパラッチに毎日のように狙われたり、サポーターの問題があったり……。サポーターの問題というのは、単にサポーターに囲まれてしまったり、ということだけではなくて、ローマの町には、ローマだけじゃなくラツィオのサポーターも当然いるわけで、例えばラツィオのサポーターが経営しているレストランと知らずに行ってしまうとやっぱり問題なわけで……。とにかく、ちゃんと大丈夫な場所が分からないうちは大変でした。それが分かり始めると、すごく楽しいんですけど、それまでの半年くらいは難しかったですね」

――ペルージャ時代には、ローマというクラブに対して、どんな印象を持っていました?

中田英寿「正直、ローマについてはそれほど知らなかったです。有名な選手がたくさんいる、というくらいだったと思います」

――ローマでは、スクデット獲得の瞬間も体験しました。あの時の体験は、長いキャリアの中でも、相当インパクトのある体験だったと思います。

中田英寿「確かに、あれはインパクトありましたね。イタリアはもちろん、他の国のリーグでの優勝の瞬間でも、あんなになることはないですから(笑)」

――優勝した瞬間について、当時を思い出してもらえますか。

中田英寿「まず、残り時間がまだ15分くらいある段階で、サポーターが一回、ピッチに入って来たじゃないですか。あの時、すでにかなり混乱状態だったので、「これはまずいな」と。スコア的にも、雰囲気的にも、すでにうちが勝つことはもう分かっていたので、試合中にもかかわらず、選手同士も終わった後の話をしてて、試合が終わりに近付いた頃には「、もうすぐ終わるぞ、出口に近付いておけ!」とか言い合ってるわけです。それで、試合終了の笛が鳴ったら、というか、試合終了の笛が鳴る前に観客がなだれ込んできたので、その瞬間にダッシュでした。満員のスタジアムから、一斉に人がなだれ込んでくるのは、ホントに怖かったですね……」

――あの日は結局、消防士の車で送ってもらったんですよね。そうでもしないと帰れない状態だったと。

中田英寿「もう、スタジアムから出ることすらできない状態でしたから。

■「バルセロナの試合を見ていると、日本代表と似ている部分を感じる」


――今回は久しぶりにそのオリンピコでのプレーとなりました。両チームともに、すごいメンバーが集まりましたが、カンデラはそれだけみんなに愛されるキャラクターなんですか?

中田英寿「彼は当時から、常に輪の中心にいるようなタイプだったし、みんなに愛される人間でしたね。それと、『フランス98』(98年フランスワールドカップで優勝を果たしたフランス代表)のメンバーは、当時の仲間でチャリティーマッチなどに出場する団体を作っているから、集まりやすいんですよね」

――ローマのほうは特にそういう団体は作ってないですよね?

中田英寿「ローマのほうは、これまで集まるような機会もなかったですからね。だから今回、こうやってみんなに久しぶりに会えて、うれしかったです」

――引退した選手はともかく、まだ現役でプレーしているフランチェスコ・トッティやヴィンツェンツォ・モンテッラも出場したのには驚きました。彼らの場合、貴重なオフの時間を割いているわけですよね。

中田英寿「確かに、そうですよね。ただ、終わってまだ1週間くらいですから。シーズンが終わっても、だいたい1週間くらいはチームに拘束されるのが普通なんですよ。練習があったり、何かの試合があったり。だから、オフとはいえ、そこまでの状況じゃないんじゃないですかね」

――オリンピコといえば、先日、チャンピオンズリーグ決勝、バルセロナvsマンチェスター・ユナイテッドの試合が行われました。あの試合は見ましたか?

中田英寿「ライブでは見ていません。後から、スポーツニュースでハイライト映像は見ましたけれど、試合を通してはまだ見てないです。僕は元々、サッカーの試合中継をライブで見ることは少ないんです。もちろん、良い試合を見るのは好きですよ。でも、見て、『本当に良い試合だな』と思える試合ってそんなに多くないじゃないですか。事前に「この試合面白そうだな」と思えるカードだって、実際にやってみたらダメだった試合もたくさんあるし。だったら逆に、「良かったよ、この試合」と言われた試合を見たほうがいいですよね」

――だったら、今回のチャンピオンズリーグ決勝は、ぜひ見たほうがいいと思いますよ(笑)。ちなみに、最近お気に入りのチームはありますか?

中田英寿「やっぱり、バルセロナは面白い試合をすることが多いですよね。そうそう、彼らの試合を見ていると、日本代表と似ている部分を感じるんですよ。もちろん、まだまだレベルの差はありますけれど、目指す方向は似ていると思うんですよね。いろいろな場面で差はありますよ。ありますけれど、チームの目指している方向として、似てる感じがするんですよね」

――日本がバルセロナのレベルに近付くためには、何が必要だと思いますか?

中田英寿「当然、すべての面でレベルアップが必要だと思いますが、その中でも特に必要なのは、動きの“質”だと思います。バルセロナは簡単にパスをつないでいますが、その中でいかに相手の裏を取るかっていうことを、チーム全体として常に考えている。彼らのサッカーがすごいのは、単にパスをつないでるだけではなく、つなぎながら、スペースを作り出しているところ。これができるのは、バルセロナとスペイン代表くらいだと思います」

■「良い動きをしても、パスが出てこないこともあるのが、また“イタリアらしい”部分」


――中田英寿がイタリアを去ってから、約4年が経ちました。現在、セリエAのクラブに所属する日本人は、カターニアの森本貴幸のみです。彼は今シーズン、リーグ戦で7ゴールを挙げて、一気にイタリア中に知られる存在になりました。彼の活躍はご存知ですか?

中田英寿「この前、イタリアに滞在している時に、ちょうどカターニアの試合がテレビでやっていて、彼のプレーを見る機会があったんですよ。すごく良いプレーしていたけれど、まだ彼のポテンシャルが十分に発揮されているとは思えなかった。もちろん、僕は彼について詳しくないし、彼のプレーをちゃんと見たのも初めてだったので、良い時の彼のプレーを知っているわけじゃないんですが、自分が見た試合での彼のプレーを見る限りでは、まだチームメートが彼のプレーを理解できていないんじゃないかと。彼が欲しいタイミングでパスをもらえてないから、結果として、自分自身の動きを見失っている部分があると感じましたね」

――チームメートが森本のプレーを理解すれば、もっと活躍できると。

中田英寿「自分がボールをもらいたい場所じゃなくて、「ボールをもらえないから、もらえる場所に動かなきゃいけない」と考えて無駄に動いちゃって、そこでもらっても意味のない場所でもらってしまうことがかなりあった。でも、本当にもらうべき場所でボールをもらって、あとはもっとわがままにやれば、さらに良い結果を出せると思いますけどね」

――森本のプレーを見ていて、「自分だったら、この瞬間に出すのに」と思うこともありますか?

中田英寿「それはもちろん思いますよ。ただ、良い動きをしても、パスが出てこないこともあるのが、また“イタリアらしい”部分でもあって、それには「信用されてる、されてない」という要素もあるし、もちろん、彼の場合はかなりチームになじんで信用されているとは思うけれど、それでも、FWの選手などはわがままなタイプが多いわけで、そういう中でさらに結果を出していくには、わがままに徹して結果を出す、くらいの気持ちでやらないと、自分が苦労してしまう。特にFWの選手はね」

――ピッポ・インザーギみたいな選手もいるわけですからね。

中田英寿「そう、イタリアでは結果を出した者勝ちですから。でも、もう1年、カターニアでやるんだったら、中盤の選手から本当に良いパートナーを見つけて、ボールを持ったら必ず自分を目がけてパスを出してくれるような関係を作ることができれば、良い結果が出せるんじゃないかと思いますよ」

■「また、もう一回、どこでも選べるって言ったら、やっぱりイタリアを選びます」

――ミランでは、カルロ・アンチェロッティ監督の長期政権が終わりを告げ、監督経験のないレオナルドが後任となりました。

中田英寿「彼は確かに監督経験はないですが、長い間、フロントとして、選手との信頼関係を築き上げてきました。しかも、彼は今でもまだまだすごく高いレベルでプレーできる。この前、ジーコのチャリティーマッチで一緒にプレーしましたが、まだ全然衰えてなかったですから。選手に近いから選手の気持ちも分かるだろうし、選手もやっぱり、プレーヤーとしての彼を知ってるから、彼の言うことを聞くんじゃないかと思いますよ」

――非常にクレバーですしね。

中田英寿「そう、彼はクレバーですよね。何カ国語も話せますし、もちろん、人に対しての態度もちゃんとしている。そういう意味ではリスペクトされやすい人間だと思います」

――将来、監督をやってみたいという気持ちはありますか?

中田英寿「今は全く考えてないですね」

――でも、そのうちやりたくなるかもしれませんよ。

中田英寿「もしやるとしたら、僕の場合は、僕の言うことを100パーセント聞いてもらえないと。でも、僕は自分自身がサッカー選手をやっていたので、サッカー選手のことはよく分かっています。サッカー選手を教えるということがどれだけ大変なことなのか」

――中田英寿監督が、プレーヤーとしての中田英寿をコントロールするのは、難しいということですか?

中田英寿「いや、そんなことはないですよ。だって、僕は理屈っぽいから。ちゃんと理屈で僕を理解させてくれれば、ちゃんとやります。でも、説明せずに、ただやれって言われてもやらない。それがなんで必要なのか、ちゃんと説明してくれる、そういう人がいるんだったら僕はやりますよ」

――最後の質問です。もし、もう一度サッカー選手をやり直すとしたら、またイタリアでプレーする道を選ぶと思いますか?

中田英寿「サッカーとしての魅力だけで考えるならば、今はスペインかな、とも思います。ただ、サッカーのやり方や、選手の良い意味での“タルさ”、そういういろいろなものを含めても、やっぱり僕はイタリアが好きですね。また、もう一回、どこでも選べるって言ったら、やっぱりイタリアを選びます」

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