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チームの団結力を高める…菊原氏がチームビルディングの効果を語る/第1回

2017.08.25

インタビュー・文/池田敏明
写真/兼子愼一郎

名門、読売サッカークラブ(以下読売クラブ)のアカデミーからわずか16歳7カ月でトップデビューを飾った菊原志郎氏。“天才少年”と称され、1993年のJリーグ開幕後はヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)や浦和レッズでも活躍した。

引退後は指導者に転身し、現在は横浜F・マリノスのジュニアユースで監督を務め、子どもたちとの対話を重視しながら選手としてはもちろん、人間としての成長を促す役割を担っている。

そんな菊原氏が昨年、サッカーキング・アカデミーが開催した「第2回チームビルディング 短期講座」にゲストとして参加した。チームビルディングとはどんなもので、どんな効果があるのか。短期講座の講師を務め、『今いるメンバーで「大金星」を挙げるチームの法則――『ジャイアントキリング』の流儀』の著者でもある仲山進也氏(横浜F・マリノス所属)が同席する中、菊原氏に話を聞いた。

――読売クラブで当時の最年少となる16歳7カ月でトップデビューを飾りましたが、現役時代はどのような選手だったのでしょうか。
菊原志郎 僕が読売クラブにいた時代は、ラモス(瑠偉)さんやカズさん(三浦知良/現横浜FC)、武田(修宏)さんを始め素晴らしい選手が沢山いる中、僕の役割はいかに仲間にいいプレーをしてもらえるか、というところだったので、周囲を見てしっかり動いて、自分の技術を発揮しながらアシストすることが多かったです。松木(安太郎)さんやキュウさん(加藤久氏)、都並(敏史)さんらDFの選手からいかにうまくボールをもらい、ラモスさんや北澤(豪)さんと一緒に動かしながら、カズさんや武田さんのシュートシーンを引き出したり、サポートしたりできるかを考えながらプレーしていました。

――一緒にプレーした選手の名前を聞くだけでも、すごいチームだったんだな、ということが分かります。
菊原志郎 当時は日本サッカーリーグで2連覇していましたし、日本代表選手プラス外国籍選手、という感じでしたね。紅白戦でBチームに入ると、毎日、相手が日本最強のチームで、松木さんや都並さんとマッチアップすると「お前なんかにボール持たせないぞ!」、「つぶせ!」とか言われて(笑)。毎日、傷だらけでヘトヘトで帰っていました。ただ、人間って慣れるんですよね。1年ぐらいすると「都並さんや松木さんはこうすると対応できる」というのが分かってきました(笑)。

――現役引退後は指導者に転身されました。どんな指導者を目指しているのでしょうか。
菊原志郎 僕はチームを勝たせる監督というよりは、一人ひとりにアドバイスをしたり、一緒に練習したりして、子どもが伸びていくのをサポートする存在でありたいと思っています。僕も多くの指導者に巡り合い、いろいろな影響を受けて成長したという実感があります。だから僕自身も子どもたちのそばにいてサッカーの話をしたり、悩みが出てきた時にアドバイスをしたり、いろいろな練習をさせたり、苦しみながら試練を乗り越えていくサポートをしたりしたいと思い、育成年代をずっと見ています。

――指導する上で特に気をつけていることはありますか?
菊原志郎 年齢が上がるにつれて、難しいことがたくさん出てくるんですよね。子どもの時はやりたいことが何でもできるんですけど、上の年代になって相手のレベルが高くなると、だんだんと自分の弱点がマイナスになってくる。その時には欠点に目を向けることがすごく大事になってきます。僕自身も子どもの頃は得意な攻撃で評価されていたんですけど、トップに上がった時に守備の弱さを露呈してしまって。守備ができないぶん、無駄な労力を使い、それに気を取られて自分の良さを出せなくなってしまったんです。だから若い頃から得意なことだけではなく、苦手なことにも取り組ませなければならないと思っています。子どもって、得意なことは黙っていてもやるのですが、苦手なことはなかなかやろうとしないんですよね。高いレベルに行ったらそれだと困るよっていうのを教えるようにしています。

――昨年10月から11月にかけてサッカーキング・アカデミーが実施した「第2回チームビルディング 短期講座」にゲストとしてご参加いただきましたが、そのきっかけを教えてください。
菊原志郎 僕自身、09年から11年までの3年間、吉武博文さん(現FC今治監督)の下でU-15、U-16、U-17代表コーチを務めたのですが、その時にチームビルディングのようなことをやっていろいろな成果が出たという経験をしていました。その年代の代表選手は、所属チームでは“お山の大将”的存在で好き勝手やっている選手ばかりなんですよね。周囲が自分に合わせてくれて、自分が思うようにプレーできる。でも代表に来ると、その選手がサブに回ったり、脇役に回ったりすることもあり、その中でみんながお互いをサポートして、うまくいかない時に仲間同士、助け合いながら乗り越えていかないと、なかなか代表チームも強くならないし、一人ひとりの良さも出ないんですよね。そうやって、お互いにサポートし合いながら自分の良さを出していくというのをやる中で、うちの喜田(拓也)を始め、それぞれの選手が3年間ですごく変わったんですよ。仲山さんは16年に横浜F・マリノスとスタッフ契約されて、話をするなかでチームビルディングの指導をされていると聞き、自分が担当しているジュニアユースの選手向けにやってみようということになりました。そのとき仲山さんから「ちょうど今、サッカーキング・アカデミーで短期講座をやっているので、ゲストとして参加する形で、まずは内容を見てもらえませんか」と言われたのがきっかけです。

仲山進也 吉武さんがどんなことをやっていたのか、菊原さんから聞いたことがあるんですが、代表では映画やドキュメンタリー番組を見て、その感想をみんなでディスカッションする、といったことをやっていたそうです。

菊原志郎 中澤佑二選手のドキュメンタリー番組を見て、彼がどうやって這い上がったかを振り返ってディスカッションしたこともあります。話し合うと、みんな同じじゃないんだな、いろいろな考えがあるんだな、ということが分かります。ディスカッションしながら意見を共有するという体験を積み重ねて、一体感や団結力を増やしていくんです。そうすればみんなが同じ目標に向かうことができますし、うまくいかない時にも同じイメージを描きながら対処することができるようになります。

仲山進也 それは、まさにチームビルディングだなと思いました。だから、「F・マリノスのジュニアユース向けには、私が吉武さんのパートをやるイメージで」という感じでイメージ共有がスムーズに進みました。

――「短期講座」でチームビルディングのプログラムを実際に体験されてみて、いかがでしたか? 
菊原志郎 会社の経営者の方がたくさん参加されていたのですが、アクティビティのお題に対して「まずやってみよう」と行動に移るのがすごく速いんですよね。僕が指導している中学2年生のチームでやってみたときは、「やってみよう」と言い出すまですごく時間がかかったんですよ(笑)。誰かが動くまで待っている時間が長い。まずはやってみたほうがいいですよね。あとは、誰がどんな言葉を発するかによって、問題解決の方向に進むか、そこから離れていくかが分かれてしまいます。誰かが「これ無理じゃない?」と言うことでみんなが無理だと思っちゃったり、「もうちょっとで近づくのに」というところから離れてしまったりすることもあるし、逆に「いけそう」と言うと、意外とスッと達成できたり。言葉によってチームがネガティブになったりポジティブになったりします。

 

共有することが大事…菊原氏がチームビルディングの効果を語る/第2回

 

菊原志郎(きくはら しろう)
1969年7月7日生まれ。16才7ヶ月でプロデビュー。20才で日本代表入り。天才ドリブラーとも呼ばれ読売サッカークラブ、ヴェルディ川崎(現東京ベルディ)の黄金期を支え、数々のタイトルをクラブにもたらす。
現役引退後も指導者として活躍。2005年、ヴェルディユースにクラブユース選手権、全日本ユースの二冠をもたらす。現在は横浜F・マリノス ジュニアユース監督を務めている。
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