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生粋のサッカー少女が、対戦相手を震撼させた“ある作戦”とは?【Jアイドル/羽島めいさん(アイドルグループ・神宿)】

2017.07.03

小学生から女子サッカーに取り組んできたアイドルグループ・神宿の羽島めいさん

 25年目のシーズンを迎えたJリーグはサポーター文化が成熟してきた一方で、ファン・サポーターの年齢層が高くなっているという懸念材料がある。比較的若年層のファン・サポーターが多い日本代表と比べてその年齢層が高めのJリーグだが、もちろん若年層の熱狂的ファン・サポーターは一定層いることも事実だ。そんな“Jリーグ愛”を公言してはばからない女性アイドルにスポットを当てたインタビュー企画が『Jアイドル』。今回はその特別編として小学生から女子サッカーに取り組んできたアイドルグループ・神宿の羽島めいさんに“サッカー愛”について聞いた。

羽島めい(はしま・めい)
1998年5月25日生まれ、19歳。プレーヤーとして小学2年生から中学を卒業するまでサッカーを続けていた一方で、サッカー審判検定4級を持つサッカー少女。小学6年生のときにはキャプテンとして女子サッカーの全国大会に出場し、ベスト16に進出した。神宿ではクールでしっかり者のMC担当。実姉の羽島みきも神宿で活動している。

――まずは自己紹介からお願いします。

めいりん アイドルグループ『神宿(かみやど)』に所属している青色担当のめいりんこと羽島めいです。神宿は原宿発の五人組アイドルユニットで、神宿というグループ名の由来は、「神宮前」と「原宿」を組み合わせたものです。神宿のアルファベットの頭文字『K・M・Y・D』の、K=KAWAII(可愛い!)、M=MAX(全力!)、Y=YELL(応援!)、D=DREAM(夢!)をファンのみなさんに届けるために、原宿を拠点として活動をしているグループです。

――神宿結成の経緯を聞かせてください。

めいりん 5人全員が原宿でスカウトされました。グループを結成するまでは誰も芸能活動をしたことがなかった素人集団で、所属事務所も神宿ができてからできた事務所です。知名度はゼロでしたが、デビューライブに来てもらうために、秋葉原でビラを配ってファンの方を集めました。グループ結成はワンマンライブデビューの日にあたる2014年9月28日になります。

――めいりんさんは、どういったシチュエーションで原宿でスカウトされたのですか?

めいりん 母と姉と原宿で買い物をしているときにスカウトされたのですが、実は千葉に住んでいても東京に行くのがレアな家族で、スカウトされた日はディズニーランドに行くか、久々に東京に出かけるか、その二択でした。しかもその日、原宿に出かけたのが人生二度目だったんです。原宿で買い物をしているときに、10社ほど事務所の方から名刺をいただいたのですが、最後に声をかけられたのが神宿でした。

――その日、原宿ではなくディズニーを選択していたとしたら、この世界に入っていなかったのかもしれませんね。二択の中からなぜ東京の原宿を選んだのですか?

めいりん どちらに行くか、すごく迷っていて、行き先は当日に決まったのですが、私が寝坊気味だったのでディズニーに行く気が失せてしまい……、東京に行くことになりました。今にして思えば少し寝坊して良かったです(笑)。それでスカウトされるなんて、奇跡ですよ。ビックリです。

――先ほど神宿は素人集団というお話でしたが、デビューまで歌やダンスのレッスンが大変だったのでは?

めいりん グループのみんなと初顔合わせをしてから、1カ月後のデビューが予定されていました。歌も短期間でオリジナル曲を3曲マスターしなければなりませんでした。秋葉原でビラを配りながら歌やダンスのレッスンをしましたし、本格的な歌やダンスは初めてのことなので、スケジュールもキツキツでしたから、なかなか厳しかったです。

――いわゆる“根性”が必要だったと思うのですが、その頑張りも昔サッカーをやっていた経験が生きたりすることはありましたか?

めいりん サッカーをやっていた女子は、ボーイッシュでさばさばしている女子が多かったのですが、神宿は普通の女の子の集団です。サッカーをやっているときのスタンスでコミュニケーションを取りましたが、最初は戸惑うことも多かったです。みんなとなじむのに時間がかかりました。私は人と接することが苦手で、人見知りでもありましたし、以前は自分の気持ちを優先して人の気持ちを考えることができずに周りが見えない子でした。時にはメンバーとぶつかるようなこともありましたし、サッカーをやっているときは面と向かって本音を言い合うようなことはしてこなかったので、本音を言い合うようなコミュニケーションの取り方は神宿が初めてでした。

――そういった歴史を経ているからこそ、いまや神宿は団結力が強いチームになっているのでは?

めいりん 強固な団結力を築き上げてきたと思いますし、みんなで大変な時期も乗り越えてきました。最初はまったく知らない者同士でしたが、一緒に泣いたこともありますし、お互いに分かり合えるようになりました。

▼土日は“サッカー三昧”でした

サッカーを始めたきっかけは、隣のクラスの女の子から渡された一通の手紙だった


――それでは、そろそろサッカーの話題に移らせてください。そもそもサッカーを始めたきっかけは?

めいりん 小学校2年生の新学期に入る直前のことでした。登校中に隣のクラスの女の子からポンと肩を叩かれて手紙を渡されたんです。話をしたことはありましたが、特別仲が良い女の子ではなかったのですが、その手紙の中身を見たら、「一緒にサッカーをやらない?」と書いてありました。それを見たときは「サッカー?えー??」と思いました。女の子なのにサッカーをやろうとなぜ言ってきたのか……不思議な感覚でした。

以前、クラシックバレエをやっていたんですけど、それもやめていたので、ちょうど親も何かを習わせたいと思っているタイミングでしたし、「バスケでもやろうかな」と思っていましたが、サッカーをやることはまったく考えていませんでした。結局、誘ってくれた女の子と体験会に行くことになったのですが、いざ行ってみるとその子はいませんでした。一人で体験会に参加して最初は心細かったのですが、父親が見学に来ていて、私のほうをニコニコと笑顔を浮かべながら見てくれていたので、リラックスして参加できました。

いざサッカーをやってみるとすごく楽しくて、コーチから「女の子なのにキック力もあるし、うまい!」と言ってもらえました。それがうれしくて、「私ってうまいんだ!」とルンルンな気分になって。練習が終わるころに誘ってくれた友人がやってきたので、その友人には「もう練習終わっちゃったよ。明日から行こうね」と声をかけて翌日も行きました。学校のサッカークラブだったのですが、体験会に参加したその日に「やります!」と伝えて入部しました。そのサッカークラブは主に土日の活動で、朝の9時から12時までサッカーをやっていました。

――ポジションはどこでしたか?

めいりん 当時は右のサイドハーフでした。一つ年下の年代にあたる1年生の男の子に混じって、男女混合チームでやっていましたが、女の子は誘ってくれた友人と私の二人しかいませんでした。入部したあと、1年生の大会に出たときがあって、周りのチームからは「女の子がいる」という視線で見られました。試合中に相手選手からボールを奪うと、「なんだこの野郎。女のくせに生意気だぞ」と言われましたし、いつも大会ではチームの中に女の子が混じっていることに、ビックリされました。

――試合にはスタメンで出られる機会が多かったのですか?

めいりん スタメンで出させてもらうことが多かったですね。実はある作戦があったんですよ。その作戦を発動するときは私がトップのポジションに入って、キックオフのあと、いきなりシュートを打つんです。それが結構な確率でゴールに入るんですよ。トーキックなのですが、私はめちゃくちゃキック力があったので、ゴールまで届きました。周りからは“トーキックの子”と言われていましたね。

――作戦が見事に決まったときはどんな気持ちでしたか?

めいりん 「やりぃ!」という感じです。ビックリするぐらい入るから、「今日はめいのトーキックでいこう!」となっていました。でもその作戦が相手に知られると、急に相手が壁を作り始めました。「これは作戦が通じないな」となれば、パス回しで試合を始めるんです。3年生ぐらいになると、コーチから「トーキックはあまり良くない。それは基礎ではない」と指導されました。最初は素人だったからトーキックばっかりやっていたので、それが正解なんだろうと思っていたのですが、コーチにそう言われるようになってからはキックを矯正しようと、インステップで蹴るようになりました。

――誘ってくれた友人も一緒にサッカーを続けていたのですか?

めいりん 小学校6年生まで一緒にやっていました。私は学校のチームでプレーする傍ら、3年生の途中にいろいろな市から選手を集めて女子のクラブチームを作ろうという活動が展開されていたので、その女子サッカークラブにも行ってみようと体験会に参加し、結局、その女子だけのチームにも入りました。女子のクラブチームは土・日の夕方の練習だったので、朝は学校のサッカークラブでプレーして、夕方からは女子のクラブチームでサッカーをやるなど、“サッカー三昧”でした。結局小学校を卒業する6年生まで両立していましたね。

インタビュー・文=郡司聡
記事提供=J論

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