2016.09.21

野々村芳和氏が語る…北海道コンサドーレ札幌に秘められた可能性

海外サッカー専門誌の編集を務めた後にフリーとなり、ライター、エディター、スペイン語の翻訳&通訳、フォトグラファーとマルチに活動を展開中。

インタビュー・文=池田敏明
写真=小林浩一

 2013年3月、コンサドーレ札幌(当時)に、クラブ史上初となるOB社長が誕生した。00年、01年に選手として札幌に在籍し、キャプテンとしてチームを支えた野々村芳和氏だ。

 当時の札幌は12年シーズンにJ1リーグへと返り咲いたものの、わずか1年でJ2リーグへと逆戻りし、再起を図ろうとする時期だった。当時40歳の青年社長の下、様々な改革に乗り出すためには、またとないタイミングだったと言える。

 野々村氏は「コンサドーレが北海道スポーツ界の中心的存在になること」を目指し、様々な取り組みを行い、成果を上げてきた。その熱意が功を奏し、今年1月には博報堂DYメディアパートナーズと7年間という長期にわたるパートナー契約を締結。さらなる高みを目指すための態勢が整いつつある。

 バイタリティーあふれる青年社長に導かれ、コンサドーレは今後、どのようなポジションを目指していくのか。野々村氏自身が、その青写真を語ってくれた。

北海道スポーツ界の中心となるために

――2001年に現役を引退された後、解説者としてもご活躍されていましたが、どのような経緯から再びコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)と関わり、代表取締役社長に就任することになったのでしょうか。

野々村芳和 東京でサッカー関連会社を設立したり、解説をしたりしている中で、当然コンサドーレのことも気にしていました。2012年はJ1リーグでプレーしていましたが成績が芳しくなく、クラブのスタッフから相談を受けました。そうは言っても私にできることはあまりないので、『石屋製菓』の石水勲会長(1997年から2005年までコンサドーレの運営会社である株式会社北海道フットボールクラブの代表取締役を務めた)に、もう一度、社長に就任していただくことが最善策ではないかということで、私が依頼をしに行ったんです。奥様ともども説得して、承諾していただいたんですが、1週間後に呼ばれて「やっぱりお前がやれ」と(笑)。それがきっかけですね。

――石水会長は、どうして野々村さんを社長に推薦したのでしょうか。

野々村芳和 それは石水会長にしか分からないことですし、うかがったこともないです。私自身の中には、自分が社長をやるという発想は全くありませんでした。でも、石水会長のようなひらめきや発想をお持ちの方の存在なくして、私みたいなキャリア、年齢の人間がクラブの社長に就任することはないと思います。

――現役時代に見ていたコンサドーレと、解説者として外から見ていたコンサドーレ、そして代表取締役社長に就任されてからのコンサドーレには、どのような違いがありましたか?

野々村芳和 00年、01年に選手として在籍して、サポーターの多さや熱狂的な雰囲気、メディアからの取り上げられ方がかなり印象深かったので、クラブや北海道のサッカーのことはすごくいいイメージで見ていました。引退後は、ただサッカー的にどうか、という部分だけを見ていて、昇格と降格を繰り返していたので「惜しいな、もう少しだな」と思っていました。そして実際にクラブの中に入ると、勝てない理由を今まで以上に考えますし、さらに言うと勝つことがすべてなのか、北海道スポーツ界の中心的存在としてどうあるべきか、なども考えていて、いろいろなものが見えてきましたね。可能性はすごく感じる場所なので、言い訳はできないな、と思いながらやっています。

――社長に就任された当初、クラブはどのような状態で、どのようなことに取り組んでいったのか教えてください。

野々村芳和 クラブがどのサイズになっていくべきかを最初に考えました。札幌市の規模、そして僕が現役時代にプレーしていた頃の感覚から言うと、J1クラスのクラブになるべきだと。一方で物理的な問題として、札幌ドームをメインスタジアムとして使用しないとクラブライセンスが下りないんですが、札幌ドームの使用料はかなりハイコストなんですよ。その中で利益を出すとなると、集客をして売り上げを増やさなければならない。そのためには多くの方々にコンサドーレのことや試合のスケジュールを知っていただき、興味を持っていただく必要があり、そのためのプロモーションをどうやっていくかが最初に取り組んだことでした。債務超過の解消も課題としてありましたが、そのためにもとにかく売り上げを増やさなければならない。そんな状態でした。

――課題を解消するために様々な取り組みをされる中、16年1月には博報堂DYメディアパートナーズとの提携を発表されました。この契約の狙いを教えてください。

野々村芳和 クラブを急成長させるためには資金も人員も必要だと思ったんですね。その両方をどうやって手に入れるかと考えた結果、このような選択になりました。ビジネスなので先方にもメリットがなければいけないのですが、サッカー業界の可能性はしっかり伝えることができましたので、そのおかげで一緒にやってみようと思っていただけたのかなと思います。

――この契約はコンサドーレにとってどのようなメリットがあると考えていますか?

野々村芳和 広告代理店にはいろいろな業務があり、任務に携わっている方々が日本中にいらっしゃいます。その経験を持つ方がクラブに入ってくれるのは絶対にプラスだと思います。「高い志はあるけど、どうすればいいのか分からない」というのはサッカークラブではよくあることなので、それを解決できるのがまず一つ。もちろんそれなりの金額を支援していただけるので、どう使って伸ばしていくかを考えられるようになったのも大きいですね。

――今シーズンより運営会社名を『株式会社北海道フットボールクラブ』から『株式会社コンサドーレ』へ、チーム名は『コンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌』へ、そしてホータウンを「札幌市」から「札幌市を中心とする北海道」へ変更されました。この変更について経緯や目的などをお聞かせください。

野々村芳和 会社名を『フットボールクラブ』から『コンサドーレ』に変えたのは、サッカーだけでなく様々なスポーツを事業の中に取り入れて、北海道スポーツ界の中心的存在にならなければならないと考えたからです。北海道内ではコンサドーレのブランドイメージはそれなりに高いので、「コンサドーレ=スポーツ」となれば、行政やスポンサーさんが協力しやすくなるのかなと。金銭面で苦労されているマイナースポーツの競技者の方々がコンサドーレの所属になることで、うまくいく可能性が広がればいいな、という感じです。チーム名を変えたのは、北海道のチームであることを改めて表明する意味合いですね。

――現在Jリーグ全体で50以上のクラブがありますが、現状のリーグやクラブのメディアへの取組みをどう見ていますか。

野々村芳和 地域によってメディア環境が違うので一概には言えませんが、SNSやインターネットを使っての取り組みは、どのエリアでもそれほど変わらないと思います。ただ、今はまだ地上波テレビ局の影響力が強く、1、2年で結果を出さなければならない我々からすれば、このコンテンツは軽視できません。そして、各クラブが地上波のテレビ局とどのように取り組んでいけばいいのかは、地域によって全く違うと思います。関東のクラブがキー局の地上波に乗る機会はごくわずかですが、北海道など地方ローカル局があるエリアに行けば、やり方次第で地上波に乗せられる可能性はものすごく高くなります。そこにどれだけ乗せられるかで、集客やクラブの価値にも好影響が出てくると思っていますので、コンサドーレとしてはそこを目指しています。

――今後、コンサドーレがより力を入れて取り組んでいきたいことを教えてください。

野々村芳和 コンサドーレのことを気にしてくれている方はまだまだ多くないと思っているので、少なくとも試合が何時からどこでやるのか把握している人を、10万人ぐらいは作りたい。札幌市周辺だけで約200万人、北海道全域で540万人近い人口がいるんですが、私の感覚だと、コンサドーレのことを常に気にしてくれている方は2万人ぐらいしかいないと思うんですよ。それが10万人になれば、当然スタジアムに来てくれる人の数も増えるでしょうから、そのためにどうやって情報を届けるかが、積極的に取り組んでいかなければならない課題だと思っています。

――Jクラブの経営者に求められる意識や才能、スキルとは、どういったものだとお考えですか?

野々村芳和 チームの優勝を最重要視させると、極端な話、各ディビジョンにつき1クラブずつしか「いい1年だったね」と振り返ることができなくなるじゃないですか。チームの勝利ももちろん大切ですが、最も大切なものはそれ以外の部分にあると思うので、それが何なのか各々、考えられるようになってほしいです。

――コンサドーレの今後の目標を教えてください。

野々村芳和 先ほども言ったように、コンサドーレのことを日常的に考えてくれる“仲間”をどれだけ増やせるか。例えば我々は13年にベトナム代表のレ・コン・ビンをレンタルで獲得しましたが、これによってベトナムの子どもたちの中に、コンサドーレでサッカーがしたいと思った子はいるはずなんですよ。それも“仲間”かなと。これが広がっていくと、もしかするとそれなりに大きなクラブになるのではないでしょうか。もちろんトップチームがどんな成績で、どのディビジョンにいるのかも大切なので、J1に昇格して、そのまま定着することが近々の目標ですね。

 コンサドーレでの現役時代、キャプテンとしてチームをまとめる役割を担っていた野々村氏。社長となった今、その時と変わらぬキャプテンシーを発揮してクラブ経営に携わっている。強力なパートナーを得た野々村氏とコンサドーレの今後が、非常に楽しみだ。

菅原均氏が語る…長期契約に見る博報堂DYMPのビジネス戦略

株式会社コンサドーレ
代表取締役社長CEO 野々村 芳和(ののむら よしかづ)

1972年5月8日生
■経歴
1991年 清水東高校卒
1995年 慶応義塾大学法学部卒
1995年 ジェフユナイテッド市原加入
2000年 コンサドーレ札幌加入
2001年 現役引退
2002年 コンサドーレ札幌アドバイザー
2006年 株式会社クラッキ 創業
2013年 株式会社クラッキ 代表取締役社長退任
同年  株式会社北海道フットボールクラブ(現・株式会社コンサドーレ)代表取締役社長CEO

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