2013.02.15

“ゴール裏に始まり、ゴール裏に終わる”ザンクトパウリ――浅野祐介

 サッカーの魅力を映画で体験する「ヨコハマ・フットボール映画祭」。3年目の今年は、世界中から集められたサッカー映画の中から7作品がラインナップされ、2月11日の初日を皮切りに、16日、17日の3日間で一挙に上映中。

 今回は、ワールドサッカーキング編集長として『サッカーキング賞』を選出し、リコメンド作品を発表させていただきます。

『狂熱のザンクトパウリ・スタジアム』

 舞台はタイトルの通り、2009-10シーズンのザンクトパウリのホームスタジアム。あるホームゲームの“ゴール裏”にフォーカスし、「ゴール裏に始まり、ゴール裏に終わる」映画、それが『狂熱のザンクトパウリ・スタジアム』です。

 そもそもザンクトパウリとはどんなクラブなのか。弊誌が提携するイタリア誌に興味深い記事があったので、まずはこちらから紹介しましょう。タイトルは『ブンデスリーガの異端児ザンクトパウリ』。

「ザンクトパウリはホモセクシャルだ」、こう記された横断幕がシュトゥットガルト戦のバックスタンドに掲げられた。ザンクトパウリが一風変わったクラブであることに間違いはない。このクラブはいまだかつて何のタイトルも手にしたことがないが、彼らは既にブンデスリーガの伝説になっている。タイトルどころか、これまで彼らは常に経営危機の中にあり、ピッチ上の成績も「悲劇的」と言うほうが適切な状態だった。ザンクトパウリの軌跡を語るには、1冊の本では不十分だ。そこで、この街に赴き、彼らが“カルト”となっている秘密、エピソードを解き明かしてみたいと思う。

 クラブが創設されたのは1910年。ただ、当初の彼らの活動は“正式な記録”として存在しない。ドイツサッカーの年鑑にザンクトパウリの名前が姿を現すのは第二次世界大戦終了後のこと。1948年、ドイツは連合軍の統制化にあった。ハンブルクの町にはイギリス人が多く住む地域があり、“ブリタニアゾーン”と呼ばれるこの地域に本拠を構えるザンクトパウリは47-48シーズン、西ドイツ北部の一部リーグでプレー。同シーズン、ファイナルの舞台に進出したが、同じ街の最大のライバルであるハンブルガーSVに6大敗を喫した。49年と50年も全国大会の準々決勝まで進出したが、当時のザンクトパウリにとってはそれが限界だったようだ。そこから先、彼らはドイツサッカーの歴史の中でしばらく“姿を消す”ことになる。ザンクトパウリの名前が再び世に現れるようになったのは、ブンデスリーガに昇格を果たした1977年だった。初めてのブンデスリーガで、彼らは宿命のライバル、ハンブルガーSVに2-0で勝利を収める。しかし、輝きは一瞬。その後は、この喜びの倍以上の苦しみを体験することになる。“伝説”が生まれたのは、まさに、この苦しい日々だ。

 ザンクトパウリの本拠地は、昔からハンブルクの「ダークサイド」と呼ばれるような地域だった。ハンブルク港の近く、場末の酒場と売春宿が立ち並ぶ地域で、映画でしばしば描かれる、いわば“影の世界”だ。80年代初頭、このエリアの空き家には(特にハーフェンシュトラッセ通り)、若者やアーティストが住み着き、「人民が住居を持つ権利」をかざして行政と戦っていた。この地域は、左翼の人々が理想として描く“自由”の象徴ともなっていた。その後、若者の数が増え、アンダーグラウンド系のアートや音楽の地区になっていく。

 左翼の文化は徐々に街を席巻し、ハンブルガーSVのウルトラスが極右翼に走っていたため、それを嫌った穏健派のファンもやがてザンクトパウリに取り込まれることになった。両クラブの強いライバル意識は、この頃に生まれたと言えるだろう。ハンブルガーSVは上流階級を象徴するクラブで、一方のザンクトパウリはプロレタリア層を象徴する貧しいクラブ。その本拠地も、世界的に有名な歓楽街レーパーバーンのすぐ近くに位置する“ひどく老朽化したもの”という好対照の2つのチームが対立するようになったのだ。

 スタジアムについてもエピソードがある。46年、ザンクトパウリのファンの資金援助もあり、ブダペスターシュトラッセに“たらい”のような小さなスタジアムが完成した。しかし、その後、ハンブルク市は63年の庭園国際博覧会の会場にその地を使うということで、61年に新たなスタジアム建設は中断。国際博覧会終了後、工事は再開、ミラントア・シュタディオンが完成するのだが、ピッチの排水工事の不備もあり(ピッチはしばしば水浸しになった)、スタジアム使用までにはかなりの時間を要することになった。

 70年、スタジアムは33年から69年までクラブの会長を務めた人物の名にちなみ「ヴィルヘルム・コッホ・シュタディオン」と命名された。だが、その直後、コッホ会長が戦時中、ナチ党員であったことが判明し、ファンはスタジアム名を元に戻すよう運動を繰り広げ、民衆の声が勝利を手にする。ザンクトパウリでは市民が絶対的な力を持つ、このことが証明された。

 現在、ミラントア・シュタディオンは約2万5000人の観客を収容できる。正面スタンドの拡張工事は2006年にスタートしたが、資金不足に陥り、完成に2年以上を要した。正面スタンドの修復が終わった際、お披露目試合の相手に選ばれたのは何とキューバ代表チーム。とにもかくにも、彼らは変わったことをするのが好きなのだ。2010年、このスタジアムは動物愛護協会(PETA=People for the ethical Treatment of animals)から、最もベジタリアンフードが手に入るスタジアムとして特別表彰を受けている。

 最後にこのクラブのシンボルマークとなっている“ドクロ”についても触れておこう。なぜ“ドクロ”がザンクトパウリのシンボルになったのか、ハンブルクのジャーナリスト、レネ・マルティンスが書いた本にその由来が書かれている。“ドクロ”マークの創始者とも言える人物は、“プンケンシュタイン”というグループに所属していたマブゼという年老いたパンク歌手。1401年にハンブルクで、絞首刑で死んだ海賊クラウス・シュテルテベカーをしのぶものだと言われている。ある日、マブゼが、その旗を持ってスタジアムに行ったこと、それがきっかけとのことだ。

 さて、少し長くなってしまいましたが、映画『狂熱のザンクトパウリ・スタジアム』ではクラブの政治的背景やカルチャー的なバックボーンはほぼ描かれていません。さらに言えば、ピッチ上のシーンが描かれる場面もほぼセロ。そこには“ただただ熱狂的な”ゴール裏の姿が描かれています。

「いつも試合が待ち遠しい。サポーターはみんな友達。ゴールを決めればみんなでハイタッチ。こんなこと他ではありえない。知らない人と抱き合って喜ぶ。隣の人とぶつかっても楽しいもの。みんな『他人』なのに、でも仲間であって、ザンクトパウリの一部」

 幾分のネタバレにて恐縮ですが、劇中で紡がれるこの言葉に、サポーターの普遍の心理が凝縮されているように感じました。一風変わったクラブの、一風変わった熱狂的なゴール裏の姿。その熱狂をぜひこの作品で味わってもらえたらと思います。感想はそれぞれかと思いますが、「ザンクトパ~ウリ! ザンクトパ~ウリ!」というチャントが耳から離れなくなることは間違いありません。

『狂熱のザンクトパウリ・スタジアム』
ドイツ/ドキュメンタリー/62分/2011年
上映:2月16日(土)15:20~、17日(日)11:00~&18:55~
監督:フェリクス・グリム
舞台:ドイツブンデスリーガ

【ヨコハマ・フットボール映画祭2013について】
世界の優れたサッカー映画を集めて、2013年も横浜のブリリア ショートショート シアター(みなとみらい線新高島駅/みなとみらい駅)にて2月11日(月/祝)・16日(土)・17日(日)に開催! 詳細は公式サイト(http://yfff.jp)にて。

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狂熱のザンクトパウリ・スタジアム ヨコハマ・フットボール映画祭上映作品の中から『狂熱のザンクトパウリ・スタジアム』を観賞できるチケット。購入者はワールドサッカーキング最新号をゲット&座席が指定可能!