FOLLOW US

ACミランサッカースクール東東京校テクニカルディレクターの元セリエA選手が語る奥深いイタリア・サッカー(1)

2015.11.27

 今年9月に国内5校目となるACミランサッカースクール東東京校が開校した。テクニカルディレクターとして東京に常駐し、すべてのトレーニングの指揮を執るのが、エンポリ、ウディネーゼ、ラツィオ、アタランタなどで活躍した元セリエA選手のマヌエル・ベッレーリだ。今回、セリエAで149試合の実績を誇るベッレーリが自身のキャリアを振り返りながら、イタリアのサッカーの数々の疑問に答えてくれた。

――生まれはガルドーネ・ヴァル・トロンピア(ロンバルディーア州ブレッシャ近郊)だよね。そこは、銃器で有名なベレッタ社の町。ピストルやライフルを打ったことはあるの?

ベッレーリ 試したことはあるよ。10年前ぐらいだったかな。実は父親がこのベレッタ社に勤めていたんだ。興味から試して打っただけだけどね。ベレッタ社ではたくさんの友人が勤めている。600、700人ほどの従業員がいる町ではとても重要な大きな会社なんだ。

――それじゃあ小さな町(人口約1万1700人)だけど、ベレッタ社のおかげでイタリアでは良く知られた町なんだね。

ベッレーリ イタリアだけではなく、世界各国に銃器を供給しているんだ。だからとても有名な町だよ。

――僕はこの町に『グーグル・アース』を使って行ってみたよ。谷に挟まれた町なんだよね。

ベッレーリ そう、谷の町だね。僕は中心地から約3キロのところで生まれたんだ」。

――この町もイタリアのほかの町と同じように、子どもたちはサッカーをするの?

ベッレーリ もちろんさ。この地域は小学校に通うにも50分を要したりすることもあるので、サッカーを通して仲間との関係を築いていくんだ。グラウンドも少ないけれど、とても多くの子供たちがサッカーをしているよ。

――ベレッタ社があるから、スポーツの射撃はポピュラーなスポーツではないの?

ベッレーリ ほかの地域よりは盛んだけれど、やはり最もポピュラーなスポーツはサッカーだね。本当に数多くの子供たちがサッカーをしている。

――町で一番大きなヴァルトロンピアというスタジアムを見つけたけれど、君もここでサッカーをしたことはあるの?

ベッレーリ 僕は4、5歳でサッカーを始めて、このスタジアムでサッカーをする機会はあったよ。

――最初にサッカーを始めたクラブは?

ベッレーリ ヴィッラ・カルチーナというクラブさ。実は、その頃の会長は、僕の母方の祖父が務めていたんだ。

――サッカーを始めたときからずっと右サイドバックだったの?

ベッレーリ そう、サッカーを始めたときも右サイドバックだったんだ。だけど、ユースチームに行ったときは、複数のポジションをこなしたよ。この経験がのちにセリエAでプレーしたときにとても役に立ったんだ。

――このユースチームというのは、ルメッザーネのこと?

ベッレーリ そうだね、ルメッザーネでもセンターバックをしたり、守備的MF、セントラルMF、右ウィングなどを務めたよ。ラツィオ時代には、右サイドバック以外のポジションで起用され、3つ、4つのポジションをこなしたよ。

――じゃあ、ガルドーネ・ヴァル・トロンピアでは有名な少年だったのかな?

ベッレーリ う~ん、そうだね。16歳か17歳でルメッザーネとプロ契約を結んだんだ。当時はセリエC2に所属していたし、地元の新聞にも取り上げれたりと、少しは有名な存在だったかもね。

――ルメッザーネにはヴィッラ・カルチーナから移籍したの?

ベッレーリ そう。ルメッザーネではジョヴァニッシミ(15歳以下)、アッリエーヴィ(17歳以下)、ベッレッティ(15から20歳)でプレーし、それからセリエC2に所属していたトップチームに入ることができたんだ。

――ミランのマリオ・バロテッリもルメッザーネの出身だよね。

ベッレーリ そうなんだよ。トップチームでは1年しかプレーしなかったけれど、良くやっていたと思う。もうその頃から高い評価を得ていたよ。

――じゃあ、バロテッリがルメッザーネでプレーしていたころから彼の存在は知っていたんだ。噂は聞いていた?

ベッレーリ 聞いていたよ。僕がルメッザーネでプレーしていた時と当時のスポーツディレクターが一緒でね。このSDが僕の友人で、自分がエンポリでプレーしていたときに、このSDと連絡をとっていて、『マリオ・バロテッリというとても優れた選手がいるんだ』と話していたよ。それから僕がラツィオでプレーしているときに、バロテッリとは知り合うことができた。

――話は変わるけど、最近(インテル所属のステファン)ヨヴェティッチのインタビューを読んだんだけど、彼はイタリアでプレーするようになってから”戦術”というものを知ったと話していた。イタリアではいつ”戦術”というものを学ぶのかな?

ベッレーリ 戦術を学ぶのはとても早い。でもこれはポジティブでもあるし、ネガティブなものでもあるんだ。ポジティブであるのは、戦術を知っていれば、チームのメカニズムにすぐに溶け込むことができるからだ。ネガティブな部分は、10歳、13歳、15歳というまだサッカーを無邪気に楽しみたい年齢で、戦術を学ぶと、ファンタジーア(想像力)を養うことが抑制されてしまうということだね。ともかく、イタリアでは戦術を教わるのはとても早い。サイドバックがセンターバックの穴をカバーする動き、インターセプトの動きといったものはとても早い時期に習うんだ。

――それじゃあ、マヌエルはいつ戦術を学んだんだい?

ベッレーリ 12、13歳のころには練習で戦術をたくさん学び始めた。ポジショニング、4バックや3バックの戦い方といったものをね。

――オフサイドトラップもこの時期に学んだのかな?

ベッレーリ そうだね、特にルメッザーネのユースチームに所属していたころには、最終ラインを押し上げる動きが求められた。オフサイドトラップやカバーリングの練習は行っていたよ。だけど、今はこういった考えが変わったと思う。以前では取り入れられていたものが、今では取り入れられなくなった。

――ACミランスクールで教えていることとはとても異なるよね。

ベッレーリ その通りなんだ。それを言いたかったんだよ。ミランのプレーの哲学は完全に異なるもの。ACミランスクールでは12歳以下の選手は、自分で考えることや個性を磨くことを主体としている。こういった要素が成長するために重要なんだ。子供たちはそれぞれが所属するチームで戦術ということを学ぶことができるだろう。

――レッジョ・ディ・カラーブリアに滞在したときに、(元レッジーナ指揮官のヴァルテル)マッザーリのトレーニングを見たんだけど、ボールを使わずにフォーメーションの確認をしていた。イタリアではユースのカテゴリーでもこういったトレーニングはするのかい?

ベッレーリ 自分がユースのチームでプレーしていたころは良く行われていたね。今は、コヴェルチャーノ(イタリア・サッカー連盟トレーニングセンター)で学んだ指導者は、ボールを使わないトレーニングを避けたり、制限を置いている。なぜなら、試合の中でボールは常に存在するものだからだ。それゆえ、フィジカルトレーニングなどもすべてボールを使って行われるものとなっている。今はトレーニングの10パーセントがボールを使わない練習で、90パーセントはボールを用いた練習となっている。コンセプトは、トレーニングのすべてを試合に真似て行うものだから。ボールを使わないトレーニングが必ずしも間違いであるとは言えないんだけれど、サッカーの発展を見ている人は、試合では85から95パーセントでボールがピッチに存在するものだから、できる限り多くボールを保持して試合を進めたいと考えている。

マヌエル・ベッレーリ
1977年8月29日、イタリア北部ロンバルディーア州ブレッシャ県ガルドーネ・ヴァル・トロンピア生まれ。エンポリに所属した2002-03シーズンにセリエAデビュー。以降は、ウディネーゼ、ラツィオ、アタランタ、ボローニャでプレーしセリエA通算149試合に出場した。11-12シーズンに所属したSPAL(レーガ・プロ・プリマ(3部リーグに相当))を最後に現役を引退し、2014年にACミランアカデミーに加入。2015年5月よりACミランサッカースクール東東京校テクニカルディレクターに就任している。欧州サッカー連盟(UEFA)公認B級ライセンス所持

ACミランサッカースクール東東京校公式サイト
http://acmilansoccerschool-easttokyo.com

SHARE

LATEST ARTICLE最新記事

RANKING今、読まれている記事

  • Daily

  • Weekly

  • Monthly

SOCCERKING VIDEO