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高校を卒業して海外でプロサッカー選手になる方法 ユーロプラス経由の“海外組”という道

2015.10.13

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 海外クラブを目指すプレーヤーが増えている日本サッカー界において、株式会社ユーロプラスインターナショナルはサッカーとフットサルにおける日本とヨーロッパの架け橋となっている。欧州各国に持つ太いパイプを生かして、これまで延べ5000人以上の留学生を支援。サッカーだけでなく語学力や人間力向上も重視している。生活面も日本人駐在スタッフによるサポートがあり、安心してサッカーに打ち込める環境を提供している。

高校を卒業してプロサッカー選手になりたい

「U-18」という高校生年代はプロサッカー選手になるための最終段階といえる。日本では高校を卒業してプロになるためには大きく分けて2つのルートがある。ひとつはJクラブの下部組織からトップチームへ昇格するという形、もうひとつは高校の大会で活躍してJクラブにスカウトされる形である。

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海外に留学してプロになるという選択肢がある

 しかし、この2つのルートでプロになれる選手は一握りで、日本で高校卒業後にプロサッカー選手になることは非常に狭き門となっている。プロになれなかった場合は、「大学へ進学して体育会へ入る」「専門学校へ進みサッカーコースに入る」「企業に就職して、クラブチームに入る」という選択肢があるが、ここ数年で「海外に留学してプロになる」ということを進路のひとつとして考える人が増えている。

 サッカー留学は個人的なコネクションを頼って現地に渡る方法もあるが、言葉や現地での生活など、様々な面で不安が伴う。また、トラブルのリスクもあり、知り合いの紹介で現地のクラブを訪れたら「そんな話は聞いていない」と追い出され立ち往生してしまったというようなケースも実際に起こっている。

 ユーロプラスでは、そういった不安を解消し、一人でも多くの選手をプロ契約まで導くために現地に専属スタッフを置いている。彼らは実際に現地で選手だった経験を活かして、生活とサッカーの両面から留学生をサポート。初めて海外で過ごす人には心強い味方となる。

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ユーロプラス経由で“海外組”になる

「サッカー留学はプロ選手へのもうひとつの道」だと考えているユーロプラスは、海外でプロを目指す選手の様々なサポートを行っている。サッカー留学生サポート実績は延べ5000名を超え、現在も現地で多くの留学生が契約選手として活躍。もちろん、プロ契約後のキャリアサポートも行っている。

ドイツで才能が開花した中川雄貴選手

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 中川雄貴選手は高校時代コンサドーレ札幌のアカデミーに所属し、高校卒業後ドイツに渡り、複数クラブのトライアウトを経てユース1部リーグのFSVフランクフルトに入団。2013-14シーズンはビクトリア・アシャッフェンブルク、昨シーズンはシャルケⅡに所属した。今季はドイツ4部リーグのBSVレーデンへ移籍し、プロ選手としてプレーしている。

■中川雄貴[なかがわ・ゆうき]|1994年1月20日生まれ|162cm/57kg|新十津川サッカー少年団-コンサドーレ札幌 ジュニアユース-コンサドーレ札幌 ユース-FSVフランクフルトU-19(ドイツユース1部)-ビクトリア・アシャッフェンブルク(ドイツ4部)-シャルケⅡ(ドイツ・レギオナル リーグ)-BSVレーデン(ドイツ4部)

名門高校からスペインへ渡った高橋一輝選手

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 高橋一輝選手は、2014年8月に流通経済大学付属柏高等学校から、スペインユースA・1部リーグに所属するCDレガネスのトライアウトに参加。パスとドリブル、ポリバレント能力が評価され、正式入団となった。CDレガネスでのプレーがレアル・アランフェスCF関係者の目に留まり、今年8月のプレシーズンでテストに参加し、高い能力が認められて契約に至った。

■高橋一輝[たかはし・かずき]|1996年10月6日生まれ|172cm/64kg|柏イーグルス-柏レイソルジュニアユース-流通経済大学柏高等学校-CDレガネス(スペインユースA・1部)-レアル・アランフェスCF(スペイン4部)


“逆輸入”Jリーガーの誕生

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 大学在学中にユーロプラスを介してモンテネグロに渡った伊藤剛。欧州で埋もれていた才能が開花し、“逆輸入”選手として湘南ベルマーレの契約を勝ち取ったGKが、海外挑戦を通じて得たものとは。

前向きな気持ちを持ち続けてほしい

――海外挑戦を本気で考え始めたのはいつ頃ですか?
伊藤 僕は帝京高校で3年間プレーした後、日本大学に入学したのですが、環境の変化が大きく、いまいちサッカーに集中できていませんでした。「このままじゃいけない」という葛藤が自分の中にあって、大学1年の12月くらいに真剣に海外へ渡ることを考え始めました。友人に相談してみたところ、ユーロプラスを介してドイツに留学をしたという話を聞き、紹介してもらうことにしたんです。そこで自分の思いを伝え、モンテネグロのトライアウトを勧められました。2月に1カ月間トライアウトを受けて合格が決まりました。とにかく「今の環境を変えたい」というのが一番大きな理由でしたね。

――海外での初めてのトライアウトでは苦労も多かったかと思います。
伊藤 もちろん、個人で受けることもできましたが、ユーロプラスに仲介をしていただき、現地のコーディネーターの方がいたからこそチームも決まったと思います。渡欧当初、監督とコミュニケーションがうまく取れなかった時も、通訳としてコーディネーターの方に手助けしてもらい、本当に助かりました。自分一人の力では実現しなかったと思います。

――渡欧後は4クラブを渡り歩いていますよね?
伊藤 初めの2年間はモンテネグロの3クラブを渡り歩きました。FKゾラとFKコム(ともにモンテネグロ2部)で約1年半プレーしていたのですが、不慣れで厳しい環境に苦戦し、出場機会をなかなか得られませんでした。それでもなんとかがんばっていると最後のほうで試合に出られるようになってきて、そこで「もう半年残ってやろう」と決心しました。その後、FKイスクラ(モンテネグロ2部)を経由し、NKズビエズダ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ1部)と契約。待遇もだいぶ良くなり、最後の半年は住居や食事に加え、ある程度の給料ももらえるようになりました。

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――現地語は話せるようになりましたか?
伊藤 海外に渡ってから約1年半である程度は現地の言葉を話せるようになりました。チームメートとしっかりコミュニケーションを取れるようにもなりましたね。

――湘南ベルマーレに加入することになった経緯を教えてください。
伊藤 NKズビエズダでトルコキャンプに行った時、ベルマーレもトルコに来ていて、練習試合をしたんです。そこでベルマーレのほうから「夏に練習に来てほしい」とオファーをいただいて、練習参加や移籍の手配など、ユーロプラスにサポートいただきながら契約することになりました。ここで努力を重ね、いつかまた海外でプレーしたいと思っています。

――海外挑戦から得たことは?
伊藤 球際で怖れることなく当たりにいけるようになりましたね。ユーロプラスで紹介してもらった名門クラブ出身のGKコーチに朝からつきっきりで練習を見てもらっていて、それが今の自分の糧になっています。あとはユーロプラス出身で、欧州で活躍している選手も見てきて、それが自分のモチベーションにもなりましたし、今後のビジョンがより明確になったと思います。

――最後に、海外挑戦に興味を持つ若いプレーヤーに向けてメッセージをお願いします。
伊藤 大きな夢を持ってみんな海外へ渡ると思いますが、その前向きな気持ちを持ち続けながらがんばってほしいですね。あとは遠回りでもいいので、目標とする場所にたどり着くまでの道のりを逆算し、少しずつ確実にステップしていくことも大事だと思います。

■伊藤 剛[いとう・ごう]|1994年3月23日生まれ|191cm/84kg|帝京高校-日本大学-FKゾラ(モンテネグロ2部)-FKコム(モンテネグロ2部)-FKイスクラ(モンテネグロ2部)-NKズビエズダ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ1部)-湘南ベルマーレ(J1)


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