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再会のための追憶。インテリスタがモウリーニョ・マドリーの勝利を願う理由

2012.04.26

『カルチョ2002』 5月号 掲載
 ストラマッチョーニ体制で巻き返しのムードを見せるインテル。しかし、多くのインテリスタは“スペシャル・ワン”の帰還を願っているようだ。イタリア人記者が『再会のための追憶』を記す。

Text by Rudi GHEDINI, Translation by Minato TAKAYAMA

 ジョゼ・モウリーニョが2年ぶりに復帰し、インテルを立て直す。これは何もかもが嫌になったインテリスタの妄想ではない。レアル・マドリーと彼との関係は、ゆっくりと、だが確実に悪化している。醜態を晒すインテルは、彼の目には「理想の職場」に映るはずだ。

 ジョゼ・モウリーニョは今もインテリスタの心の中にいる。ただ、彼を懐かしむインテリスタは2つに分類される。レアル・マドリーでも大きな成功を手にしてほしいと願っている者と、インテルに対する裏切りを許さず、マドリーでの失敗を願う者だ。

 私も個人的には後者に属している。チャンピオンズリーグ決勝を前にしてマドリーと年俸その他の条件面ですべて合意に達しており、決勝の会場であるサンティアゴ・ベルナベウからマドリーの用意したリムジンで去っていった彼の行為は、そう簡単に許されるものではない。

 彼が去って約2年が経過した。スター選手の流出によるセリエAのレベル低下が議論される中、カカーやサミュエル・エトオの流出よりも、“スペシャル・ワン”が去ったことのほうが痛手だったと私は感じている。ミランは有能な選手をただ集めてピッチに送り出すだけのチームで、しかも勝つか負けるかはズラタン・イブラヒモヴィッチの気分次第だ。いくら強くても“偉大なチーム”として敬意を抱く気にはなれない。ユヴェントスはアントニオ・コンテ監督の下でチームとしての結束力や最後まで全力を尽くすメンタリティなど“ユーヴェらしさ”を取り戻したが、小粒感は否めない。アレッサンドロ・デル・ピエロが去れば、それはより顕著になる。

 インテルはどうだろう。いや、語るに及ばない。モウリーニョが去った後のチームはまさに烏合の衆で、3冠戦士たちもモチベーションを失い醜態を晒している。1年で見切りを付けたエトーは賢明だったと言うべきだろう。だが、見切りの良さで言えば、やはりモウリーニョである。彼は落ちぶれていくインテルを一切目にしていないのだ。もしかすると、采配能力以上に身の処し方こそが、彼が“特別な男”である最大の要因かもしれない。

 現在、インテルを率いるアンドレア・ストラマッチョーニは、モウリーニョの後任としては5人目の監督となる。つい先日までプリマヴェーラを率いていた、つまりは敗戦処理の監督だ。マルコ・ブランカはそれを否定しているが、36歳でトップチームの監督経験がない者に長くクラブを任せるだけの“腹を据えた”決定が下せるぐらいなら、インテルはもう少しマシな順位にいただろう。

 メディアは当然のように来シーズンの監督人事を論じている。マルセロ・ビエルサ、アンドレ・ヴィラス・ボアス、そしてファビオ・カペッロ……。だが、私は思う。「モウリーニョでいいじゃないか」と。

 チャンピオンズリーグ準決勝でバイエルンに敗れた後、「来シーズンもこのチームで挑戦したい」と語ったモウリーニョだが、スペインメディアは彼がレアル・マドリードを離れる可能性も論じている。理由はインテルの時と同じ。「刺激を得られなくなった」からだ。クラブ内部での権力争いに嫌気がさしたとの噂もある。モウリーニョは過去への回想に浸る人間ではない。だが、彼は同時に自らの実績を大切にする男でもある。アレックス・ファーガソンの後任としてマンチェスター・ユナイテッドを率いる可能性について質問された時、彼はこう言い切った。「プレミアリーグで指揮を執るならチェルシー以外にはあり得ない。チェルシーのファンと私の間には敬意があり、それをぶち壊すような真似はできない。これはポルトにも、インテルにも言えることだ」

 マドリーがこの春にタイトルを獲得する可能性は高い。その時、彼は「ここでの仕事はやり遂げた」と感じるかもしれない。そして、新たな刺激を求めて周囲を見回す。そこで彼は、ラファ・ベニーテスやクラウディオ・ラニエリ程度の指揮官ではどうしようもなかった問題が山積みとなっているネラッズーロを目にするのだ。

 インテルは彼のように「すべてを自分でやり通したい」監督にとっては最高の職場だ。インテルは昔も今も変わらない。フロントの権限は少なく、当惑するようなあいまいさが息づいている。この時代において古き良き家族経営のスタイルを残しており、すべてはマッシモ・モラッティの鶴の一声で決まる。その目の届かないところでは、その友人たちが何の計画も持たず好き勝手やっている。

 モウリーニョがその気になれば、モラッティに「すべて好きにやっていい」と言わせるのは簡単だろう。既存のメンバーを放出し、新たな自分好みの選手でチームを作るのもいい。クリスティアーノ・ロナウドを連れて来ることさえ、難しくはないはずだ。

 インテルではすべてを組織し、管理しなければならない。ケガ人のケアからピッチの管理、遠征の手配、メディア対応……もちろん、選手の放出と獲得も、誰かに任せておいたらひどい目に遭う。そう、哀れなベニーテスがそうだったように。モウリーニョは「任せられる人物がいればいいんだがね」と言いながらも、喜々として仕事に取り組み、極めて正確に、そして素早く、重要な決定を下していくだろう。

 モウリーニョにとってマドリーでの居心地の悪さはここにある。まずは組織があり、監督はあくまで雇われ者にすぎない。レアル・マドリーという巨大な神殿にいながら、モウリーニョが休息を取るために与えられているのはハンモック程度のもの。彼のプライドがそれを許すはずはない。「マドリーに相応しい気品のある戦いをしていない」という批判は、理解することさえできないだろう。だが、マドリーというクラブは巨大な分だけ複雑なのだ。カペッロはリーガで優勝したにもかかわらずマドリーを去るという行為を2度もやっている。これはモウリーニョの未来を予見しているのではないだろうか。

 モウリーニョのアシスタントコーチを長く務めるルイ・ファリアは、“スペシャル・ワン”の世界観をこんな言葉で説明している。「ジョゼが真っ先に望むのはスペクタクルなサッカーをした上での勝利だ。それが無理なら次に望むのはスペクタクルを欠いた勝利となる。それが駄目なら、スペクタクルなサッカーをしての引き分け、次に来るのはスペクタクルではない引き分け。どんなに美しいサッカーであっても、敗戦は受け入れられない」

 モウリーニョは自分に最も忠実な国とクラブで新たな歴史を綴るべきだろう。それはすなわちインテルである。ミランとユーヴェが強さを取り戻しつつある今、インテルが09-10シーズンの強さを取り戻せば、イタリアサッカーのレベルは極めて高くなる。

 去就について、モウリーニョ自身も様々な選択肢を考えているはずだ。ただ、まずはマドリーでのタイトル獲得である。少なくともリーガのタイトルを置き土産としない限り、「逃亡した」との印象を残すのは避けられない。そうなったら、客船を遭難させた上に臆病ぶりをさらけ出したスケッティーノ船長の二の舞だ。モウリーニョは2年前にそうしたように、胸を張ってクラブを去ろうと考えているだろう。

 だから、我々イタリアサッカー関係者は、そしてインテリスタであれば尚更、この数カ月間ぐらいはモウリーニョ・マドリーの勝利を願うべきかもしれないのだ。

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【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING @SoccerKingJP』の編集長に就任。

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