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モウリーニョが語るバルサとグアルディオラ。「私はアンチ・バルセロナではない」

2012.01.25

 ジョゼ・モウリーニョの哲学は明快だ。「勝者こそベスト」。スポーツである以上、チームの勝利、タイトル獲得が何よりも優先されるのは当然のこと。彼は他のどんな監督よりも、その命題を真っ直ぐに追い求める。「勝てるのであれば、そのアプローチにはこだわらない」と明言するその姿勢は、バルセロナの哲学に魅せられた者には受け入れがたいものだろう。だが、モウリーニョもかつてはバルサの哲学に魅せられた一人だった。いや、彼自身がその哲学を実践する立場にあったのだ。

 1996年、彼はボビー・ロブソンの通訳としてバルセロナの一員となった。1年後にロブソンが解任された時、普通であれば一緒にクラブを離れるはずの彼は、そのまま後任のルイ・ファン・ハールの下でも働くことになった。それは彼が単なる通訳ではなく、有能なコーチでもあったからだ。モウリーニョの監督キャリアは、そこから始まったと言っていい。

 モウリーニョはその自伝の中で、監督として独り立ちするオファーをもらって大喜びする反面、バルサとバルセロナの街を離れることが辛かったと述懐している。その時には、自分がレアル・マドリーの監督になってバルサ打倒にすべてを懸けることになるなど、想像もできなかったはずだ。

 しかし、現実は今ここにある。2010-11シーズンの“クラシコ4連戦”で分かった通り、バルサを倒さずしてモウリーニョ・マドリーが栄冠を手にすることはない。そして今、彼はバルサを倒してのタイトル獲得を「極めて現実的な目標」と考えている。


Interview by Peter CLARK, Translation by Alexander Hiroshi ABE

『あの頃から、将来は偉大な監督になると予見できたよ』

あなたは以前にこんなことを言っています。「バルサを倒さずして、リーガ優勝はない」。その考えは今も変わっていませんか?
モウリーニョ─バルサは偉大なチームだ。確固たる哲学がチームに浸透していて、人生のすべてをこのクラブに捧げる選手がいる。だが、そのバルサを私はインテルとチェルシーを率いて打ち破った。マドリーを率いても負かしている。バルサに勝つのは簡単ではないが、リーガ優勝のために私は懸命に仕事をこなしている。一発勝負のカップ戦では、何人かの選手が“大当たり”したら勝てる。だがリーグ戦となると、シーズンを通してコンスタントに勝ち点を積み上げる必要がある。

「次の試合に集中しろ」といくら言われても、どうしても選手はバルサを意識してしまうのではないでしょうか。
モウリーニョ─やめてくれ。何でもかんでもバルサを連想させないでもらいたい。我々は常に次の対戦相手のことを考えている。すべての焦点は次の試合に合わせているんだ。それなのにマスコミやファンときたらどうだ。試合が終われば「素晴らしい勝利でしたね。でも、他会場で試合をしていたバルサはもっと点差を広げて勝利しました」なんて余計な言葉で我々の神経を逆なでする。この国では誰もが無意識にマドリーとバルサを比較する仕組みなんだろうな。だが、マドリーは私が決めた規律の中で動いている。外部の雑音に影響されるような連中ではない。

そんなあなたも以前はバルサの一員でした。ポルトガルでロブソン監督のアシスタント兼通訳として働き、ロブソンと一緒にバルサにやって来ました。バルサの第一印象はどのようなものでしたか?
モウリーニョ─ポルトガルで聞いていたよりもはるかに偉大なクラブだった。バルサとマドリーはスペインを支配している。そしてどちらかのチームが時代ごとに頂点に君臨する。当時のバルサはここ数年のような格別に強いチームではなかった。際立った選手としてペップ・グアルディオラがいたがね。

当時、グアルディオラのことはどのように評価していましたか?
モウリーニョ─ペップについてはポジティブなことしか語れない。あの頃から、将来は偉大な監督になると予見できたよ。ペップは選手でありながら、監督の右腕としてチームを仕切っていた。ピッチで自分がどう動くかだけでなく、勝つためにチームが何をすべきかも同時に考える男だった。

グアルディオラとの現在の関係はどんなものでしょう?
モウリーニョ─別に変わったものじゃないよ。バルサ時代は良い関係を築いていた。もちろん、「マドリーとバルサの監督」となればまた別の話で、電話で近況を報告するような仲ではないが、我々の間に恨みや憎しみといった感情は一切存在しない。スタイルこそ違えど、互いにリスペクトしている。

ライカールトが退任した08年春。監督候補は2人いました。グアルディオラと、インテルの監督を引き受ける直前のモウリーニョ、あなたです。
モウリーニョ─私に言えるのは、ペップがバルサにとって理想の監督だということだけ。私がバルサのフロントなら、彼に10年契約をオファーするよ。

バルサ時代に話を戻しましょう。アシスタントコーチと通訳。2つの役割のどちらに比重を置いていましたか?
モウリーニョ─ボビーはスペイン語もカタルーニャ語も全く理解しなかった。それに、選手も今と違って英語を話せる者などいなかった。私は何から何まで通訳しなきゃならなかったよ。仕事はもちろん通訳だけじゃない。毎日のトレーニングでも、私はコーチとして大きな役割を担っていた。

いわば“影の監督”といったところでしょうか。ロブソンはゴルフをしたりバーで呑んだくれたりと、留守にすることがありましたからね。
モウリーニョ─ボビーが無類の酒好きだった事実を隠そうとは思わないが、私だって酒は飲む。ただ飲みに行く時間がないだけだ。次から次へと仕事が舞い込んで、その都度私は通訳したり、視察に出かけたり、役員との打ち合わせで意見を述べたりと、目が回る忙しさだった。だが、“影の監督”という立場だとは思っていなかったよ。

『バルセロニスタにとって私は“好ましからざる人物”だろう』

バルセロナでの暮らしはどうでしたか? 欧州随一の魅力ある街での生活を満喫できたでしょうか?
モウリーニョ─さっきも言ったが、私は働き通しだったのだ。ゴルフ、博物館、地元の祭り……。「おいおい、そんなものがあったのか?」って感じだよ。当時も今も生活パターンはほぼ同じだ。朝6時半に目覚ましが鳴り、少しだけベッドでまどろむ。この数分間でその日の自由時間は終わりだ。すぐさま仕事漬けとなり、深夜にベッドに倒れ込む。サッカーのことしか頭の中にないんだ。まあ、悪い生活だとは思っちゃいないがね。

ファン・ハール監督のアシスタントを務めていた時期はどうでしたか?
モウリーニョ─アシスタントとしては、ロブソン時代よりファン・ハール時代のほうが有意義だった。ファン・ハールは大きな器の持ち主で、ウマが合った。そんな関係だったから、2009-10シーズンのチャンピオンズリーグ決勝でバイエルンを倒した時、彼の辛そうな表情を見るのは複雑な心境だった。だが、私は彼への忠誠心を失ってはいない。彼も私のことを高く評価してくれている。以前にある会議で、居並ぶ監督たちを前にして彼はこう言ってくれたものだ。「ジョゼは自分の考えを私にしっかりと言うことのできる唯一の仲間だ」とね。

バルサで働いた実績があるにもかかわらず、バルサのファンはあなたに敵意を抱いているようです。それを不当だとは感じませんか?
モウリーニョ─それがサッカーというものさ。ファンもマスコミも関心があるのは「今の成績」だけ。過去に何をしたかには興味がないんだ。しかし歴史の事実はこうだ。私はバルサでコーチを務め、その後にチェルシーとインテルの監督としてバルサを下した。そして今は仇敵のマドリーの監督になっている。バルセロニスタにとって私は“好ましからざる人物”だろう。だが、それがどうした? 私は私だ。サッカーの世界には偽善者がたくさんいるが、私は違う。いいかね、例えば日曜日にバルサに勝ったとしよう。翌日は別の日でしかない。反対に負けた場合、翌日はどうなる? 太陽が再び昇るではないか。試合の勝敗なんてそんなものだ。大事なのは、結果がどうなろうと懸命に働き続けることだ。

マドリーの監督としての立場ではなく、モウリーニョという個人の立場から、バルサに対して憎しみのような感情はありますか?
モウリーニョ─バルサでは素晴らしい時間を過ごさせてもらった。まだ若かった私にチャンスを与えてくれたことに感謝こそすれ、悪い感情を抱く理由などないよ。

バルサ戦となると超守備的な戦術を採用するから嫌われるのでは? 例えば2010-11シーズンのクラシコ4連戦、あるいはインテルを率いてのチャンピオンズリーグ準決勝です。
モウリーニョ─1-0は完璧な結果だ。ゴールを奪う、そして相手にゴールを許さない。この2つの争いがサッカーであり、1-0はその両方を制したスコアだ。魔法のようなボールコントロールやスペクタクルなドリブル、華麗なワンツーパスを通す……それがお望みであればやればいい。だが、我々はサーカスの劇団員ではない。サッカーをやっているんだ。

バルサで監督業を実質的にスタートさせたにもかかわらず、その哲学とは反する“堅守”を前面に押し出したサッカーをしている。バルセロナの人々にはそれが受け入れられないのかもしれません。
モウリーニョ─前提が間違っている。私は堅守を武器とする監督ではない。私のチームは守備も攻撃も万全なんだ。ポルトを、チェルシーを、インテルを思い出してくれ。偏見を取り去ってね。そこには、組織力が高く、粘り強いディフェンスを持ち味とすると同時に、アグレッシブで恐れを知らない攻撃的な資質も十分に持ち合わせたチームの姿があるはずだ。違うかね?

しかし、バルサが攻撃的で、マドリーが守備的というイメージがあるのは事実ですよね。
モウリーニョ─見る者に良いサッカーを印象付けることは大事なことかもしれない。だが、君が言っているのはただの偏見だ。私のサッカーが守備的で、バルサが攻撃的だとの偏見を拭えない人間は、昨シーズンの成績を見るといい。9カ月間を戦った結果、バルサより総得点は多く(バルサ95得点、マドリー102得点)、失点も多かった(バルサ21失点、マドリー33失点)。どうかね?

「バルサを上回るために」と言いますが、それは実現可能な目標だと思いますか?
モウリーニョ─もちろん可能だ。取り組む価値があると信じているからこそ、やっているんだ。バルサとマドリーの違い、それはチームの完成度に尽きる。昨シーズン、補強で戦力は整ったが、組織としての成熟度でバルサに及ばなかった。意思の疎通や連係が十分でなく、あらゆる点で経験不足だった。だが、クラシコを何度も戦い、チャンピオンズリーグでベスト4に進み、コパ・デル・レイで優勝した。今シーズンに入ってからも成長は続いている。チームの土台ができている分、昨シーズンとは状況が違う。昨シーズン、優勝したバルサと2位マドリーの差は4ポイントだった。この差を縮め、逆転する。不可能どころか、極めて現実的な目標だと思うがね。

バルサ流のサッカーと、バルセロナのクラブ哲学は世界中で高く評価され、愛されています。この意見には賛成しますか? それとも過大評価だと思いますか?
モウリーニョ─理解してもらえるかどうか分からないが、私はアンチ・バルセロナではない。バルサはバルサの哲学に基づいたサッカーをしている。それは純然たる現実で、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、バルサのサッカーは素晴らしいが、すべてのクラブがそれを目指す必要などないということだ。どのチーム、クラブ、リーグにもそれぞれに特色がある。私は様々なサッカーを体験し、どの文化も貴重なものだと考えている。プレミアリーグのガッツとパワー、セリエAの高度な戦術理解力、リーガの技術的クオリティ。各国の文化的特性を見分けられるからこそ、私はポルトガルだけでなくイングランドやイタリアで成功できた。マドリーの特別な伝統も理解している。

クライフ、ライカールト、グアルディオラ。3人の監督の時代でどれがバルセロナ最強チームだったでしょうか?
モウリーニョ─バルサのサッカー哲学はクライフによって作られた。それをファン・ハールとライカールトが磨き上げ、今はペップが新たなアクセントを加えて成長させている。どの時代もファンは「これぞ最強チームだ」、「過去のベストチームを超えた」と語り合う。だが、本当にそうだろうか?

過去のチームとの比較はナンセンスだと?
モウリーニョ─いや、私が言いたいのはその逆だ。未来に待ち受けているチームを誰もイメージできないということさ。マドリーは建設途上にある。このチームは過去数年間、タイプの異なる監督に率いられてきたが、全く機能しなかった。マドリーのようなクラブに必要なのは、トップチームからユースの各カテゴリーにまで確固たるプレースタイルを浸透させることだと私は考えている。我々は今、マドリーの新たなサッカー哲学を作ろうとしているんだ。今日、ペップ・バルサはドリームチームを超えたかもしれない。でも、明日も頂点に立っていられるとは限らない。少なくともペップは、過去のバルサとの比較など考えてはいないはずだ。

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【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(twitterアカウントはSoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではグラビアページを担当。

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