2012.01.06

史上最年少の王者、ドルトムントが起こした奇跡とエキサイティングなプロジェクト

ワールドサッカーキング 2012.01.19(No.204)掲載]
 昨シーズンのブンデスリーガを制したのは、リーグ史上最も平均年齢の低い集団だった。指揮官が「現代サッカーで最もエキサイティング」と語るドルトムントの育成プロジェクトに迫る。

文/翻訳協力=ウルリッヒ・ヘッセ/フットメディア、写真=千葉格

■夢物語のようなサクセスストーリー

「ここでは、現代サッカー界で最もエキサイティングなプロジェクトが行われている」

 日差しは強いがまだ肌寒い、昨シーズン終盤のある日、ドルトムントのユルゲン・クロップ監督はそう語った。ドルトムントの広大な練習場に隣接されたクラブハウスの会議室で話していた時のことだ。

 このトレーニング施設は、DFB(ドイツサッカー連盟)が国内すべてのプロクラブにアカデミーの運営を義務づけた後、2006年に開設され、それから徐々に規模を拡大させてきた。今ではフルサイズのピッチが6面、小さいピッチが2面ある。ここではUー9からUー19までのユースチーム、そしてBチームとトップチームが、つまり、すべてのドルトムントのチームがトレーニングを行う。その日、クロップが熱心に話してくれたのは、もちろんトップチームについてだった。

「本当にエキサイティングなプロジェクトなんだ。まだレギュラーをつかめていない若い選手も、経験豊富なベテランに囲まれて練習することになる。だから、決して浮かれたりはしない」とクロップは言う。「言ってみれば、才能豊かな若者が自分をとことん磨ける場所、ということかな」

 ここにポイントがある。昨シーズンのリーグ王者となったドルトムントについて、最も驚くべきことは何だろうか? 過去8年間で一度も4位以内に入れなかったのに優勝したこと? とも、チーム最高額の選手が移籍金450万ユーロ(約4億7300万円)でやって来たこと? あるいは、ほとんどすべての試合で対戦相手を圧倒し、2月末には2位に勝ち点12ポイントもの差を付けていたことだろうか?

 どれもノーだ。彼らの夢物語のようなサクセスストーリーにおいて最も驚くべきことは、24.3歳という数字である。そう、彼らはブンデスリーガ史上最年少のチャンピオンだった。

 いや、この驚異の数字でさえ、実際の優勝チームの年齢を正確に反映してはいない。24.3歳は登録メンバー全員の平均年齢に過ぎず、クロップ監督が毎週、ピッチに送り込んでいたレギュラーメンバーの平均はもっと低い。元ドイツ代表でキャプテンのセバスティアン・ケールや、同じく元ドイツ代表のパトリック・オヴォモイェラといったベテランは、ケガのせいでフルシーズンを戦うことができなかった。

 昨シーズン、リーグ優勝の行方を占うとされたアウェーのバイエルン戦では、当時30歳だった正GKのロマン・ヴァイデンフェラーがひざを負傷して出場できなかった。そこで彼らが起用したのが、この試合がブンデスリーガデビューとなる当時22歳のオーストラリア人GK、ミッチェル・ランガラクだった。このせいで、ドルトムントの先発メンバーの平均年齢はより一層下がり、22.2歳という、少しばかりクレイジーな数字になっていた。試合の結果は? クロップの「子供たち」は赤子の手をひねるかのように、バイエルンのスーパースターたちを3ー1で粉砕した。

 ブンデスリーガは比較的サプライズや予想外の展開を生みやすいリーグではあるが、それにしてもこれは信じ難い展開に思える。「前のシーズンの5位を再現できただけでも、我々はみんな抱きついて喜んだはずだ」と語るのはラース・リッケン。ドルトムントのユースチームを統括する立場の彼にとっても、昨シーズンは驚きに満ちた1年だったようだ。「誰もここまでやってくれるとは想像していなかった」

 では、どのようにして「奇跡」は起きたのか? そして、これは本当にサッカーで偶然起こり得ることなのだろうか?

■「新たなリッケン」が山のようにいる

 リッケンは、彼自身が若手の逸材だった頃、誰も予想しなかった栄光を手にしたことがある。1994ー95シーズン、彼は18歳にしてリーグを制し、翌シーズンに連覇を達成。96ー97シーズンには20歳にしてチャンピオンズリーグ決勝のピッチに上がり、ユヴェントスを相手に決勝ゴールとなる25メートルのループシュートを沈めている。しかし、当時と今とでは何もかも違うと彼は言う。「90年代当時、試合に出ることは非常に難しかった。レギュラーのほぼ全員がドイツ代表か、他の国の代表選手だった」

 当時のドルトムントは、セリエAでも活躍した高価なスター選手の集合体だった。マティアス・ザマーやユルゲン・コーラー、カール・ハインツ・リードレ、アンドレアス・メラー、そしてポルトガル代表のパウロ・ソウザもいた。

「97年にチャンピオンズリーグを制したチームは、全員合わせれば代表8000キャップくらいはあったんじゃないかな(笑)。いや、正直な話、そう感じられるほど経験豊富な選手がそろっていた」と説明するのはクロップだ。「彼らはピークを過ぎていたかもしれないが、サッカーのすべてを把握していた」。

 クロップはオールド・トラッフォードで行われたマンチェスター・ユナイテッドとの準決勝を振り返り、あるシーンを例に挙げる。「ゴールライン上のボールを、コーラーがスパイクのポイントを使ってブロックした場面を覚えているかい? あんなこと、若い選手にできる芸当じゃない」

 それから15年の歳月を経た今のドルトムントには、「新たなコーラー」や「新たなザマー」に当たるスター選手はいない。だが、「新たなリッケン」なら山のようにいる。例えばマリオ・ゲッツェがそうだ。洗練された技術を持つ19歳のドリブラーは、8歳の頃からドルトムントに在籍している。同じく地元出身で、精力的なプレーが身上のケヴィン・グロスクロイツは23歳。彼はドルトムントのホームスタジアム、ジグナル・イドゥーナのシーズンチケットを今でも持っている。それも熱狂的なファンが集まることで知られる南側スタンドのチケットだ。この一角だけで2万5000人のファンを収容する巨大なスタンドは、「黄色い壁」と呼ばれる。

 22歳の守備的MFスヴェン・ベンダーは2年前、2部リーグの1860ミュンヘンからこのチームに加入した時、しばらくリザーブチームで経験を積む覚悟だった。だが、ケールが負傷離脱したためにいきなりトップチームに抜擢された。23歳のクレバーなセンターバック、マッツ・フンメルスは、センターバックに経験値を求めたバイエルンから放出されてドルトムントに来た。それが今ではドイツ代表のレギュラーポジションを確保しつつある。

 まだ驚きは終わらない。ファンの一番のお気に入りは香川真司だ。わずか35万ユーロ(約3700万円)ほどでセレッソ大阪から加入した22歳の日本人アタッカーは、当初は控え要員のはずだったが、プレシーズンの親善試合でマンチェスター・シティの守備網をズタズタに切り裂き、レギュラーになった。その他にも、昨シーズンのドルトムントには11歳の頃から在籍していたヌリ・シャヒンがいた。23歳の彼は現在、親友のメズート・エジルと同じレアル・マドリーでプレーしている。

■財政難がもたらした新たなチーム哲学

 この10年でチームが根本から生まれ変わったのは、リッケンによれば「チーム哲学」の変化によるものだという。その「哲学」こそ、まさにクロップが求めていたものだった。08年に監督に就任した彼は、情熱的な選手、規律を重んじる選手、献身的な選手を重用し、一方で高額のスターたちを少しずつ放出していった。ただし、これは彼の好みというより、財政的な必要性のほうが大きかった。

 90年代にヨーロッパチャンピオンとなったドルトムントの「スターシステム」は、ほんの10年も経たないうちにクラブの首を絞めていた。05年の初め、クラブは1億4000万ユーロ(約147億円)もの負債を抱えて破産の危機に直面。赤字経営を認めないドイツの厳しいライセンス制によって、アマチュアリーグ行きという暗い未来が目前まで迫っていた。その危機からは何とか脱したものの、当然ながらそれ以降、一切の無駄使いはできなくなった。

「財政危機によって、我々は方針転換を余儀なくされた」とリッケンは言う。そこでクラブは安い選手、つまり、頼りないが将来性のある若者たちに目を向け始めた。

「やがて、それがクラブの新たな哲学になったんだ」

 破産寸前で救われたクラブは、その後3年間、苦悩の日々を強いられた。しかし08年夏、クラブの新たな「哲学」を強力に推し進める人物が登場する。それがクロップだった。

 クロップは現役時代、ドイツ2部リーグのマインツで長くプレーした経歴を持つ。「最初はストライカーだったが、ゴールする才能がないと分かってからDFにコンバートされたんだ」と彼は笑う。だが、クロップにはゴールセンスの代わりに、チームを統率する才能があった。

 01年の引退後、すぐにマインツの指揮官となった彼は、周囲の予想を上回る成績を残し続け、04年には小規模なマインツをブンデスリーガに昇格させた。決してタイトル請負人という監督ではなかったが、チーム全体に闘志と熱意を植えつける熱血監督として評価を高めていった。

「マインツを離れる時、私の希望は負け試合より勝ち試合のほうが多いクラブに行きたい、ということだった。ドルトムントに来た初日から、それが達成できるような気がしたよ」。クラブの厳しい財政状況も、マインツで指揮を執ってきた彼にとっては障害ではなかったという。「経営が最優先という状況だったから、予算が限られているのは最初から分かっていた。それでも、私が欲しい選手は獲得できた。例えば、古巣のマインツからネヴェン・スボティッチを獲得した時、クラブは移籍金450万ユーロを支払った。これは私が契約した選手の中で最も高額な移籍金だ。有益だと思うビジネスは許されているし、補強のためにもっと資金が欲しいと思ったことは一度もない」

■若手の台頭はリーグ全体の傾向

 これで、ドイツ屈指の名門とされるクラブが、どうしてヒゲが生え始めたばかりの選手で構成されているのかという疑問は解決した。だが問題は、その若造たちがなぜブンデスリーガを席巻できたのか、ということだ。

 それを理解するカギは3つある。一番の大きな要因は、無精ヒゲを生やし、パーカーを着てベンチに座り、選手を「子供たち」と呼ぶ男、クロップの存在だろう。彼は2年間を費やして、素晴らしいチームスピリットに満ちたチームを作り上げたのだ。彼の「子供たち」は1人の例外もなくエゴとは無縁で、ガス欠になるまで全力で走り続ける。そんな姿勢が大胆な攻撃サッカーを生み、まるでバルセロナのように、自陣深い位置からでも攻撃を仕掛けるアグレッシブなスタイルを可能にした。

「ピッチに送り出す選手が、『今朝初めて会いました』という集団じゃサッカーなんてできない。全員が完璧に連動し、波長の合ったチームを作るのが私の仕事なんだ」とクロップは説明する。

 これは全く革新的な方法ではないが、それでもいまだに、サッカー界では非常によく機能する。裏を返せば、このスポーツでは今でも個の能力ばかりが注目され、過大評価されているということだ。

 クロップは言う。「昔はマンマークが主流だったから、優れた選手をなるべく多くのポジションにそろえたチームが勝った。だが、今はそうではない。全選手がしっかりした戦術に沿って、波長を合わせてプレーすれば、優秀な選手をそろえたチームにも勝てる。個人能力より、連動性のほうが重要になったんだよ」

 もっとも、クロップによって連動性を高められた若い選手たちは、実は個人能力においても極めて優秀だった。これこそ、ドルトムントの秘密を解く2つ目のカギである。

 これほど多くの若手が、同時期に才能を開花させたのは決して偶然ではない。ブンデスリーガ全体を見渡しても、若手の台頭はドルトムントだけに起こったことではないのだ。2010ー11シーズンのブンデスリーガは、全登録選手の平均年齢が26歳を下回った。22歳以下の選手がプレーした割合は全体の19.4パーセントで、これはいわゆる5大リーグで最も高い数字である(ちなみに、最も低いのはセリエAの6・7パーセント)。

 平均年齢を引き下げた若者たちの大半はドイツ国籍の選手だ。2010年のワールドカップで、平均年齢25.2歳の大会最年少チームだったドイツ代表が3位に入ったことも、このトレンドを象徴する出来事だった。

■屈辱的な2大会が新計画の契機に

 一部の人は、この改革を「若手マニア」と呼んで非難する。イングランドやスペイン、イタリアに資金面で劣っているドイツのクラブが、過剰に若手を持ち上げているだけなのだと。なるほど一理あるが、残念ながらこの意見は2つの重要な点を見逃している。

 1つ目は、ブンデスリーガの資金不足が今さら始まったわけではないということ。以前、資金のないドイツのクラブは安い外国人選手を探し回っていたが、今ではそんなことはしない。クラブの対応が変わったのである。そして2つ目は、若さはクオリティーではないということだ。最新のサッカー事情を扱ったあるドキュメンタリー映像の中で、当時ボルシアMGを率いていたミヒャエル・フロンツェック監督はこう語っている。

「若手マニアとは何だ? 我々は、選手が若いから試合で使うわけじゃない。トレーニングや練習試合で良いプレーを見せ、アピールする選手がいて、彼ならチームに貢献できると感じたから使うんだ。その選手が38歳の場合もあるだろうし、16歳の場合もあるだろう。年齢は全く関係ない」

 これが真実であることは、ドルトムントの成功を見れば分かる。そして昨シーズンは残留争いでも同じことが証明された。重圧の掛かる状況下、ボルシアMGのルシアン・ファーヴル監督は一般的な考え方を無視し、最も経験が重要とされるGKのポジションに19歳のマルク・アンドレ・テア・シュテーゲンを起用した。カイザースラウテルンでは当時20歳のケヴィン・トラップが、フライブルクでも当時20歳のオリヴァー・バウマンがゴールマウスを守った。そして結果的に、この3チームはいずれも見事に残留を達成したのだ。

 ドイツの若手世代の台頭は、金欠クラブの苦肉の策ではない。ドイツが国際舞台で大恥をかいた98年ワールドカップと、ユーロ2000(イングランド史上最弱とされたケヴィン・キーガンのチームにすら負けた)の結果だ。この屈辱的な2大会を終えた後、DFBは、「全国的な才能助成プログラム」という大規模なプロジェクトを打ち出し、すべてのプロクラブにアカデミーの運営を義務づけた。過去10年間で、ドイツのクラブは若手育成に計5億4000万ユーロ(約567億円)を費やしてきた。そして今、その投資の見返りを得ているのである。

「環境は劇的に改善された」とリッケンは言う。「僕が若い頃は土のピッチでプレーしたり、ロッカールームの天井にカビが生えているなんて当たり前のことだった。でも今では、ユースの子供たちもトップチームとほとんど同じ環境でプレーできる。コーチもプロフェッショナルになった。今はプレーだけじゃなく、メンタルにおいても専任のコーチがいる。すべての分野に専門家がいるんだ」

 リッケンによれば、現代サッカーには高い俊敏性と機動力が求められるようになったため、走力と持久力の高い若手世代は以前より貴重になっているという。「求められる運動能力が格段にレベルアップした。純粋な運動能力は、ベテランよりも若い選手のほうが高い。だから、年齢構成が変わってきているのかもしれない」

■奇跡の夢物語、その結末は……

 最後に、ドルトムントの奇跡のシーズンをひも解く3つ目のカギを明かそう。ありきたりだが極めて重大な事実。そう、絶対的な優勝候補のバイエルンが前半戦で思い切りつまずいたことだ。

 昨シーズンの開幕当時、アルイェン・ロッベンやフランク・リベリーといったバイエルンの主力は、ピッチよりも病院にいる時間のほうが長かった。クラブハウスでは経営陣とルイ・ファン・ハール監督が永遠に終わらない口論を繰り広げていた。結果、バイエルンは前半戦で大きく出遅れ、16試合を消化した時点で、首位のドルトムントに勝ち点17もリードされた。シーズンのおよそ半分を終了して17ポイントも離れていれば、普通ならその時点で逆転のチャンスはほとんどない。

 ロッベンが復帰し、ファン・ハールがクラブを去ってから、バイエルンは猛烈な追い上げを見せる。だが、それは既に手遅れだった。まるで時計仕掛けのように最も多くのチャンスを作り出し、最少失点を誇ったチーム、ドルトムントが逃げ切ったのである。

 さて、ここまでドルトムントの奇跡のシーズンを解説してきたが、まだ説明できていない部分が残っている。クロップが最も驚いたことは、若いチームの安定性だったという。「彼らにハイレベルな戦いができることは最初から分かっていた。だけど、シーズンを通してここまで安定した結果を残せるとは思っていなかった。驚かされたよ」

 だが、この認識は今シーズン、少し修正が必要かもしれない。シャヒンがレアル・マドリーに去り、ドルトムントは序盤戦でかなりの苦戦を強いられた。02年以来の参戦となったチャンピオンズリーグでも、アーセナルやマルセイユを相手にちぐはぐな戦いを繰り返し、半ば自滅に近い形でグループリーグ敗退となった。ある意味では、経験不足という若いチームならではの弱みを露呈した形とも言えるだろう。

 だが、ドルトムントに何を落胆する必要があるだろうか? 再び大舞台に挑戦するチャンスと時間は、他のどのチームよりもたっぷりと残されている。

 ドイツで最も熱狂的なことで知られるドルトムントのサポーターは、このクラブが傾きかけた時期にも、決して揺らぐことも消えることもなく忠実なサポートを続けてきた。その彼らは、歴代のどのチームよりも今の若いチームに愛情を注いでいる。欧州の頂点に立った97年の英雄たちよりもだ。

 このストーリーの結末がどうなるのか、それは誰にも分からない。例えば、いつか彼らの中の1人が、リッケンのようにチャンピオンズリーグで決勝ゴールを挙げたとしても、何ら不思議はないのだ。

【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(@SoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではCover&Cover Interviewページを担当。

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