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42歳の早すぎる死、ガリー・スピードの自殺から考えるサッカー界とメディアの課題

2011.12.30

 11月27日、訃報が報じられた。ガリー・スピードの自殺ーー。プレミアリーグを代表する名プレーヤーとして長いキャリアを築き、引退後はウェールズ代表監督として評価を高めてきたスピード。その彼がなぜ自殺を選んだのか。真相はまだ不明だが、彼の死が様々な問題を提起したことは確かだ。スピードの生前、彼に何度かインタビューをした経験のあるジャーナリスト、ジョナサン・ウィルソン氏がスピードの「早すぎる死」について語った。

翻訳協力=阿部 浩 アレクサンダー

■あまりにも衝撃的なスピードの自殺報道

 ツイッターでそのニュースを知った時は信じられなかった。ガリー・スピードが自殺した? 悪質な冗談としか思えない。だがテレビのスイッチを入れると、ニュースチャンネルが同じことを告げていた。私は冷たい手で心臓をつかまれたような気がした。

 テレビのコメンテーターも私と同じように「信じられない」といった感じで途方に暮れていた。スピードと親しかった選手や監督がコメントしている映像も、どこか現実味に欠けていた。突然の自殺という事実を前に、誰もがどう反応していいか分からずに戸惑っているように見えた。

 急逝したスポーツマンは他にもいる。2002年のある朝、クリケットのニュージーランド対イングランド戦を見ようとテレビをつけると、選手が全員、黒い腕章を巻いていた。良くない知らせがあることはすぐに分かったが、それでもアナウンサーがベン・ホリオークの死を告げた時は衝撃を受けた。ホリオークはその試合の数時間前、自動車事故で帰らぬ人となった。まだ24歳だった。また、スピードが亡くなる2週間前には、元クリケット選手でスポーツジャーナリストのピーター・ローバックが自殺している。

 しかし、不謹慎かもしれないが、ホリオークとローバックの2人と比較しても、スピードの自殺はずっとショッキングだ。運転中の不注意から事故を起こしたホリオークの死は、悲劇ではあるが説明がつく。また、ローバックは神経質なタイプで、以前からうつ病に悩まされていた。だが、スピードの場合は? 彼はエネルギーに溢れていた。明るく気さくな人柄で、誰にでも優しく、誰からも愛される存在だった。「自殺」という行為からは最も遠いところにいる人間だったはずだ。

 私はこれまでに3度、スピードにインタビューしたことがある。また、彼が監督業を始めた頃には、共通の知人を通じてリポート作成のアドバイスをしたこともある。我々は特に親しい間柄というわけではなかったが、それでも彼が温厚で思慮深く、思いやりのある人物であることはすぐに分かった。私だけではない。彼を知る人は誰もがそう語る。

 優しい性格で、物事を深く考える人はうつ病に掛かりやすく、自殺に走りやすいと言われる。スピードはまさにそんなタイプだった。そこでメディアはすぐさま、「彼はうつ病だったのでは?」と推測し始めた。偶然にもスピードの死の翌日、2年前に自殺した元ドイツ代表GK、ロベルト・エンケの伝記が2011年のウィリアム・ヒル・スポーツブック賞(編集部注:スポーツ関連の本を対象とした権威ある賞)を受賞し、スピードの件と併せて大きく報じられた。うつ病の末に自殺したエンケに、スピードの死を重ねたくなる気持ちは分からなくもない。

 しかし、誤解を招かないようにはっきり言っておくが、スピードがうつ病だったかどうかは不明だ。少なくとも周囲の人々は、彼にうつ病の症状は全く見られなかったと語っている。真相は死因調査の結果が出る来年1月まで待たなければならない。

■完全否定できないうつ病の可能性

 うつ病は現代社会全体に広がりつつある深刻な問題であり、スポーツ界もまた例外ではない。クリケットの元イングランド代表、マーカス・トレスコシックは3年前、うつ病を理由に代表から身を引いた。同じくクリケットのマイケル・ヤーディも、今年のワールドカップでうつ病になり、大会の途中で帰国した。サッカー界では1990年代にリヴァプールやアストン・ヴィラで活躍したスタン・コリモアが、「ヴィラ時代、ジョン・グレゴリー監督に嫌がらせを受けてうつ病になった」と告白している。彼は気持ちを平穏に保つため、現役を引退した今も毎日10キロ走っているが、「どんなに努力しても、世界が自分に覆いかぶさってくる気がする」という。

 もしスピードがうつ病だったとしたら? これほどショッキングなことはない。親しい人間が誰も気づかないほど、巧妙に隠していたことになるからだ。また、長い間ともにプレーしたチームメートが何も気づかなかったことも信じ難い。一般的に、うつ病の兆候としては「言動があやふやになる」、「約束事がどうしても守れなくなる」といったことが挙げられるが、スピードの場合はどれも当てはまらなかった。しかし、だからと言って彼がうつ病でなかったと言い切ることもできない。2年前、ハノーファーのチームメートはエンケが死んで初めて、彼がうつ病だったことを知ったのだ。

 これはサッカー界だけの問題ではないが、精神的な病気はまだ十分にケアされていないし、偏見も根強い。エンケはなぜ、自分がうつ病だと公表できなかったのか。公表すればキャリアを失うことになると分かっていたからだ。だとすれば、スピードがうつ病だったとして、それを誰にも分からないように隠していたとしても、何の不思議もない。実際、まだ事実が判明していない現段階ですら、ツイッターやウェブサイト上では彼に対して侮辱的なコメントを残している人々がいる。精神的な病理がいかに社会に理解されていないかが分かるだろう。

 自殺した11月27日の前日、スピードはテレビ番組に出演してウェールズ代表について語った。彼が指揮するウェールズ代表は最近5試合中4試合で勝利を収め、彼の就任時には100位以下だったFIFAランキングでも45位までポジションを上げていた。スピードはチームが順調に仕上がっていることを強調し、ユーロ2012の直後にスタートするワールドカップ予選に向けた抱負を語っていた。この番組のコメンテーターはスピードの友人でもあったが、「彼の様子に何も変わったところはなかった」と証言している。だが翌日の朝7時、スピードは自宅のガレージで、首を吊った状態で妻に発見されたのだ。

■自殺を報じる側の役割と責任

 スピードの死から3日間で、5人のサッカー選手がスポーツ選手向けのクリニックに連絡し、うつ病や依存症の相談をした。これはポジティブな傾向だと受け止めたい。だが、うつ病に悩んでいる人は勇気を出して助けを求めるより、スピードの死をきっかけに自殺を選んでしまう恐れもある。

 カリフォルニア大学の社会学者デイヴィッド・フィリップ教授は、自殺が報道されるたびに後を追って自殺者が増える状態を「ウェルテル効果」と名づけた。名前の由来は1774年に発表されたゲーテの名作『若きウェルテルの悩み』だ。この小説が発表された当時、失恋した若者が死を選ぶという内容に感化され、主人公ウェルテルと同じように青い上着を着て自殺する若者が続出した。そのため出版を禁止する国まであった。

「ウェルテル効果」を裏づける事例は数多くある。1984年から87年に掛けて、オーストリアのウィーンで自殺者数が急激に増えた時期があった。数が増えるに従ってマスコミの扱いが大きくなると、それに比例するように更に自殺者が増加。だが、この悪循環に気づいたマスコミが「自殺を報道しない」という共同の取り決めを結んだところ、その後は自殺者数が75パーセント減少した。ドイツのミュンヘンでは、地下鉄の飛び込み自殺についての報道を規制しただけで、自殺者数が25パーセント減少した。ウェールズでは3年前、ブリッジエンドという町で20人以上の若者が次々と連続自殺した事件が起こっているだけに、スピードの死がどのような影響をもたらすかは気に掛かる。

 以上のような理由から、この一件については私としても慎重にならざるを得ない。無意味な臆測や、興味本位の報道は可能な限り避けるべきだ。残された家族や、ファンの心情に配慮することは言うまでもない。

 では、我々のようなサッカージャーナリストは何をすべきだろうか。まず思いつくのは、「悩みがあるなら誰かに相談してほしい」というメッセージを人々に送ることだろう。スピードがうつ病だったかどうかは分からないが、今回の件が心の問題を取り上げる良い機会となることは間違いない。この分野にも真剣な取り組みがスタートすることを期待し、サッカー文化が良い方向に進むように協力したいと思う。

 そしてもう一つは、スピードという偉大な選手の存在をしっかりと伝えることだ。これは言うまでもなく、サッカージャーナリストの本分である。素晴らしい選手だった彼の姿を記憶に残すこと。それが、今回のショックから立ち直る最良の方法だと私は思う。

 88年、リーズでトップデビューしたスピードは、その後エヴァートン、ニューカッスル、ボルトンと渡り歩き、41歳で引退するまで22年間もプレーした。プレミアリーグでは通算535試合に出場。これを上回る記録を持っているのはGKのデイヴィッド・ジェイムズと、ウェールズ代表の盟友ライアン・ギグスだけだ。

 デビューした頃は左足の鋭いクロスを得意とする、アグレッシブな左ウイングとして活躍。年を経るにつれてクレバーなセントラルMFに転身した。タフでフィジカルが強く、戦術眼に優れ、ミドルレンジのパスやシュートに掛けてはリーグ屈指の名手だった。

 だが、プレー以上に印象的だったのは、彼の優れたリーダーシップとプロ精神だろう。所属したどのチームでも、キャプテンマークを巻くのは彼の仕事だった。ウェールズ代表でも長く主将を務め、ケガでプレーできない時でさえ、チームをサポートするために遠征に参加した。他の選手はほとんど歌えないウェールズ語の古い国歌を、彼だけはきちんと歌った。

 そんな彼のことだから、これから監督として輝かしいキャリアを築くだろうと誰もが信じていた。ギグスは言う。「ガリーは最高の男だった。自分の友人であることを誇れる人間だった。僕がどれだけ悲しんでいるか、言葉で表現することなんてできない」

 42歳でこの世を去るのは、あまりにも早すぎる。我々はいずれ、失ったものの大きさに気づかされるだろう。だが今は、ただ彼の冥福を祈りたい。

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【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(@SoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではCover&Cover Interviewページを担当。

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