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梅崎司がジュニアプレーヤーにメッセージ「自分で考え、目的意識を持ってやり続けてほしい」

2015.08.10

[写真]=Getty Images

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浦和レッズに所属する梅崎司 [写真]=Getty Images

 小学生年代でサッカーをする子供を持つお父さん(お母さん)向けに、子供のサッカーの成長、育成に関する各分野のスペシャリストを招き、ジュニアサッカーに必要な知識や考え方を共有するセミナー型のイベント「お父さんのためのジュニアサッカー育成講座」。6月12日に行われた同イベントには、浦和レッズに所属する梅崎司が登場。自身の体験を踏まえながら、ジュニアプレーヤーが育成年代で学ぶべきことについて語った。

 自分の育ってきた環境などを踏まえながら、僕の育成年代のお話や体験を皆さんにお伝えしていきたいと思います。少年時代ですが、とにかくサッカーが大好きで、日が暮れるまでサッカーをしていました。いわゆるサッカー小僧でしたね。身長が低かったんですけど、わりと足が速く、テクニックもそこそこありました。小学校時代はとても上手くいっていましたね。

 僕の父はすごく厳格な人で、家では絶対的な存在でした。そして僕は自分のサッカーをいつも否定され、背が低いことをよく指摘されていました。「お前は小さいからすぐつぶれる。だから勉強しろ」と常々言われていましたよ。母も厳しい方だったんですが、メリハリのある躾をしてくれまして、「ダメなことはダメ、良いことは良い」と、その場で叱ったり褒めてくれたりしてくれる母でした。父とは正反対で、僕のサッカーを常に肯定してくれましたし、自分のやりたいことをいつも尊重してくれるような、そしていつも僕のサッカーを応援してくれる母でした。父と母の関係についても話しておきます。僕が小さい頃から、父が母に暴力を振るうのをよく目の当たりにしていました。当時はそれがすごく怖くて、ベッドに逃げ込むという日々を送っていました。そんな中でサッカーと出会い、サッカーの魅力にはまり、どんどんサッカーが好きになっていきました。そういう家庭環境もあったので、僕にとってサッカーというのは“逃げ場”でありましたし、唯一の楽しみ、唯一の生きがいのようなものでしたね。

 小学生年代で大切だと思うことは、「まずは楽しめ。大好きになれ」ということです。、やはり、「楽しい」、「大好き」に勝るものはないと思うんですよ。楽しいからこそ、大好きだからこそ、サッカーがしたくなるし、やった分だけ上手くなると思うんです。僕はドリブルで相手を抜く感覚やゴールを決める感覚というのがすごい好きでした。とにかく繰り返し練習して、試合で成功体験を繰り返して、さらに好きになって、もっと練習しようという気持ちになっていましたね。

 次に、「負けず嫌いになれ」、「悔しがれ」。やはり誰でも、ずっと上手くいくことってないと思うんですよ。負けることもありますし、上手くいかない時もあります。その時に、「負けていいや」ってなるんじゃなくて、まず悔しがってください。そして「次、勝ちたい」という気持ちを持ってください。その気持ちが練習につながりますし、努力を続ける、努力を始めるきっかけになると思うんですよ。たしか小学校の3、4年生の時に、初めて高学年の試合に出させてもらったんですが、その試合でコテンパンに負けて、何もできずに帰ってきました。すごく悔しかったんですけど、その悩みを母に相談したら「悔しかったら次勝とう。次勝てるように頑張ろう」と。「体力がもたなかったんなら走ろうよ。一緒にお母さんが走ってあげるから」って、一緒にランニングをしてくれたんですよ。それが自分のベースになりましたし、そのあとも悔しいことがあったら「お母さん、また走りにいってくれないかなぁ」と言って、一緒に走りにいきましたね。中学生、高校生の時も一緒で、悩んだり悔しかったら、まずトレーニングしました。そういう少年時代でした。

 三つ目は「質より量」です。小学生年代は、痛くてもやっていい時ってあると思うんですよ。プロ選手は体をフルで使い切れるので、けがをしやすいです。肉離れを起こしたりとか、もしくはターンの反動でひざのじん帯を痛めてしまったりというのがあるんですけど、小学生年代というのは、自分の体をフルで使い切ることはできないと思いますし、僕はやった分だけ自分のものになる、やった分だけ上手くなると思っています。小学校時代はドリブルとゴールが好きだったと言いましたが、もっとドリブルで相手を抜きたいから、もっとゴールを取りたいからこそたくさん練習しました。ペットボトルとボールを持って、近くの空き地や広場、公園、学校などに行って、ペットボトルを並べて、ドリブル練習をする。そしてシュートをするというのを繰り返しやっていましたね。

 中学に入ってからは、周りの選手との体格差が生まれてきました。僕はなかなか成長しなくて、ずっと小さいままだったんです。周りはどんどん大きくなり、スピードもつくし、体も強くなっていく。小学生時代はスピードで相手も抜けたし、ゴールも取れていたんですけど、中学生になってからは体格の差、フィジカルで負けるようになっていきました。そういう日々が続き、全然うまくいかなかったんが、先ほど話したように悔しい時はまず走りに行きましたし、練習しました。そして自分自身の中で変わったのが、考えるようになったこと。「なんで勝てないのか」、「なんで上手くいかないのか」、「何がみんなと違うのか」ということを考えるようになりました。その頃はJリーグもできていましたし、「映像を見て何かを得よう」、「何か研究をしよう」という気持ちになって、特に小さい選手の映像を見て勉強しました。

 そして、大分トリニータU-18に合格し、中学卒業と同時に大分に行くんですけど、そこで「こんなに中学生と高校生ってレベルが違うのか。ユースってこんなにレベルが高いのか」と衝撃を受けました。プロになりたいという夢を持ち、意気込んで大分に行ったんですが、簡単にそれを打ち砕かれましたね。「本当に3年間やっていけるのか」と思うくらいの衝撃でしたよ。でも、先ほど話したように、やはり誰よりも練習しました。朝から練習しましたし、全体の練習が終わった後にも残って練習しました。そして「どうやって生き残れるか」と考えた結果、「自分だけの武器を持つこと」が必要だと思ったんです。その後は自分の武器を手にするべく、ひたすら練習しましたね。

家庭環境はというと、中学時代に母と弟と3人で家を出ることになり、母方のおじいちゃん、おばあちゃんの家に一緒に同居させてもらうことになりました。そんな環境の中、大分のユースチームのセレクションに合格し、僕は大分に行きました。高校の授業料や寮費もすごくかかりましたが、母は「お金の事は気にせんでいいからね」といつも言ってくれていました。母が朝から晩まで働いてくれているのを知っていましたし、すごくいたたまれない気持ちになって。当初は僕個人の「プロになりたいという気持ち」で大分に行きましたが、そういう家庭の事情、母の状況を見た時に、「これはもう自分だけの夢じゃないな」って。「母のためにも絶対プロにならなきゃ。プロになって、お母さんを楽にさせてあげたい」という気持ちが芽生え、夢への意思がすごく強くなりました。正直、高校時代は上手くいかないことの方が多かったんですけど、それでも頑張り続けられた、努力し続けられたのは母の存在があったからだと思います。そうやって誰よりも負けず嫌いになり、諦めない心を持って努力し続けたからこそ、プロになれたのかなと僕は思っています。

誰だって絶対に悩むこと、壁にぶつかることがあると思います。僕はたくさん悩んでいいと思うんですよ。そこで大事なのは、まず諦めないこと。どんなことがあっても絶対諦めず、強い気持ちを持つことが大事だと思います。たくさん悩んで、たくさん壁に当たってほしい。その中で何が必要なのか、どうやって現状を打破していくのかを考えてほしい。目的意識を持ってやり続けることが重要だと思います。

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