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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第六回 同級生」

2015.06.02

「もっともよい友は多分もっともよい妻を得るだろう。よい結婚は友情の才能に基づいているから」(フリードリッヒ・ニーチェ『人間的、あまりに人間的』)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(Jリーグ大宮アルディージャ所属)
おじさん…竹本勝慶(居酒屋「こなから」料理長)

1.料理長の同級生
 
 孤独がおしよせるのは、週末の夜、アパートに向かう車中だったりする。

 週末に行なわれるホームゲームをスタジアムで観戦して、試合が終わったらアパートまで車を走らせる。信号待ちをしている数分間、その数分間のせつなが、ぼくを孤独の闇にすっぽりと包み込む。孤独の闇は大きくて深く、ぼくの精神を飲み込もうとする。怪我の繰り返しでコンディションが上がらない身体をなんとか支えている精神は、切れそうな細い糸を繋ぎ止めようと必死にもがく。

 ぼくは、今シーズンに入ってまだ一試合もリーグ戦に出場していない。大宮アルディージャに移籍してから、これほど試合に出られない状況は初めてだった。〈あせってもしょうがない〉という慰めと、〈どうしてうまくいかないんだ〉という焦りが交差して夜も眠れない時がある。孤独の闇の中に……このままとり残されるのではないかと不安になってしまう。

 アパートの鍵を開けて玄関にバッグを置いて、部屋のテーブルに腕時計を置いて、カーペットにごろんと仰向けになる。ぼくの身体も精神も重い鉛を背負わされているように自由に動くことができない。寝返りをうつ感じで、二、三回転左右に身体を転がしてみる。「ああ」と言って子どもみたいに両足両手をおもいっきり伸ばす。そんなことをしても、ぼくの孤独はまったくなくならなかった。

「なにをやってるんだ」
 こんな気持ちの時は、いつもどうしていたのかと回想してみる。過去にも似たような気持ちになった時は、いったいどんな風に考えてやり過ごしたのだろうか、と思い返す。

「そうだ」
 玄関に置いたバッグから携帯をとり出して、ぼくは《おじさん》に電話する。

 電話の発信音が7回目を数える。

「忙しそうだね」

「おかげさまでね」

「これから行こうと思うんだけど、なにか定食できる」

「うちは定食はやってないけどな。何か用意しておくよ」
と、いつものおじさんの声が帰ってくる。

 ぼくが《おじさん》と呼ぶ竹本勝慶は、大塚駅から徒歩3分の場所にある居酒屋「こなから」の料理長を務める。《おじさん》と言っても、彼とぼくは高校の同級生。最初に彼に会ったのは、入学試験の面接会場だった。一組四人で行なわれた面接で、ぼくは《おじさん》と同じ組になる。ぼくには彼が、中学を卒業してすぐの男子生徒には見えなかった。彼の風貌は、親戚の《おじさん》によく似ていた。だからそれ以来、ぼくは竹本を《おじさん》と呼んでいる。

 ぼくと彼は高校の英語科を受験した。試験会場で面接官は「どうして英語科を受験したのか」とぼくに質問してきた。「Jリーガーになって、海外でプレーしたいので、語学が必要だと考えて受験しました」と答える。それを聞いたおじさんは、〈こいつ、でかく出たなあ。Jリーガーって何か知っているのか。こいつは絶対に落ちた。相当のバカだな〉と思ったという。一方で、面接官はおじさんに、「英語科を受験したのは英語に興味があるからでしょう。あなたはどこの国が好きですか」と話す。おじさんは大声で「ニッポン」と答える。ぼくの頭の中で、〈ニッポン!ニッポン!〉というオリンピックの応援団の声援がこだまする。さすがに「ニッポン」という答えはトンチンカンだったことに気づいたのか、「ト、トルコです」と慌てて話す。〈英語科を受験しているんだから、普通はアメリカとかイギリスだろう。ましてやトルコって。こいつは落ちたな〉とぼくの方も確信した。そんな賢くない二人が、無事に入学試験に合格して、三年間同じクラスで過ごすことになる。

 ぼくらは、試験前にノートの貸し借りをよくしたものだ。ぼくは、サッカーの朝練習を終えてから学校に行く。だからたまに授業中、居眠りをした時もあった。ある日、授業でノートをとってくれるようにおじさんに頼んだのだけれども、なんと次の体育の授業が始まっていて、ぼくらはぐっすり眠りに入ってしまい、気がつくと次の体育の授業が始まっていて、教室には二人だけがとり残されていた日もあった。

 店に着くと、座席はたくさんのお客さんで埋まっていた。カウンターのテーブルに目をやると、一席だけ空けられている。
「調子はどう?」
 と、カウンター越しから言葉をかける彼の正面にぼくが座る。

「んん、またやってしまったんだ」

「なにがだよ」

「ベガルタ仙台とのサテライトの試合で……怪我で試合途中に退場した」

「えっ……退場って。四回連続の退場かよ。それで、怪我は大丈夫なのか?」

「なんとか……」

 ぼくは、イエローカードを二枚もらって退場した横浜F・マリノス戦のあとも、おじさんに会いにこの場所に来た。あの時も彼の第一声は、「調子はどう?」だった。その時は、「自分が退場して代わりに入った選手が怪我をしてしまって、彼には悪い事をした」と答えた。今回の退場は、相手選手との接触プレーから生じてしまったもの。理由はどうあれ、四度連続で退場してしまった今のぼくには、他者のことを気づかったり、ましてや自分の置かれた状況さえ冷静に分析できないでいた。

 おじさんは「そうか、なんとか大丈夫か……」と呟いて、「この前は、《誰とも話をする気になれなかった》とか《具合が悪くなった》とか言っていたけど、夜は眠れているのか?」と言葉をかけてくれる。

「あんまり」
 と、ぼくは答える。
「これでも食べてさ」
 そう言うと、夏野菜とみょうがの煮物、そしてぼくの好きな金目鯛の煮付けを目の前に置く。
「卓朗は、春菊やみょうがみたいに香りの強いものが嫌いだからな。この煮物には、みょうがが入っているけど、食べやすくしてあるからいけると思うよ。それに、《苦い》と言って山菜も嫌いだろう。山菜は身体にたまった毒素を出すと言われているんだ。大人は、春になって山菜を食べて身体の毒を出す。でも子どもは毒素がたまっていないから、ただ苦いとしか感じない。まあ、おまえは素直だからさ、毒素がたまってないんだよな」 
 と、笑いながら話す。

2.ぼくにはなくて彼にはあるもの

 おじさんは、中校生の頃から板前になると決めていた。料理専門学校を卒業すると、老舗の料亭の「吉兆」で下積みをする。それから居酒屋「こなから」を任されて10年目になる。彼の一日の平均睡眠時間は、4時間。朝早くに川越の魚河岸に仕入れに出かける。野菜にもこだわりがあって、直接に農家で購入する。彼に言わせれば、魚とか肉は熟成時間が必要な場合があるのだという。でも、野菜に限っては畑から採られた瞬間に命が絶たれるものだから、鮮度が勝負なのだと話す。だから、隣県の農家と交渉して採れたての野菜を探すのだと説明されたことがあった。

 4時間の睡眠というハードな彼の毎日を支えるのが、奥さんと四人の子どもである。

 ぼくにはなくて、彼にはあるもの。

 それは、自分が築いた家族という人生の核だ。彼の仕事に対する厳しさには、自分のやりたかった職業に就けたからという意志だけではなく、家族のために彼らを守ろうという強い意志がうかがえる。ぼくは、高校受験の面接の時も、「Jリーガーになります」といってひとつの目標を実現した。

 でも最近、ふと、思うことがある。

 ぼくは、自分が目指した職業がサッカー選手であった。それは周りの人々の協力があって初めて成し遂げられたことだ。つまり、誰かのおかげで今のぼくは生かされている。だからぼくは、一生懸命になって自分の目指した職業に取り組んでこられた。

 おそらくぼくに足りないものは、《誰か》のためにと言って行動を起こせる《誰か》の存在と、それを守ろうとする強い意志だ。人のためにという想いが今のぼくには必要なのかもしれない。逆に言えば、誰かを支えたいというぼくは、誰かに支えられたいと願ってしまうほど、孤独な闇の中にいるのかもしれないと思ってしまう。

「なにか飲む」
 と、おじさんは聞いてくる。
「ミネラルウォーター」
 と、即答する。
「炭酸系もあるけど」

「じゃあ……今日は炭酸系でも飲もうかな。普段はあんまり飲まないんだけど。炭酸は頭をすっきりさせる効果があるけど、身体にはあんまりよくないし。だから飲んでも、一日一本だけって決めてるんだ」

「相変わらず固いねえ。真面目だよな。まあ、そこが卓朗らしさなんだろうけど。たまには自分を追いつめないで《しょうがないとか》とか、《こんなこともあるか》とか楽にいかないかなあ……いかないよな」
そう言っておじさんは、ミネラルウォーターを差し出した。

 高校に入学してまもなく、クラス別の球技大会があった。そこではサッカーの試合が組まれた。ぼくは、ゲームに最後の方だけ出場させてもらう。プロのサッカー選手を目指しているわけだから、学校の球技大会では向かうところ敵なしだった。ピッチに立った後半の数分で逆転のゴールを決める。クラスのみんなは歓声をあげて喜んでくれた。試合後に、おじさんはぼくの肩に手をかけて、「やっぱり、卓朗はすごいや。最初見た時は、ひょろっとしていて、こいつにサッカーなんてできるんか、って正直思っていたんだけどさ。いやー、サッカーうまいな」とおどけながら話す。「さっきさ、女子生徒が《すいません》と言ってきたから、俺にコクるのかなってちょっとかまえてたらさ……《卓朗さんが好きなものって何ですか?》と聞いてくるんだ……《俺じゃないのかよ》と突っ込み入れておいた」と少しムクれる。

 高校の授業が終わると、ぼくはすぐに三菱養和のサッカー練習場に向かう。だからぼくらは、放課後一緒に遊んだことは一度もなかった。それでも、学校にいる間は、いつも一緒に行動をともにして、なんでも話し合える仲になっていった。高校を卒業して、大学に進学して、浦和レッズに加入して、大宮に移籍した現在まで、ぼくらの友人関係は続いている。

3.選手生命を賭けてでも絶対にピッチに立つ

 ぼくは、一度だけおじさんに叱られたことがあった。
試合後にラジオのインタビューに答えていた。その日の自分のプレーは、納得のいくものではなかった。そうしたことが原因だったわけではないが、ぶっきらぼうな受け答えをしてしまったようだ。ぶっきらぼうだった、と気づかされたのは、アパートに帰ってからだった。部屋で少し横になっていると、おじさんから携帯に電話が入る。彼はものすごい剣幕でまくし立てる。

「今日のインタビュー、あれ、なんだよ」

「え? 何か問題あったの」

「問題あったのかって。受け答えに覇気もなかったし、ぼそぼそと何を言っているのかよく分からなかった。不機嫌そうに感じたよ」

「そんなにひどかった?」

「ひどかったってもんじゃない。ラジオは顔の表情が見えないから、声だけが頼りだろ。どこで誰が聞いているのか分からないんだから、もっとちゃんと受け答えしないと。あんなんじゃ、ダメだよ」

 自分ではまったく気づかないことだった。知らないうちに、昔の話し方が出ていたんだと思った。それにおじさんは気づいて、電話をしてくれた。実は、ぼくは、高校を卒業するまで、学校でもあんまりしゃべる方ではなかった。どちらかというと、おとなしい高校生だったし、人としゃべるのは苦手だった。

 お客さんが満足そうに食事を終えて、「こなから」をあとにする。店内は、ぼくとおじさんの二人だけになった。
「もうすぐ卓朗の誕生日だろ」
 と、おじさんは突然に切り出す。
「そう」
 と、ぼくはうなずく。
「31歳か」
「もう31かという気もするし、まだ31かという感じもする」
 ぼくの実感だった。
「やれるとこまで続けるか」
「んん。やれるとこまで……ね」

 スタジアムに掲げてある「西村卓朗」と名前が刻まれた大段幕は、おじさんが店のお客さんから寄付を募って作ってくれたものだ。その時に、「大段幕に何か言葉を入れる?」と言われて、ぼくは《感謝》という言葉をリクエストした。《感謝》とは、今まで応援してくれて協力してくれた人々に対しての「ありがとう」ということなのだが、この言葉にはもうひとつのメッセージが込められている。自分がしてもらったように、いつの日か誰かにしてあげられるようになる、というメッセージがあるのだ。

 ぼくがスランプで試合に出られない今でも、練習場やスタジアムで「がんばれ!」や「大丈夫?」と声をかけてくれるファンのために。電話やメールで気づかいしてくれる友人や家族のために。本来ならプロの選手であるぼくが、そうした人々に夢や勇気を与えなければならないのに、今のぼくは、逆に彼らに励まされてばかりいる。そうした人々に、ぼくはそろそろ恩返しをしなければならない。

 だからぼくは、自分の身体がたとえ壊れても、立ち上がらなければいけない。自分の選手生命を賭けてでも、残されたシーズンにすべてを捧げるのだ。

つづく

「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」
「第五回 同期」

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