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【ロンドンの残光】ロンドン五輪サッカー日本代表の真実「Episode 6 メンバーに選ばれた永井謙佑の重責」

2014.12.31

Getty Images

メンバーに選ばれた永井謙佑の重責

永井謙佑
Photo by Getty Images

 ロンドン五輪日本代表の本大会メンバーに選ばれた選手は、「メンバーに入れた」ということそれ自体に重い責任がある。なぜならば、1人の選手がメンバーに選ばれたということは、当然、その選手の代わりに候補となっていた別の誰か1人がメンバーに選ばれなかったことを意味するからだ。したがって、ロンドン五輪日本代表に選ばれた選手は、背負う重責が大きくなる。

 永井謙佑は、そうした自分の立場を十分に理解していた。

 ロンドン五輪日本代表メンバーが発表された7月2日、永井は、クラブの練習がなかったので、自宅でテレビを見ながら発表を待っていた。

 6月16日の第14節、鹿島アントラーズ戦から、6月30日の第16節、横浜F・マリノス戦までの3試合で4得点を決めていたこともあって、「それで選ばれなかったら仕方がない」と思いながら、「気持ちは落ち着いていました」と発表の瞬間を見守っていた。

 テレビから「永井謙佑」と自分の名前が呼ばれるのを聞いて、大きく息を吐き出す。アジア予選で一緒に苦楽をともにしてきた選手たちの、特に、メンバーとして常連だったが名前を呼ばれなかった選手たちのことが一瞬、頭をよぎる。

「選手それぞれいろんな感情があると思うんです。『なんで自分じゃないんだ』という気持ちも当然でてくる。選ばれなかった人たちがいるんだから、選ばれた人はより頑張らないとならない。それに関して、自分自身はわかっています」 と、永井は話すのだった。

U-18日本代表で味わった苦い経験

 広島県で生まれ永井は、父親の仕事の都合で3歳の時にブラジルに移住する。だから、永井がサッカーを始めたのは、フットボールの本場と言われるブラジルであった。彼には兄がいる。兄の影響でサッカーに巡り合う。

「兄貴がサッカーボールを蹴っていたのを見て、『やってみたい』と思ったんですが、子どものころは、一緒にグラウンドについて行っても、芝生に寝転んだり、芝生をむしったりして遊んでいました。まじめに取り組みだしたのは、7歳のころからだったと思います。家の前の道路で、近所のブラジル人の子どもたちと、よくストリートサッカーをやったんです」。

 8歳になると日本に帰国して、福岡県北九州市の中学校を卒業する。永井は、兄が通う九州国際大学付属高等学校に進学。彼は「兄の背中を追いかけてサッカーをやっていた」というように、高校まで兄と同じ環境でサッカーに打ち込む。

「同じ高校に行ったときには、けっこう兄に嫌がられましたね。父や母に『やりにくいよ』と兄が話していたそうですから。僕は兄に『同じ高校には行かねえよ。絶対に行かねえよ』と言いながら、兄のあとを追いかけました」。
 と、笑いながら話す。

 高校3年生のときに、全国高校サッカー選手権に出場。1回戦で富山第一高等学校を相手に2得点を挙げ勝利に貢献する。続く2回戦では、桐光学園高等学校に0対2で敗れる。これが、永井の高校時代の戦歴である。

 福岡大学に進学すると同時に、U-18日本代表に召集された。彼は、大学に入ってからプロになりたい、という思いを抱くようになる。そして、U-18日本代表で味わった苦い経験から日本の代表として五輪に出場するチャンスを願った。

「大学に入ってからプロになろう、と思ったんです。ワールドユースの予選で韓国に0対3で負けたんですけど、あまりにもショックが大きくて。それでプロになって五輪に出て、その時の借りを返したいと決心したんです。

 実力差も感じたんですけど、自分がなにもさせてもらえなかったことに、すごく不甲斐さを感じてしまった。いつか彼らと同じ舞台に立って、あの時の借りを返したい。それが、ロンドン五輪の場所になればいいと思っています」

 五輪出場にかける強い思いを持つ永井は、「あの時のリベンジ」を果たしたいと、ずっと胸の奥にしまい込んでいたのだった。

 永井は、過去に大きな国際大会の数々で得点王を取ってきた。大学2年生の時、AFC U-19選手権では、準々決勝のイラン戦でハットトリックを決めて、通算4ゴールで得点王になる。さらに、第25回ユニバーシアードにおいて対ブラジルと対タイとの試合でもハットトリックを記録し、通算7得点で大会得点王を得る。また、杭州で行われたアジア大会では、5ゴールを挙げて得点王に輝き日本を優勝に導く。

 ロンドン五輪でもFWとして目指す目標は当然得点王になることだ。

「やっぱり、一番の目標は得点王になりたい。まずそのためにも、試合に出たら、1試合1得点を挙げることを目標にしています。僕は、点が入りだしたら、連続して点を取れるタイプなんですよ。今シーズンは、シュートに対する意識の変化があったことが大きい。クラブのキャンプで攻撃に関する意識づけがずいぶんされたんです。

 たとえば、シュートを打てばいいのに、トラップしてしまう場面があった。その隙に相手につめられてボールを奪われる。今はトラップしないで、ダイレクトにシュートを打つプレーが多い。昨シーズンは、途中出場の機会が多かったので、長い時間プレーしていなかった。今シーズンは長い時間ピッチに立てているので、プロのスピードやフィジカルに慣れてきたということはあります。

 それに、周りとの連係が高まったということもある。僕の動き出しのタイミングを周りの選手に理解してもらえるようになったんです。タイミングを合わせてくれるようになりました。五輪代表でも同じように僕の動き出しのタイミングを理解してもらえれば、得点を重ねることができる、と考えています」と述べる。

 また、最終メンバーの中に残った6人の海外組に関して、特にロンドン五輪で同じピッチに立つことが予想された大津祐樹のプレーには刺激を受けたと言う。

「大津とか成長しているな、と思いますよ。メンタル的にも成長したんだな、と。相手にプレッシャーをかけられて、厳しい場面でも非常に落ち着いてプレーしていますよね。自信がついたのかな。ピッチに一緒にいてもベンチから見ていても、そう感じます。

あせってプレーしなくなりましたね。体を張ったプレーだったり、相手に激しい当たりをされてもまったくブレることがない。日ごろの練習から激しい当たりの中でやっているので、相当に自信につながっているんだな、と思えます」

攻撃は選手のイマジネーションに頼り、守備は細かく組織的に

 ロンドン五輪のアジア予選が進むにつれて、関塚隆監督が目指すサッカーに変化がでてきた。

 永井は、試合での戦い方の変化について話し出す。

「チームが集まった最初の大会が、アジア大会だったんですが、そこではしっかりと守ってカウンターで攻める、という感じのサッカーだったんです。五輪アジア予選になると、ボールを繋いで相手を崩していく、というサッカーのイメージが監督にはあったと思います。

 実際に、ボールを繋いで相手を崩していくというサッカーを選手たちもイメージしてやったんです。初期のメンバーとロンドン五輪に選ばれたメンバーでは、選手の顔ぶれががらっと変わってきましたよね。そうした状況の変化があった中で、練習をするにしたがって、チームとしてやれることがどんどん高まっていって連係が深まった、と感じています」。

 攻撃に関して話を聞いた選手たちに共通する意見がある。

 監督は、守備に関しては細かく指示をするが、攻撃については、選手の自主性を重んじて個人のイマジネーションに任せている、ということだった。

「後ろでのビルドアップ面に関しては、具体的に話されます。それと、前線の選手のボールの追い方にも注意があります。攻撃面については、周りとのコミュニケーションで生まれていく場面もあるので、そこは選手たちで自由にやらせてもらっています」。

 さらに、クラブではサイドのポジションを任されることの多い永井だが、五輪代表では1トップのポジションに立つ可能性がある。

「以前はトップで張るポジションがやりやすかったんですけれども、今シーズンに入ってずっとクラブではサイドでやらせてもらっていますから、最近はサイドでやる方がやりやすいですね。

 1トップでのプレーは、ボールを収める仕事やいろんな動きが要求されるポジションだと思うんです。サイドだと自分と対面するのが相手選手しかいないので、1対1になれて勝負に出られる」と、言葉を重ねた。

 そして、ロンドン五輪の初戦となるスペイン戦への抱負と決意を語りだす。

「ユーロ2012で優勝したメンバーが数人選ばれていますよね。だから、初戦の相手としては、とてもやりがいがある。オリンピック世代のサッカーは、具体的にどういうサッカーをやるのかまだわからないんですが、スペインのフル代表のサッカーのイメージは、ボールを繋いで繋いでいく、という感じなので、トップが繋ぐサッカーをするなら、その下の世代のサッカーも同じものなのかな、と捉えています。

 真剣勝負の場所ですから、絶対に苦しい場面が訪れるときがくると感じていたので、そうした状況の中でピッチに出たら仕事ができるように準備をしておこう、と思って、常にプラスに物事を考えるようにしています。試合前日には、スタメンがわかるので、たとえ試合に頭から出られなくても、マイナスのイメージを引きずっていたなら、決していい結果にはならないですから」。

 オーバーエイジ枠で選ばれた吉田麻也が、リハビリを兼ねてグランパスの練習に参加していた。

 永井は、吉田に話しかける。

「怪我大丈夫ですか?」

「んん」と、吉田は返事をする。

「間に合うんですか?」と言ってから、少しおどけながら「そんなんじゃ力になんないよ」と冗談まじりで声にする。

「いや、任せろ! 大丈夫だから」と、笑いながら吉田は答えた。

 本大会でロンドン五輪代表のキーパーソンとなる吉田が、計り知れないほどのリーダーシップを発揮してチームに新たな息吹を吹き込むことになろうとは、この時点では誰も予想していなかった。

【BACK NUMBER】
●Episode 5 最終選考メンバー発表の明暗
●Episode 4 キャプテン山村和也という存在
●Episode 3 チームの雰囲気を一変させた選手だけのミーティング
●Episode 2 攻撃側の選手と守備側の選手の乖離
●Episode 1 不協和音はロッカールームから始まった

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