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引退を意識してから11年、ついに迎えた“ファーギータイム”の終焉

2013.06.12

19th May 2013 - Barclays Premier League - West Bromwich Albion v Manchester United - Man Utd manager Sir Alex Ferguson waves to the crowd before his final match in charge - Photo: Simon Stacpoole / Offside.

[ワールドサッカーキング0620号掲載]

アレックス・ファーガソンが初めて“引退”を意識したのは2002年、まだ60歳の時だったという。しかし、その後に積み上げた時間、いわゆる“ファーギータイム”は、それから11年間も続いた。監督就任から26年以上、71歳になるまで彼を突き動かしてきたものとは果たして何か。ファーガソンが現役にこだわり続けた理由をひも解けば、おのずと引退の真の理由も見えてくる。
ファーガソン
文=オリヴァー・ケイ Text by Oliver KAY
翻訳=田島 大 Translation by Dai TAJIMA
写真=ゲッティ イメージズ、アフロ Photo by Getty Images, AFLO

 2005年11月の夜、オールド・トラッフォードには凍てつく風が吹き荒れていた。数時間前までスタジアムを埋め尽くしていた6万7471人の観衆は、そのほとんどが不満と不安を抱いて帰路についた。マンチェスター・ユナイテッドはビジャレアルとのチャンピオンズリーグ(CL)の一戦を無念のスコアレスドローで終え、ほとんど空になったグラウンドには数名の警備員とジャーナリスト、そして浮かない面持ちをした“ナイト”だけが残っていた。

 サー・アレックス・ファーガソンがストレトフォード・エンドの外側に抜ける地下通路から現れたのは時刻も24時に近づこうとする頃。視界には、正面に回されていた自分の車が見えたが、彼の視線はその向こうで震えながら身を寄せ合って出待ちをしていた2人のユナイテッドファンへと向けられた。「サー・アレックス、僕たちはアイルランドから来たんです」

 ファーガソンは一瞬ためらったように見えたが、いつものキビキビした足取りで2人に近寄り、サインを2つ書いた。サインが書かれたシャツには、4日前にクラブを去ったばかりのロイ・キーンの名前がプリントされている。決して円満でなかったキャプテンの退団により、クラブはファンの求心力をますます失っていた。

 ユナイテッドの監督を前にして、たまたま通りかかって聞き耳を立てていた私の存在にも全く気づいていない2人は、この瞬間なら何でも聞けたはずだ。きっと闘将を手放してしまった理由を聞きたかったに違いない。しかし、彼らは監督をあっさりと帰してしまった。一言だけ「その調子で続けてください」という言葉を残して。

 その調子で続ける? ユナイテッドに来て間もない頃なら、その言葉をありがたく頂戴できただろう。だが、ウィルムズローの自宅に帰るまでの20分間、ファーガソンの心に去来したのは変わりゆく時代のことだったに違いない。ロマン・アブラモヴィッチの富で豊かになり、ジョゼ・モウリーニョの指揮で自信を深めたチェルシーは、当時、後続に9ポイント差をつけてプレミアリーグの首位を独走していた。一方のユナイテッドは数週間前にミドルスブラに惨敗し、2週間後にはベンフィカに敗れてCLでの敗退が決定。キーンはクラブのオフィシャル番組でチームメートへの不満をぶちまけて(放送はされなかった)のちに退団。ルート・ファン・ニステルローイは若いクリスチアーノ・ロナウドに強く当たり、萎縮させていた。また、サポーターは世界一収益力のあったクラブを世界一負債の多いクラブに変えたグレイザー一族の買収に反発していた。

 簡単に言えば、オールド・トラッフォードは楽しくない場所になり下がっていた。ユナイテッドの番記者がキーボードに指を走らせ、自らのショッキングな一文に思わず息をのんだのもこの頃だった。「サー・アレックス・ファーガソンはユナイテッドでハッピーエンドを迎えられないのではないか」

数々の成功の陰で忍び寄る“老い”

 その後のストーリーは誰もが知っているとおりだ。それから1年半後の07年5月、ユナイテッドは月曜午前に臨時記者会見を行い、開場入りした記者にはプラスチックのコップでシャンパンが振る舞われた。そんなことはかつてなかった。その前日、プレミアリーグのタイトルを奪還したファーガソンが、拍手喝采をもって会見室に迎え入れられる。これも初めてのことだ。1993年以降、ユナイテッドにとってリーグ優勝は当然のことで、それほど敬意を払うべきことではなかった。しかし、この時のタイトルはファーガソンが成し遂げた成功の中でも最大級の偉業に感じられた。

 拍手が収まると、ファーガソンは怒ったふりをして「誰がやめていいと言った」とおどけてみせた。そして、シーズン当初に優勝候補から外されていたことについて「君らは本当にダメだな。とても最高の予想屋とは言えない」と冗談めかした。記者たちがバツの悪そうな笑みを返すと、彼はユナイテッドほどのクラブが不調に陥れば批判は避けられないと語った。非常に上機嫌で終始笑顔だ。「美しく辞めるには理想的な機会ではないか」。ライバルクラブびいきの記者が発した願望のような質問にも、「なぜ私が辞めなきゃならないんだ。02年に本気で引退を考えて以来、辞任が頭をよぎったことはない」と言った。「辞めるのは簡単だが、数年前に引退を決めかけた時は数日で思い直した。今はウチの若い選手たちから元気をもらっている。今シーズンはとにかく元気でいられた」

 しかし、話はそこから思わぬ方向へ逸れた。彼は物憂げにこう言ったのだ。「老いはあっという間に忍び寄ってくるものだ。自分ではまだ58歳だと思っていたのに、新聞に65歳だと書いてあるのを目にして『ちょっと待ってくれ、自分がそんな年寄りなわけがない』と戸惑う。いつの間にそんなに歳月が流れたのか。5、6年前の自分と何が変わったのか。自分では変化に気づかないが、変わった部分もあるのだろう」

 その後、「70歳になる11-12シーズンまで監督を続ける自分を想像できるか」という質問が出た。ファーガソンは常々「ボビー・ロブソンにはならない」、つまり70代になっても監督を続けるという考えを否定してきた。この時も、数秒考えてから「いやいや、できないよ」と答えた。「69歳ならどうか」と聞かれても何も言わず「あとは想像に任せる」とでも言うように穏やかな笑みを浮かべるだけだった。しかし、当時その場にいた人間の想像は完全に間違いだった。

ファーガソンを悩ませたライバルの台頭、現代サッカーの現実……。老将が引退を決意した理由とは。続きは、ワールドサッカーキング0620号でチェック!

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