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どん底の評価から8カ月、吉田麻也はセインツの中心へ

2013.04.17

[ワールドサッカーキング0502号掲載]
吉田麻也
文=ジョナサン・ウィルソン Text by Jonathan WILSON
翻訳=阿部 浩 アレキサンダー Translation by Alexander Hiroshi ABE
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

『おそまつで軟弱』と酷評された時期を乗り越え、吉田麻也が存在感を示している。指揮官交代という“変化”に適応し、ポチェッティーノ新監督の“哲学”をピッチで表現。上昇気流に乗るサウサンプトンの守備の要、そして攻撃の起点として、更なる躍進を視界に捉えている。

不運が重なったシーズン序盤戦

 セント・メリーズ(サウサンプトンの本拠地)に訪れた3万を超える観衆が一斉に悲鳴を上げた。ピッチ上にはスウォンジーの歓喜の輪と、吉田麻也のうなだれる姿があった。

 2012年11月10日のプレミアリーグ第11節、サウサンプトンはホームで先制点を奪い、試合を優位に進めていた。しかし、GKパウロ・ガッサニーガが出した不用意なパスを吉田が処理できず、ネイサン・ダイアーにボールを奪われて同点ゴールを決められてしまう。試合は1-1のまま終了し、勝ち点3の獲得を期待してスタジアムへ訪れたファンの大半は、失望のまま帰路に着くことになった。『スカイスポーツ』はこの試合の採点で吉田に「5」(最高「10」、最低「1」)というチーム最低点をつけ、「ミスの代償はあまりに大きかった」と酷評。その他メディアにも手厳しい言葉が並んだ。それ以前にもミスを繰り返していた吉田に対するメディアの評価は、スウォンジー戦を終えた段階で、どん底まで落ちたのである。

 ただし、同情の余地がないわけではなかった。吉田はシーズン当初からツキに見放されていた部分があった。プレミアリーグのデビュー戦となったアーセナル戦は、チームメートの負傷による“緊急登板”。1-6の大敗、自らも失点に絡むという悪夢のような初陣となったが、チーム練習に一度しか参加していない選手に多くを求めるのは酷だろう。当時、チームを率いていたナイジェル・アドキンスは「マヤには申し訳ないことをした。この試合だけで彼の評価が決まらないことを願っている」とかばったものだ。

 また、サウサンプトンは攻撃に比重を置くあまり、守備がおろそかになりがちで、最終ラインには大きな負担が掛かっていた。第8節までにリーグワーストの24失点を喫したことで、メディアは吉田を含む守備陣に原因を求めたが、チーム全体の問題を彼らだけに押しつけることがそもそもナンセンスだったと言える。

 チーム事情により右サイドバックを務めるなどポジションが固定されなかったこと、ロンドン・オリンピックに出場したことで十分な休暇を取れなかったことも、彼のパフォーマンスに少なからず影響したはずだ。いくつか失点につながるミスを犯したのは事実だが、フィジカルコンタクトの少ないオランダから当たりの激しいイングランドにやって来た“新参者”が、その違いに困惑するのは当然のことである。

時間が経つにつれプレーの質は向上

 かつてアーセナルに在籍し、2003-04シーズンの無敗優勝の中心メンバーとなったロベール・ピレスでさえ、加入当初は吉田と同じように戸惑い、困惑の表情を浮かべていたものだ。しかし、時間の経過とともにプレミアの水に適応したピレスは、リーグ屈指のタレントへと上り詰めた。国籍もポジションも、更に所属チームの戦力も違うピレスと吉田を結びつけるのは暴論かもしれないが、プレミアリーグへの適応にはそれ相応の時間が必要なのである。

 悪夢のようなアーセナル戦から始まったシーズンは、吉田を苦しめた。ミスをした際には「おそまつで軟弱なDF」(『ガーディアン』紙)と酷評されたこともあった。しかし、その期間はイングランドのフットボールになじむために必要な時間だったのである。そして、吉田は徐々にパフォーマンスを上げ、この“どん底の期間”が無駄ではなかったことを証明していく。

 彼が実力を見せ始めたのは第12節のQPR戦だった。ジブリル・シセのマークを担当すると、相手のエースに90分間仕事をさせず、3-1の勝利に貢献。『オブザーバー』紙が選ぶこの試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。また、第15節のリヴァプール戦、チームはダニエル・アッガーの一発で敗れたものの、吉田個人はルイス・スアレスを封じたことで称賛を浴びた。そして極めつきは今年の元日に行われたアーセナル戦での活躍だ。セオ・ウォルコットのシュートを体を張って止め、巧みなカバーリングで相手の決定機をことごとく阻止。吉田は1-6で敗れたデビュー戦がうそのように、ガナーズの前に立ちはだかり、サウサンプトンに貴重な勝ち点1をもたらしたのである。

 つい2カ月前まで酷評されていた日本人DFは、「守備の中心にいた」(『スカイスポーツ』)と評されるまでに成長を遂げ、メディアの評価を覆した。

指揮官交代により輝きを増すセインツ

 2013年に入り、吉田を取り巻く環境は大きく変わった。何と言っても一番の変化は、1月18日にアドキンスが解任され、マウリシオ・ポチェッティーノが新監督に就任したことだ。

 アドキンスはサウサンプトンをリーグ1(3部)からプレミアリーグへ引き上げた、いわばここ数年で最大の功労者と呼べる人物だった。実際、『ガーディアン』紙によればアドキンスが率いたチームの勝率は54パーセント。これはクラブ歴代4位の数字であり、1911年以降にチームを率いた監督の中ではトップの成績だ。前述のとおり、元日にアーセナルに引き分けたことに加え、16日にはチェルシー相手に2-2の好勝負を演じていた。にもかかわらず、サウサンプトンは「最高の監督」をあっさりと切り捨て、プレミアリーグで実績のないポチェッティーノを迎え入れたのである。

 この判断は当初、大きな波紋を呼んだ。マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督は「フットボールの世界はクレイジーで、何が起きても不思議ではない。しかし、この決定はあまりにもアンフェアだ」と切り捨てたほどだ。

 ただ、メディアや他チームの監督たちが批判的なまなざしを向ける中でスタートしたポチェッティーノ体制は、今のところ「成功」と呼べる結果を残している。初勝利までに4試合を費やしたが、待望の初勝利の相手はマンチェスター・シティーだった。更に第30節にはリヴァプール、第31節にはチェルシーと、強豪を次々と撃破。第32節のレディング戦にも勝利し、シーズン初の3連勝を飾るとともに、順位も11位まで浮上した。

 好調の要因は、ポチェッティーノの明確な哲学と、それをピッチ上で体現できる選手がそろっている点だ。就任記者会見で「私はディフェンスラインからパスをつないで攻めるスタイルを好む。前線からプレスを掛ける攻撃的なチームを作りたい」と語ったように、ポチェッティーノの哲学の根幹にあるのは攻撃であり、ショートパスである。アドキンス時代にショートパスをつなぐスタイルを経験していた選手たちは、新指揮官の戦術に拒否反応を示さなかった。吉田も例外ではなく、持ち前の正確なフィードを生かして攻撃の起点となっている。

 サウサンプトンの変化を示す興味深いデータがある。アドキンスが退任する直前の5試合で、サウサンプトンは50パーセント以上のボールポゼッションを一度も記録しなかった。ところが、ポチェッティーノ体制になってからの10試合では、50パーセント以上を4度、60パーセント以上を2度も記録。50パーセントを下回ったリヴァプール戦( 48パーセント)やチェルシー戦( 49パーセント)にしてもその差はわずかであり、内容面でも強豪と互角の戦いを演じていることが分かる。

 更に圧巻はパスの本数だ。アドキンスが率いたラスト5試合の1試合平均が410本だったのに対し、現体制では平均503本と大幅に増加している。これらのデータはポチェッティーノの哲学がチームに浸透している何よりの証拠だろう。

ポチェッティーノが吉田に求めること

ポチェッティーノが吉田に求めていることは2つ。サウサンプトンを支える上で不可欠な2つの要素とは?続きは『ワールドサッカーキング0502号』にて!

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