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“危険な救世主”バロテッリはミランを復活に導けるか

2013.04.04

[ワールドサッカーキング0418号掲載]
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文=マット・バーカー&シモーネ・ステンティ
Text by Matt BARKER & Simone STENTI
写真=ゲッティ イメージズ 
Photo by Getty Images

その素質に疑いはないが、誰もコントロールできない危険人物。才能よりも数々のトラブルで有名になったマリオ・バロテッリは、マンチェスター・シティーで信用を失い、母国へと帰還した。クラブ再建の途上にあるミランにとって、彼は救世主たり得るのか。危険なギャンブルに見える移籍劇の真実を追う。

大騒動に発展したミラノでのディナー

 ミラノの中心地の北に位置するレストラン「ジャンニーノ」は細部まで洗練された、古い学校のような雰囲気を持つ店だ。インテリアはクラブ風だがメニューは伝統的で、かかとをカチカチと鳴らすフォーマルなウェイターがテーブルの間をせわしなく動き回っている。

 ミランの副会長であり、美食家でもあるアドリアーノ・ガッリアーニにとって、この店はもう一つのオフィスのようなものかもしれない。ミランのオーナー、シルヴィオ・ベルルスコーニの写真が壁に掛かっているから、ではなく、ここで数々の交渉が行われたからだ。ズラタン・イブラヒモヴィッチの移籍契約はまさにこの店で合意に至った。2009年、デイヴィド・ベッカムが初めてロッソネーロ(赤と黒)のシャツを着ることになったレンタル移籍交渉も、同じようにここで行われた。

 ここ数年で、「ジャンニーノ」は流行の最先端を行く人々のアジトのようになってきた。代理人、テレビのショーガール、無数の取り巻きたち。そして、新しくミランに加わった選手にとっても、この店のディナーに招待されるのは最近の恒例行事になった。というわけで、マリオ・バロテッリのミラン入団が発表された時、「ジャンニーノ」は当然のごとくミラニスタに囲まれることになった。

 19時頃、ファンが店の前に集まり始めた時は、まだとてもリラックスした雰囲気だった。父親に肩車され、サインブックを握りしめた子供たち。バロテッリを一目見るために、帰りの電車を遅らせることに決めたビジネスマン。クラブのマフラーを巻いたサポーターたちは、この寒い1月30日の夜が、バロテッリの入団祝いの夜になることを確認し合っている。やがて歓迎の横断幕を掲げ、拡声器を振り回すファンの一群が現れると、わずかながらもみ合いがあった。「とても寒い夜だった。みんな暖まろうとぴょんぴょん飛び跳ねていたよ。クルヴァ・スッド(サン・シーロの南側スタンド。ミランサポーターが陣取る)の連中が到着する頃には、人々はイライラし始めていた」。そう語るマルコは、今では絶滅危惧種のように珍しくなってしまったミランのシーズンチケットホルダーの一人だ。

 報道陣と警官が現れた頃、人の群れは500人ほどに膨れ上がり、車が行き交うヴィットール・ピサーニ通りまで広がっていた。サポーターたちはインテルを汚い言葉で攻撃する定番のチャントを歌っている。その場の雰囲気は平穏な水曜の夜というより、ミラノダービーのキックオフ前のようだった。

 ようやく主役が登場したのは22時すぎだった。バロテッリはアメリカのラッパーのように光り物のアクセサリーをじゃらじゃらと身につけ、ニューヨーク・ニックスの野球帽を斜めにかぶっている。マルコはその瞬間をこう振り返る。「みんなおかしくなってしまった。ウルトラスだけでなく、年寄りも、スーツを着た人も、子連れの父親も……誰もが彼に触りたがり、彼に声を掛けたがった」

 バロテッリはサポーターの大合唱に加わり、カメラの前で陽気なポーズを取った後、レストランに入って野球帽をかぶったまま席についた。同時に、外では警官が人々を追い払い始めた。ボトルが投げられ、警棒が抜かれ、催涙ガスがまかれる。年配の警官が頭にケガを負って病院に運ばれ、6人の逮捕者が出た。

 レストランの中では、バロテッリが外の喧騒をよそに、のん気にトマトソースのスパゲッティを注文していた。自分が巻き起こした大騒ぎに彼が気づかなかったのは今回が初めてではないし、驚くべきことでもない。これがマリオ・バロテッリというプレーヤーであり、彼にとっては大騒ぎこそが人生なのだ。

劇的に変化したフットボールシーン

 ここで時計の針を2010年の夏に戻そう。当時まだインテルの選手だったバロテッリは、マンチェスター・シティーに移籍してイングランドに上陸する前に別れを経験している。

 それはタフな数カ月だった。バルセロナでのチャンピオンズリーグ(以下CL)準決勝で彼は無気力なプレーを見せ、着ていたシャツを地面に投げつけ、ジョゼ・モウリーニョ監督からひどく叱責された。やがて監督やチームメートとの関係が悪化し、彼は孤立していった。ピッチの外でも車が壊されたり、警官の取り調べを受けたこともあった。

 しかも、彼はミランへの愛着を公言していたことで、同じ街を二分するインテルのファンを怒らせていた。バロテッリに声援を送っていたクルヴァ・ノルド(サン・シーロの北側スタンド。インテルサポーターが陣取る)の人々は、彼が赤と黒のユニフォームを着てテレビ番組に出演した時には深い悲しみを覚えただろう。インテルのロッカールームで彼がミランのチャントを歌っていたという話まで報じられた。

 当時のインテルはヨーロッパチャンピオンになったばかりで、楽観的なムードの中にあった。未来は明るく、ストライカーは足りていた。この若く未熟な、トラブルの絶えないFWに移籍のオファーが届いた時、契約をためらう理由など一つもなかった。

 それから3年で、イタリアのフットボールシーンは劇的に変わった。経済危機がフットボール界を直撃したことで、若い、地元育ちの選手を再び信頼するようになってきたのだ。

 バロテッリが去った時、イタリアは若者たちの国ではなかった。ミラノにある2つのビッグクラブは足の重い30代に頼り切っていて、スピーディーなプレッシングゲームに対処できないことも多かった。イタリア代表は09年のコンフェデレーションズカップでエジプトに敗れ、翌年のワールドカップ(以下W杯)でもグループリーグで敗退するという最悪の状態にあった。メディアは才能ある選手がどんどん少なくなっていると嘆き、ビッグクラブが外国籍選手ばかり起用するせいで、イタリア人選手が締め出されていると批判した(実際、インテルがCLで優勝した時、決勝戦のスタメンにはイタリア人が一人もいなかった)。

 だが、ユヴェントスの復活にも後押しされ、空気は変わった。ユヴェントスは(ジャンルイージ・ブッフォンとアンドレア・ピルロを除けば)センターラインを25歳以下のイタリア人で構成し、11-12シーズンに無敗でスクデットを獲得したのだ。昨夏、パリ・サンジェルマンへ移籍した20歳の天才MF、マルコ・ヴェラッティのような選手も、将来的には母国に(恐らくユヴェントスに)戻って来るだろう。ミランではもう一人の20歳、ステファン・エル・シャーラウィが、毎試合のようにメンバーが変わる攻撃陣の中で最もコンスタントにプレーしている。既にA代表に選ばれている彼は、昨年11月、フランスとの親善試合でバロテッリとコンビを組み、何度も効果的な連係プレーを見せた。イタリアは1-2で敗れたが、唯一のゴールを決めたのはエル・シャーラウィだった。

カカーの古巣復帰を諦めバロテッリ獲得へ

 バロテッリがセリエAに復帰する可能性が初めて表面化したのは、昨夏の移籍市場が開く直前の週のことだった。しかし、ミランはかつての英雄であるカカーを連れ戻すことに集中しているように見えた。カカーなら安価でレンタルできそうだったし、何よりもバロテッリは高すぎた。ベルルスコーニにそれだけの余裕がないことは周知の事実だった。

 社会全体の不況と、うんざりするほど金が掛かる裁判の連続(不正経理、職権乱用、収賄、未成年者買春など)により、前イタリア首相の資産はすさまじい勢いで失われていた。彼はミランに投資するどころか、資金繰りのためにイブラヒモヴィッチとチアーゴ・シウヴァを売却しなければならなかった。

 だが、これらの動きは、当然ながらファンを失う結果を招く。シーズンチケットの売れ行きは昨夏の時点でわずか2万3618枚。これはベルルスコーニ政権下で最低の数字だった。

 結局、カカーを復帰させようとしたプランは失敗に終わった。レアル・マドリーは3年前にカカー獲得に費やした移籍金を少しでも回収しようと考え、長期間にわたった交渉は決裂した。すると1月中旬、マンチェスター・Cはバロテッリの交渉条件を下げる意思を明らかにする。移籍金はそれまでの3700万ユーロ(約44億4000万円)から、2000万ユーロ(約24億円)の6回払いにまで下げられた。だが、バロテッリのミラン入りは依然として現実的なものとは見なされていなかった。ベルルスコーニがテレビで、彼を「腐ったリンゴ」、つまりチームに破壊的な悪影響を及ぼす存在だと言い切ったからだ。加えて、短期契約でディディエ・ドログバを加えるプランも浮上していた。

 しかし、ベルルスコーニがバロテッリ獲得に本腰を入れたことが分かると、事態は急転した。無関心だったファンは再びクラブに注目し、絶望的なほど退屈だったシーズンが輝き始めた。ミランはCL出場権獲得という最低限の目標に向け、新たな力を得たようだった。

 ベルルスコーニの一連の裁判は全く片づいていなかったが、ともかく移籍話は復活した。どこにでも姿を現すミーノ・ライオラ(バロテッリの代理人)はわずか数週間前、バロテッリをモナリザに例えてミランには買えない選手だと主張していたが、1月になるとミランの役員オフィスをブラブラと歩いているところを目撃された。移籍市場が閉じる数日前、ライオラは契約書をまとめ上げ、悪天候のために北イタリアで足止めされた後、ロンドンへ飛んだ。こうして、当初の予定より1日遅れた1月29日、マリオ・バロテッリがミランの選手になることが発表された。「彼はいいヤツだ」。そう言ってベルルスコーニは笑った。

ファンを熱狂させる異常な人気ぶり

 ピッチ内外で起きた無数のトラブルは忘れ去られた。バロテッリは歓迎され、社会的なスキルよりもフットボールのスキルがフォーカスされた。22歳の彼は依然として、同世代の中で最も才能に恵まれた選手だと見なされている。

 イギリスの下品なタブロイド的文化を鼻で笑うイタリアの「ジャーナリスト」たちは、バロテッリがマンチェスター・Cで起こした数々のトラブルを「うわさ話」としてあっさり片づけ、寛大にもバロテッリに温情を与えようとしているようだ。『ガッゼッタ・デッロ・スポルト』紙のコラムニスト、ルイージ・ガルランドは言う。「マンチェスターで何があったにせよ、彼はバロン・ドールの候補者であり、ユーロ2012のスターの一人だ。ここ数年、あまりにも多くのビッグネームがカルチョを離れていった。我々はようやく、セリエAにトッププレーヤーを迎えられるんだ」「ジャンニーノ」での騒動から4日後、バロテッリはミランの一員としてサン・シーロのピッチに立っていた。相手はウディネーゼ。スタジアムのアナウンスがスタンドを盛り上げる。「初めて《正しいシャツ》を身につけてサン・シーロに立つ、背番号45、マァァァリオ・バァァァロテッリ! !」

 彼がスタメンに入るとは予想されていなかったが、試合前のアップ中にジャンパオロ・パッツィーニがケガを負ってメンバーを外れ、バロテッリがエル・シャーラウィと並んで試合をキックオフした。この日は更に18歳のフランス人FWエムバイェ・ニアンも先発。ピッチには、イタリアでは信じられないほど若い3トップが完成していた。

 バロテッリはまさに驚きだった。スペースを作り、エル・シャーラウィと入れ替わり、ウディネーゼのバックラインに向かって走り、ボールをキープした。彼が見せたフィジカルの強さは、イブラヒモヴィッチが去って以来、ミランに著しく欠けていたものだ。

 彼は2ゴールを挙げ、ミランは2-1で勝利した。決勝点はアディショナルタイムの疑惑の判定によるPKだったが、バロテッリは大げさに喜ぶのではなく、ただ腕をいっぱいに広げてゴールを祝った。その姿はサポーターにこう告げているようにも見えた。「心配するな。救世主マリオがいる」

 その直後、「救世主」はミラノのリナーテ空港で違法駐車を犯し、警官に止められた。空港の到着ロビーのすぐ外に車を止め、恋人のベルギー人モデル、ファニー・ネグエシャを待っていた時のことだ。だが、彼が警官と激しく言い争っていたという報道は、ミランの公式声明によって強く否定された。

 クラブの対応は速かった。ミランはメディアに対してバロテッリのプライバシーを尊重してほしいと求め、彼について許可なく報道された内容については否定する意思を示した。更に、バロテッリへのインタビュー依頼だけを受けつける「press45@acmilan.it」というメールアドレスを開設した。明らかに、彼らはバロテッリの異常な人気と価値を意識し始めていた。

観客を取り戻すという困難なミッション

 彼に会うことを熱望しているのはジャーナリストだけではない。ミランの選手たちは、トレーニングが終わってミラネッロ(ミランの練習施設)を出るところで、いつもちょっとした交通渋滞に見舞われている。人気者のストライカーが群がるファンにサインをしているからだ。

 今やミランの「その他大勢」となった選手たちは、バロテッリがファンと一緒にスマートフォンのカメラに収まっている間、運転席でぼんやりとハンドルを指でたたいている。だが、彼らだって開幕前には、クラブが制作したプロモーション・ビデオでクールなポーズを取り、ファンにスタジアムに来てくれるように訴えていたのだ。サン・シーロのスタンドが埋まることはなかったが……。

 バロテッリがデビューした時、サン・シーロの半分は空席だった。2度目のホームゲームとなった第25節のパルマ戦では、彼がカーブを掛けたFKを沈めて勝利したものの、観客数は増えるどころか、やや減っていた。スタジアムに観客を取り戻すのは、ミランにとっては依然、困難なミッションとなっている。

 もう一度言おう。イタリアは深刻な経済危機に見舞われ、多くのクラブが支出の削減を強いられた。そして、不機嫌なサポーターのフットボールに対する不信感も、もはや回復が難しいレベルにまで達している。

 ミラニスタのほとんどは、ミランがフランスの成金クラブ、パリSGに価値ある選手を売り払ったことを許していない。また、ユヴェントスがカルチョ・スキャンダルからすっかり立ち直り、イタリアでは珍しい自前のスタジアムを持つクラブとしてセリエAをリードしていることも、その流れにミランが乗り遅れたことも気に入らない。ミランのマーケティング部門はバロテッリが入団するなり、彼をクラブの顔として新たにミニ・シーズンチケットを売り出すキャンペーンを開始したが、発売から2カ月間で売れたのは100枚以下だった。

 そもそも、ベルルスコーニがバロテッリ獲得に乗り出した理由ですら、ミラン再建が目的だったかどうかは怪しいものだ。2月下旬に総選挙が迫っていたため、汚職にまみれて退陣した前首相は人気回復の切り札を探していた。実際、世論調査ではバロテッリの獲得が発表された後、ベルルスコーニの支持率は2パーセント上昇している。

 オーナーの政治的な道具となっていることについて、バロテッリはどう思っているのだろうか?

 ジャーナリストが尋ねると、彼は肩をすくめて言った。「選挙行ったことないし」

バロテッリはミランを導けるのか?続きは『ワールドサッカーキング0418号』で!

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