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「プロに入ってもやれる」…順天堂大MF米田隼也が甲府との真剣勝負で得た確かな手応え

2016.09.16

 国内有数の技巧派チームとして知られるFC NEOジュニアユース、静岡学園高校でテクニックを磨き、今では大学サッカー界きってのアタッカーへと成長した米田隼也。高校時代は、1年生にしてインターハイ準優勝に貢献するなど華々しい実績を持つ一方、3年時にはプレミアリーグからの降格も経験した。栄光と挫折を知るドリブラーが自身のサッカー人生のこれまでとこれからを語った。

インタビュー=峯嵜俊太郎 写真=波多野匠、岩井規征

■インハイ準優勝はいい思い出。だけど……

 米田は独特かつ多彩なフェイントを織り交ぜたドリブルで相手DFを翻ろうする。「タメるドリブルや仕掛けるドリブル、交わすドリブル、運ぶドリブルもできます」と語る万能ドリブラーの基礎は少年時代に培われた。兄の影響でサッカーを始め、小学生になると同時に地元の強豪チーム、中井サッカー少年団に入団。その中でも抜きんでた才能を買われ、中学時代はドリブラーの育成に定評があるFC NEOジュニアユースに所属することとなった。

「少年団の監督とNEOの監督が仲が良くて、その関係で練習に参加していました。自分の兄がNEOに所属していたこともあって監督とは家で一緒に食事するくらい仲が良かったですし、『絶対来いよ』と誘われていたので迷いはなかったです」

 元々ドリブルが好きで、世界屈指のドリブラーであるティエリ・アンリに憧れを抱いていた米田はFC NEOでその技術を大いに磨いた。また、そこでは2歳下の“怪物”邦本宜裕(アビスパ福岡)との出会いもあった。

「あいつは小学生の時からすごかったですね。小1の時に小6の試合に出ていましたから。僕も一度対戦したんですけど、ハンパなかったです。NEOでチームメイトになってからはめちゃくちゃ仲良くなりました。タカ(邦本)のお兄ちゃんやお母さんと一緒に食事に行ったり、家族ぐるみの付き合いをしていましたね」

 幼なじみに刺激を受けながら過ごした中学時代を経て、高校は地元福岡を飛び出し、スカウトを受けた名門、静岡学園高校に入学した。高校サッカー界にその名を轟かせる技巧派集団、静岡学園において、米田は1年時から主力の地位を手にする。当時の3年生には、福島春樹(ガイナーレ鳥取)、木本恭生(セレッソ大阪)、伊東幸敏(鹿島アントラーズ)、長谷川竜也(川崎フロンターレ)と後にプロ入りを果たす実力者がズラリと並んでいた。

「最初は怖かったですね。春樹さんには初めてトップチームに上がった時から厳しく指導されましたけど、プレーを認めてもらえてからはアドバイスもたくさんくれたんです。あの先輩たちと一緒にプレーできたことは本当にプラスになりました。一番仲が良かったのは竜也さん。同じ寮だったので風呂や食事も一緒で、いろいろな話をしました。一度OBの大島僚太(川崎フロンターレ)さんが寮に遊びに来たことがあって、その時も竜也さんに誘われて、僕と竜也さんと春樹さんと大島さんの4人で風呂に入ったんです。あの時はたくさんサッカーの話をしましたね」

 偉大な先輩たちに囲まれながら迎えた1年目の夏、長谷川をはじめとする主力攻撃陣の負傷離脱も相まって、米田は全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)にレギュラーとして出場した。この大会、静岡学園は2回戦で前年度の全国高校サッカー選手権王者である滝川第二高校を破ると、大阪桐蔭高校や流通経済大学付属柏高校など並み居る強豪を次々と撃破。決勝で惜しくも桐蔭学園高校に敗れて準優勝に終わったが、米田は準決勝を除く全試合に出場し、「高校時代で一番いい思い出」を築いた。

 2年時にも木部未嵐(元松本山雅FC)らとともにインターハイでベスト8に進出。3回戦の岡山学芸館高校戦では2ゴールを挙げた。しかし迎えた3年目の夏、静岡学園は4年連続でインターハイ出場を果たしたが、その初戦の先発メンバーに米田の名前はなかった。

「腰椎分離症を抱えていて、本当は出場するつもりはなかったんです。でもチームが負けていたので、後半から時間を限定して出ることにしたんです」

 けがをおして途中出場した米田。しかし、結局チームを勝利に導くことはできず、静岡学園は初戦で大会を去ることになった。さらに、その年の高円宮杯U-18サッカーリーグプレミアリーグEASTでは10チーム中9位に終わり、プリンスリーグ東海に降格。選手権で日本一になるという目標も、県予選で儚く潰えた。

「1年生の時のインターハイ準優勝はすごくいい思い出ですけど、3年生の時の悔しい思い出が大きすぎて……。今思えば、サッカーの知識や体の鍛え方をもっと勉強しておけば、うまくいっていたんじゃないかと思います。でも、悔しさがバネになって、大学での活躍につながっているんじゃないかと思います」

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■長谷川竜也を追って順天堂大へ

 静岡学園での3年間を終え、米田が新天地として選んだのは、先輩の長谷川が所属する順天堂大学だった。長谷川から直接誘われたわけではないが、その存在は米田の進路選択に大きな影響を与えていた。

「静学の監督に『竜也ともう一度プレーしろ。一緒にやれば絶対に伸びるから』と言われたんです。それが一番大きかったですね」

 監督の言葉どおり、高校時代から知る長谷川のプレーの進化ぶりは米田に刺激を与えた。

「竜也さんは高校時代から技術と俊敏性はあったんですけど、大学での竜也さんは守備がすごくうまくなっていて、スピードもさらに増していました。すべてがハイクオリティでしたね。そういう努力をする姿はすごく見習っています。僕も大学に入ってから守備についての理解がすごく深まりました。一番大切なのはどうやってボールを奪うかを具体的にイメージすることで、味方と協力してボールを奪うためのファーストプレスの大切さなども学びました。僕が大学で一番伸びたのは守備の部分だと思います」

 大学でも1年時からレギュラーの座をつかんだ。昨年からは元日本代表DFの堀池巧氏が監督に就任して、チームスタイルも大きく変化したが、米田は主力の座を譲らなかった。指揮官交代によってチームに生まれた変化を米田は冷静に分析する。

「以前は、ハイプレスでボールを奪ってカウンターにつなげるスタイルだったんですけど、今はボールをポゼッションするスタイルになりました。堀池監督はすごく細かい部分にまでこだわりを持っていて、特にポジショニングを一番大事にしています」

 変わったのはプレー面だけではないと米田は話す。

「チームの雰囲気もかなり変わりました。以前は学生主体でやっていたんですけど、今は監督が主体となってやってくれています。少しプロのサッカー選手みたいな感じですね。もちろんそれだけではダメなので、学生主体でやっていた時のように後輩を叱ったり、アドバイスをしたりして、両方の良いところを併せ持ったチームを目指しています」

 変化を重ねながら迎えた今シーズン、JR東日本カップ2016第90回関東大学サッカーリーグ戦1部前期の日程を終えて、順天堂大学は1位の明治大学と勝ち点7差の4位につけている。3年生となった米田は当初、今年のチームに不安を抱えていたという。

「今年は4年生が少なくて1年生から3年生が主体のチームだったので、リーグ戦が始まる前は『うまくいかないんじゃないか』という不安もあったんです。でも、初戦で日体大(日本体育大学)に勝ったら自信がついて、その後も割と戦えました。危機感が良い方向に働いたのかもしれません」

 前期のベストゲームとして米田が挙げたのは、流通経済大学に4-1と快勝を収めたリーグ戦第9節。自ら2ゴールと結果を出したこの試合は、チームにとっても非常に重要な一戦だった。

「前節の筑波大学との試合に0-5で負けていたんです。しかも集中応援の試合だったのでみんな『ヤバいな』って思って、その日のうちにがっつりミーティングをしました。チームとしてまとまりがないから立て続けに失点してしまった。そこをしっかりと修正した上で流経大戦に臨んで、結果も出たので、個人的にはベストゲームだと思っています」

 この試合、米田が挙げた2ゴールはいずれも右足インフロントで巻いて落とす技巧的なシュートによるもの。特に2点目は得意のゴール前左斜めエリア、“デル・ピエロ・ゾーン”ならぬ“ヨネ・ゾーン”と呼ばれる位置からから決めた会心のゴールだった。昨年度から得点能力が向上したと語る米田に、後期リーグでの目標を聞くと、「2桁得点」と「リーグ優勝」という迷いのない答えが返ってきた。前期リーグで記録したゴール数は「4」、まだまだ物足りない数字だが、この数字を今後どこまで伸ばせるか期待される。

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■甲府との試合でプロに入ってもやれるという自信を持てた

 得意技を磨き、実績を重ね、その先に見据えるのは当然プロの世界だ。

 漠然とプロを目指しているわけではなく、米田は真剣勝負の場でプロと対戦した経験を踏まえて目標を語っている。昨年度の第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会、千葉県代表として勝ち上がった順天堂大学は、2回戦でJ1リーグに所属するヴァンフォーレ甲府と対戦した。結果は2-3で惜しくも敗れたが、米田はこの試合で確かな手応えを感じたという。

「あの試合はあっさりと失点してしまい、その後に追い上げていく展開でした。もう少し守備にこだわっていたら勝てていたかも、と思うとすごく残念です。でも、個人的にはプロ相手に全く慌てずに落ち着いてプレーできた。プロに入ってもやれるという自信を持てましたね」

 自信に満ちた発言をする一方で、自身を客観的に捉える冷静さも兼ね備えている。

「プロを目指していく上で、これからは左足の精度を高めていきたいと思っています。右利きで左サイドをやっているので、左足の精度が上がれば中央にも縦にも行けて相手DFが迷うと思うので。『ここを消せば大丈夫』 と思われてしまう選手ではなくて、相手が簡単に対応できないような、弱みのないアタッカーになりたいです」

「プロになってもうまくなりたい」と語る米田は、Jリーグを経て、さらに上の舞台でプレーすることへの憧れも垣間見せた。

「海外に行きたいという思いはあります。ゆくゆくはドイツでプレーしたいです。日本人が多くプレーしているリーグですし、レベルも高いので」

 自分のプレーに確固たる自信を持ち、強い上昇志向でプロを目指す。8月には、台湾遠征に臨む全日本大学選抜にも選出された。今回は体調不良のため、やむなく参加を辞退したものの、今後の選抜メンバー入りはもちろん、来年8月に台湾で開催予定の第29回ユニバーシアード・台北大会での優勝を目指している。

 ユニバーシアードは、過去2大会に出場した40選手の内36選手がプロ入りを果たしている言わばプロ選手への登竜門とも言える大会。米田も「大学に入った時からずっと目標にしてきた大会。メンバーに選ばれて、金メダル獲得に貢献したいです」と出場への強い意欲を隠さない。熾烈なポジション争いを勝ち抜き、夢への第一歩を踏み出すことができるのか。大望を抱く万能ドリブラーの挑戦から目が離せない。

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