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元ザック通訳の矢野氏がイタリアへ“帰国”…二足のわらじで新たな挑戦へ

2016.02.02

イタリアへ“帰国”した矢野大輔氏 [写真]=田丸英生

 2010年から2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会まで日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督の通訳を務めた矢野大輔氏が1日、所属するスポーツマネジメント会社の本社に戻るためイタリアへ“帰国”した。代表通訳に就くまで働いていた職場への復帰と同時に、今度は指導者としての第一歩も踏み出す。成田空港から第二の故郷でもあるトリノへ向けて出発し、「会社の業務と指導者の勉強、両方を全力でやりにいく」と抱負を語った。

 ワールドカップ後に日本代表での4年間を克明に記録した『通訳日記』(文芸春秋)を執筆し、2015年の初頭にはイタリアへ帰る予定だった。ところが著書が8万部を超えるベストセラーとなったことで計画は一変。各メディアからの取材やテレビ出演、企業の講演やイタリア語の講師などの仕事が次々と舞い込んだ。複数の広告イメージキャラクターに起用され、ザッケローニ監督のリーダー論をテーマにしたビジネス書『部下にはレアルに行けると説け!!』(双葉社)も書き上げた。

 想像もしていなかったような充実した日々を過ごす一方で、どこか心に引っ掛かるものも感じていた。「結局は自分が見てきたこととはいえ、あくまでもザックさんと選手たちのやり取りの話。そこにはあまり自分の意見を加えないようにしていたけれど、それにも限界があると思って、お断りさせていただいた仕事も多かった」と明かす。そしてワールドカップ終了から約1年半、当初の予定より1年遅れで復帰の辞令が出た。「いいタイミングで会社から『帰ってこい』という話をもらった」と前向きに受け止め、同時にコーチの道に進む決心を固めた。

 日本代表の戦術や練習メニューを細かく日記にメモしていたことは『通訳日記』でも詳細に書いているが、それとは別に『コンセプト本』と呼ぶノートを作り、戦術の前提となる考え方などザッケローニ監督の哲学も書き残していた。さらに代表チームに常に同行するという特別な環境に甘えることなく、日本サッカー協会の指導者ライセンスもC級、B級と順に取得して様々な知識を吸収していった。唯一、得られなかったのが実際の指導経験で「ザッケローニさんが望んでいたかどうかは別として、結果的に英才教育という形で知識は叩き込まれた。今は頭でっかちになっているので、それを実際にアウトプットしたい」と、自らが現場で教える場を求めていた。

 当面は下部リーグのセミプロクラブでコーチを務める。また、仕事関係や留学時代から縁の深いユヴェントスやトリノの下部組織で本格的にコーチ業をスタートさせる可能性もあり、今後はUEFA(欧州サッカー連盟)の指導者ライセンス取得を目指す。「自分なりのサッカー観はできたけれど、やってみないと分からない。チームの束ね方もザッケローニさんがやっているのを見てきたけれど、そのやり方が自分の性格に果たして合っているかどうか。だからこそやりたい」と新たな挑戦に強いやりがいを感じている。

 会社ではサッカー事業部に配属され、この5年半で培った人脈やノウハウを生かして日本とイタリアの架け橋となることを期待される。「以前は企業間のコーディネートをしていたけれど、今度はよりサッカーに特化する。例えば日本のチームを遠征させることや、イタリアに留学したいという子がいればサポートしたい」と説明する。当面はこうして二足のわらじを履くことになるが、頭に思い描いているのは恩師の若かりし日のエピソードだ。

 ザッケローニ監督は30代の頃、ホテル経営をしていた実家に住みながら下部リーグで複数のチームを強くした手腕が評価され、遠く離れたヴェネツィア(当時3部のセリエC1)から就任のオファーを受けたという。「監督業に専念するか、家から通える近くのクラブでやりながらホテルを守るのか。この時、ザッケローニさんは前者を選んだ。自分にもいつかそういうターニングポイントが訪れることが当面の目標」と話す。

 ヨーロッパでは下部リーグから地道に実績を積むケースは珍しくなく、「今、一番好き」と言うセリエA首位のナポリを率いるマウリツィオ・サッリ監督も、長年銀行員として働きながら指導者の階段を一歩ずつ上ってきた。また、世界屈指の名将ジョゼ・モウリーニョ氏も、1990年代にポルト(ポルトガル)やバルセロナ(スペイン)などでイギリス人のボビー・ロブソン監督の通訳兼コーチとしてキャリアをスタートさせたことは有名だ。

 今回は奇しくもザッケローニ監督が北京国安(中国)の指揮官に就任するタイミングと重なり、師弟がそれぞれの道を進む。今年7月に36歳になる年男は「すぐに成功するとも思っていないし、試行錯誤しながら地道にやっていく」と強い覚悟を口にし、家族とともに機上の人となった。

文・写真=田丸英生(共同通信社)

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