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フォルラン代表引退会見全文…「国民に心から愛されたチームの一員だったことは誇り」

2015.03.12

代表引退会見を開いたフォルラン

 セレッソ大阪に所属するFWディエゴ・フォルランが12日、クラブで記者会見を行い、ウルグアイ代表からの引退を表明した。

 現在35歳のフォルランは2002年にA代表初招集。同年開催の日韓ワールドカップに出場した。その後、ウルグアイ代表のエースとして活躍。2010年の南アフリカ・ワールドカップでは得点ランキング首位タイの5得点を挙げて、チームを40年ぶりのベスト4に導き、大会MVPを獲得した。2014年からC大阪でプレーし、8日に行われた明治安田生命J2リーグ開幕戦でもゴールを挙げていた。


 会見でのフォルランの挨拶、質疑応答全文は以下のとおり。

■フォルラン挨拶

「(日本語で)コンニチハ。地球の反対側で会見を聞いてくださっている方はこんばんは。今日の会見ではウルグアイ代表を引退することを皆さんに伝えさせていただきたい」

「難しい決断だった。今、この決断を下す時が来たのではないかと感じた。まず、家族に相談し、皆さんにお伝えする前には代表のタバレス監督やスタッフ、チームメイトにも伝えた。新しい世代に道を譲るときがきたのではないかと思っている。コパ・アメリカとW杯予選を前にして、2006年に私はチームメイトとともに代表での世代交代のプロセスを経験した。それと同じように代表が新たな道を歩み始める時がきたと思い、今回の決断に至った。代表は今後も厳しい挑戦が続くと思うが、彼らは代表としてあるべき姿を見せ続け、結果を出してくれると信じている。今日からはウルグアイ国民の一人として応援したい」

「振り返れば、小さい時からサッカー選手になることを夢見てきた。父から祖父がサッカー選手としてどれだけ偉大さかを聞いてきた。スタジアムに父と行き、帰って来てからはプレーやゴールシーンの真似をして練習を続けた。いつもサッカー選手になることを考えていたが、その時はどんなサッカー人生が待ち構えているかは想像すらできなかった」

「幸いにも3回のW杯と3回のコパ・アメリカに出場できたが、南アフリカW杯は私のサッカー人生の中でも最高の思い出の一つ。代表として4位という成績を収め、ドイツ戦のゴールが大会最優秀ゴールとなり、MVPにも選んでもらった」

「しかし、何よりも大切なことは、私たちの代表が、ウルグアイ国民に大きな感動を与えることができたこと。W杯初期の輝かしい成績に近い結果を何十年ぶりに残せただけでなく、今日ではなかなか見ることができないであろう一体感を国民・選手・スタッフが分かち和えた、そういう意味でも最高の大会だった」

「国民がウルグアイ人としての誇りを感じ、選手・スタッフと強いきずなで結ばれた。その時の代表の一員であったことが何よりの誇り」

「常に言っているが、リーダーとはプレーと姿勢で示すことが大切。代表ではそれをしっかりと示せた。先週、タバレス監督からも感謝の言葉をもらった。これからもサッカー選手として、その姿勢を貫いていきたい」

「家族との特別な思い出として2011年のコパ・アメリカ優勝を挙げたい。祖父と父が成し遂げた南米チャンピオンということを私も成し遂げることができた。3世代で計4回制覇したことは家族の歴史、そして世界のサッカー史に刻まれることだと思っている」

「ロドルフォ・ロドリゲス氏の代表最多出場やスカローネ氏の代表最多得点を更新したことも印象に残っている。一番大切なことは、代表で時間をともにしたスタッフ・選手がその道のプロとしてだけでなく、人として最高の仲間、心からのアミーゴであったこと」

「いろいろな方が思い出される。U-20からフル代表まで支えてくれたスタッフ、多くの代表関係者・役員・メディア…、本当に多くの方にお世話になった。改めてウルグアイ国民に心から愛された代表チームの一員であったことを本当に誇りに思っている。今までお世話になった全て関係者に心からお礼を申し上げたい」

「最後に、長い間、温かい声援を送ってくれたウルグアイ全国民の皆さん、帰国した時や世界のどこでも励ましの言葉をかけてくれたウルグアイ国民の皆さんに心から感謝します。本当にありがとうございました」

■質疑応答

――家族と相談したそうだが、どんな話を?
「まず父と話をした。日本に来てからも常に話をしている中で代表引退の話が出て、その後、家族に相談して決断をした」

――父親からはどんな言葉を?
「家族は常に支えてくれる重要な存在。相談を持ち掛ける前から、私が時間をかけて決断をしているということは家族も重々承知してくれている。その中で下した決断あれば支えるし、応援すると話してくれた」

――代表はどんな存在だった?
「ウルグアイ人はウルグアイという国が本当に好き。私も常に代表としてプレーすることが夢だった。そのチャンスを与えられ、ブラジルやアルゼンチンといった強国とも戦えた。子どもの頃にテレビで試合前、選手が国歌を歌う姿を見て、いつか一緒に国歌を歌いたいと想像しながら歌っていた。それくらい愛着があった。実際に国歌を歌い、戦う側になって、その姿を見て過ごしていたと思い出すなどしていた。これからもサポーターの1人として応援し続けていきたい」

――ホッとしている? 寂しい?
「どちらとも言えない複雑な心境。物事には始まりがあり、終わりがあるということからもいずれ引退する時が来る。今後、応援する側になるというのは、今までとは違った不思議な感覚がめぐってくるのではないかと思っている。代表に選ばれるのは何よりの名誉。多くのものを勝ち得ることもできた。しかし、それよりこれまで出会えた数多くの方々、人として最高の魅力を持った人たちと時間を長くともにし、戦い続けられたことは誇りに思っている」

――代表の後輩に何を伝えたい?
「ウルグアイ代表は今、正しいプロセスで前に進んでいる。タバレス監督が必要とするクオリティの高い選手を選んでいる場所。私が特に言葉をかける必要はないと思っている。ただ、言葉ではなくプレー、姿勢で示すことを心掛けてきた。今回の話をした時、彼らからかけられた言葉として、『人として、仲間として大切にしてくれてありがとう』と言葉をかけてくれたので、そういった部分を伝えることができたのではないか。代表選手である以上ベストを尽くす、そして自己犠牲の精神は彼らに伝わっているのではないかとメッセージから感じた」

――選手としての引退については何か考えているか?
「今回はあくまでも代表選手としての引退表明。未だにサッカーは選手として楽しみながら続けている。選手としての引退は全く考えていない。一日でも多く、できる限り選手としてプレーを続けていきたいと思っている。いつまでかは全く考えたこともないし、頭にないというのが正直なところ」

――コンディションの問題などは引退の理由に?
「それは感じていないし、理由には当たらないと思っている。サッカーへの取り組みの気持ちは衰えていないし、フィジカルもここ数年、落ちていないと感じている。今シーズンはセレッソ大阪を昇格させるため、プレシーズンでコンディションを上げて開幕を迎えられた。選手として何より楽しめているのが現状で、その中で練習をしっかりとこなし、体の管理をすることはいつも通りやっている。ただ、物事には始まりと終わりがあるので、若い世代に道を譲る意味ではコパ・アメリカ、W杯予選が今年あるので、時が来たと自分で考えて決断した」

――選手として今後の目標は?
セレッソ大阪でプレーしながら、J1昇格に貢献すること。そして、そのために日々ベストを尽くすことが目標。これから先は契約の話もあるので、どうなるか分からないが、自分で決められないところなので、ここでプレーを続けるか、移籍することになるかは分からないが、一日でも長くプレーしたい」

――日本では三浦知良もいますが、何歳くらいまでプレーしたい?
「できる限りプレーし続けたいが、カズさんの年齢は凄すぎるよ。何歳までかは今は想像できない」

――日本がW杯で優勝するには?
「難しい質問だ。自分の国の話をするなら別ですが、他の国の代表ことについて私がコメントするのは控えたい」

――印象に残っている試合、ゴールは?
「なかなかお答えするのは難しいのが正直なところ。たくさんの試合の中であえて挙げるなら、2009年にエクアドル「とアウェーで対戦した試合だ。2800メートルの高地での戦いで、W杯出場のためには勝利が必要だったが、先制されてしまった。その後、同点として我々がPKを獲得した。決めれば逆転、外せばW杯への道が断たれる場面だったが、決めることができ、勝利したことでW杯に出場し、躍進があった。外していればW杯出場はなかったし、タバレス監督と歩んできたプロセスが途切れてしまったかもしれなかった。それを考えると重要な試合だった。プレッシャーのかかる試合でもゴールを決めてきたが、美しいゴールだと思うのは日韓W杯セネガル戦、2010年W杯ドイツ戦のゴールは私にとってスペシャルと言えるゴールだったのかなと」

――最も感動的な言葉をくれた選手は?
「多くの方々、チームメイトからメッセージをもらった。全員の名前を挙げられないが、ルイス・スアレスやディエゴ・ゴディン、ニコラス・ロデイロなど本当に多くのチームメイトから感謝の気持ちを伝えてもらった。あるいは代表のトレーニングセンターのスタッフ、今名前を挙げた人の中に言葉をくれた人もいると思うが、本当に感動的なメッセージをみんなからもらった。自分が今まで、常に人としてリスペクトを示してきたことが伝わり、これだけの温かいメッセージをもらえたのかなと。勝ち取ったもの以上に大切なものは、今までお世話になった方との絆であり、お金で買えるものではない、人生で何よりも大切なものを代表で与えてくれた、そういった方と出会う機会をもらった大切な場所だった」

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