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W杯中にガーナ代表追放となったボアテング「協会は素人だった」

2014.06.30

W杯中にガーナ代表を追放となったK・P・ボアテング [写真]=Getty Images

 ブラジル・ワールドカップに出場していたガーナ代表はグループGで1分2敗に終わり、グループステージで敗退となった。

 26日に行われたグループ最終節ではポルトガル戦の前に、同代表からMFサリー・ムンタリが協会関係者への暴力行為があっため、FWケヴィン・プリンス・ボアテングがクウェシ・アッピアー監督に対して侮辱的な言葉を言ったため、それぞれ追放になったと、ガーナサッカー協会が説明していた。

 その追放となったK・P・ボアテングがドイツ誌『スポーツ・ビルト』の取材に応え、真相について語った。

 今大会については、「準備初日から最後まで悪夢だった」と表現したボアテング。その理由について、「ワールドカップの溜めに準備がオーガナイズされていると思ったことはない。ホテルや格安の航空券…全て素人だった」と、協会の姿勢などを批判した。

 フライトについては、「最初の合宿を行ったアムステルダムからマイアミへの移動の時、飛行機には十分なスペースがないため、2つのグループに分かれた。アトランタ経由とニューヨーク経由だ。9時間も乗り継ぎにかかり、トータル19時間かかった」と不手際を指摘。「マイアミからブラジルへは12時間だ。みんなエコノミークラスでね。足が痛くなったよ。普通の人にはおかしなことに聞こえるかもしれないけど、僕たちはアスリートなんだ」と続けた。

 さらには、「サッカー協会の会長は奥さんと2人の子供とともに、同じ便のビジネスクラスに乗っていた。ブラジルではようやくチャーター機に乗れたけど、今度は僕の荷物がなくなったんだ。シューズやテープ、全てをね」と不満を吐露した。

 代表から追放されたボアテングだが、アッピアー監督については「彼はいつもトップの選手として話をしてくれ、絶対の自信を語ってくれた。そこに何も問題はなかったし、僕はポジティブに行動していた。尊敬しているし、決定は全て尊重する」と、良好な関係であったことを強調したが、「いい監督だったか? ノーだ」と答え、監督としての資質については疑問を述べた。

 2011年11月にクラブでのプレーに専念するため代表引退を表明していたボアテングだが、2013年8月に代表復帰。その件についても触れ、「なぜ、再び代表でプレーをしてほしいためにミラノ(当時ミランに在籍)までやってきたのかということにだけ、驚いている。カムバックしたのに、突然プレーできなくなった」と振り返る。

 また、「会長とはその席で話し合いをしたんだ。そこで、よりよい移動、よりよいを準備をすると話してくれたけど、その言葉は守られなかった。最後はただ、まだ不満があるだけだ」と続け、約束を破られたことによる不満を述べたことが、代表追放となったと考えていることを示唆している。

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