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C大阪加入を明かしたW杯MVPフォルラン、歩んできたキャリアとは?

2014.01.24

代表引退会見を開いたフォルラン

 ウルグアイ代表FWで、2010年南アフリカ・ワールドカップMVPに輝いたディエゴ・フォルランは22日、自身のツイッターを更新し、セレッソ大阪と2014年12月までの契約を結んだと明かした。

 現在34歳のフォルランは、母方の祖父が1962年チリ・ワールドカップのウルグアイ代表監督、父親が1974年の西ドイツ・ワールドカップに出場という経歴を持つ、サッカー一家に生まれる。テニスの腕前もかなりのものだったフォルランは、語学も堪能で、高校は名門校へ進学していた。


 フォルランは15歳の時に、交通事故で下半身の自由を失った姉の治療費を稼ぐため1年間のチャンスをもらい、父が所属していたウルグアイの名門ペニャロールと契約。そこで結果を残すと、アルゼンチンのインデペンディエンテへ移籍し、2001年に公式戦23得点を挙げ、注目を集める。

 2002年1月、フォルランはマンチェスター・Uに加入。しかし、期待を寄せられての入団だったが、実力を発揮できないまま、2004年8月にビジャレアルへと移籍する。

 フォルランはマンチェスター・U時代について、「ファーガソンは父親のように僕のことを気にかけてくれた。僕が良いプレーをした試合の後はいつも褒めてくれた。あの雰囲気はまさに家族そのものだった」と振り返る。イングランドでは結果を残すことができなかったが、当時監督を務めていたアレックス・ファーガソン監督をはじめとするスタッフ、選手と良好な関係を築いていた。

 ビジャレアル加入初年度、出場機会の少なさのうっぷんを晴らすかのようにゴールを量産。リーグ戦38試合で25得点を挙げ、得点王となると同時にゴールデンシュー(欧州リーグ最多得点者)に輝く。

 2007年6月にフェルナンド・トーレス(現チェルシー)をリヴァプールへ放出したアトレティコ・マドリードに移籍金約36億円で移籍。セルヒオ・アグエロ(現マンチェスター・C)とのコンビで得点を量産。2008-09シーズンにはリーグ戦33試合で32得点を決め、自身2度目の得点王とゴールデンシューを獲得した。

 2010-11シーズンは監督との確執が報じられ、リーグ戦8得点という成績に終わる。2011年夏には、サミュエル・エトオ(現チェルシー)をアンジに放出したインテルに加入するも、不慣れなポジションでの起用やけが、監督の交代などもあり、18試合出場2得点に終わり、2012年7月に契約を解除し、移籍金ゼロでブラジルのインテルナシオナルへ移籍した。

 そして2014年1月22日、給与の未払いなどが報じられたフォルランは、クラブとの契約を解消し、セレッソ大阪と2014年12月までの契約にサイン。日本で新たなキャリアを歩むこととなった。

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