2016.03.26

クライフ氏、レスター加入間近だった…当時の指揮官が経緯を明かす

ヨハン・クライフ
24日に亡くなったヨハン・クライフ氏 [写真]=Anadolu Agency/Getty Images
サッカー総合情報サイト

 日本代表FW岡崎慎司が所属するレスターがかつて、元オランダ代表のヨハン・クライフ氏の獲得に迫っていたことが明らかになった。当時、同クラブの監督だったジョック・ウォーレス氏がコメントしている。イギリスメディア『スカイスポーツ』が25日付で伝えた。

 1884年に創立されたレスターは今シーズン、史上初となるイングランド1部リーグ(プレミアリーグ)制覇に近づいている。新たな歴史を作ろうとしている同クラブは、35年前にはオランダのレジェンドであるクライフ氏との契約に近づいていたようだ。

 オランダ代表として48試合に出場して33得点を記録し、30歳で代表を引退したクライフ氏。1978年5月にクラブでの現役引退を宣言した同氏は、バルセロナを退団した後に実業家への転身に失敗し、1979年にアメリカのロサンゼルス・アズテックスで現役復帰を果たした。翌1980年にはワシントン・ディプロマッツに移籍した。

 クライフ氏は次第にヨーロッパ復帰を望むようになり、1981年にスペインのレバンテに移籍。しかし、レバンテだけでなく、レスターやアーセナルなど複数のクラブが当時アメリカにいたクライフ氏にオファーを提示していたようだ。中でも、クライフ氏に好条件のオファーを提示し、加入が決定的と報じられていたのは、フットボールリーグ・ディヴィジョン1(プレミアリーグの前身)で降格の危機に陥っていたレスターだった。

 元レスター指揮官のウォーレス氏は「ヨハン(クライフ)と私は移籍の条件についてすでに合意していたんだ。解決しなければならない問題は1つか2つあったが、私は彼がレスターの一員に加わってくれるとほぼ確信していた。ヨハンとは個人的な親交もあったから、レスターに関心を持ってくれているとわかっていた」と、当時を振り返っている。

 ウォーレス氏はさらに、「1973年、ヨーロッパ・スーパーカップでアヤックスにいた彼がレンジャーズと対戦した時に決めた伝説的なゴールがある。彼とはその頃から親交があった。契約に向けた交渉は電話で3週間から4週間ほどかけて行われ、彼を獲得できると確信していた。チームの若手の模範となり、レスターの象徴となってくれるだろうと考えていた」と語り、クライフ氏のレスター移籍は決まりかけていたと明かしている。

 しかし、週給4000ポンド(当時のレートで約180万円)という高額年俸で合意に迫っていたはずのレスターとの契約は、クライフ氏が突然スペイン2部のレバンテ加入を発表したことで実現しなかった。レバンテへの移籍について、同氏は「この2ヶ月間、レスター、アーセナル、そしてドイツのあるクラブからオファーがあった。ただ、私は自由になりたかったんだ」とコメントしている。

 結果的に、クライフ氏の心変わりによって獲得を逃してしまったレスター。だが、クライフ氏はかつて「金持ちクラブこそ倒すべき相手じゃないのか? 札束が得点を決めるのを私は見たことがない」という言葉を残している。ビッグクラブを押し退けて奇跡の快進撃を続けている今のレスターは、もしかしたらヨハン・クライフの精神を最も忠実に受け継いでいるクラブなのかもしれない。

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