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退任発表から2年。“ヴェンゲル・チルドレン”は今どこに?

2020.04.20

22年間率いたアーセナルを退いたアーセン・ヴェンゲルの教え子たち、“ヴェンゲル・チルドレン”のその後は? [写真]=Getty Images

 2018年4月20日は、アーセナルにとって歴史的な1日である。当時チームを率いていたアーセン・ヴェンゲル監督が2017-18シーズン限りで退任することを発表。1996年の就任以来、22年間続いてきた長期政権に終止符が打たれた瞬間だった。

 在任期間中には、3度のプレミアリーグ制覇を含む10個の主要タイトルを獲得。2003-04シーズンにはプレミアリーグ史上唯一の無敗優勝を成し遂げ、“インヴィンシブルズ”と称された。プレミア史上最高の指揮官の一人と言っても過言ではないだろう。

 そんなヴェンゲル氏が重宝してきた選手たちはその後、どのようなキャリアを積んでいるのか。退任発表から2年が経つ今回は、ヴェンゲル政権下のアーセナルで出場試合数が多かった上位10名とその他主力選手の“今”を紹介する。

※年齢は4月20日時点
※カッコ内は(ヴェンゲル政権下での出場試合数/得点数/現年齢)
[写真]=Getty Images
 

1位 MF パトリック・ヴィエラ(402試合/33得点/43歳)

 最多出場数を誇るのは“インヴィンシブルズ”のキャプテンだ。ヴェンゲル氏の誘いを受け、恩師と同じタイミングでアーセナルに加入。その後400試合以上に出場し、「世界最高のMF」と呼ばれるまでに成長した。退団後はユヴェントス、インテル、マンチェスター・Cでプレー。引退後はマンチェスター・Cの下部組織やニューヨーク・シティで監督を務めた後、2018年6月にニースの指揮官に就任。指導者としての素質はヴェンゲル氏からも太鼓判を押されている。
 

2位 FW セオ・ウォルコット(397試合/108得点/31歳)

 サウサンプトンからアーセナルに加入した2006年当時は、16歳だったウォルコット。以降、エヴァートンへ移籍する2018年までの12年間で108得点77アシストの成績を残した。昨年12月にカルロ・アンチェロッティ監督が就任した後のエヴァートンでは、サイドハーフのレギュラーポジションを獲得している。
 

3位 FW ティエリ・アンリ(377試合/228得点/42歳)

 プレミアリーグで4度の得点王に輝き、アーセナルの歴代最多得点記録(228)の保持者でもあるアンリ。2018年のロシア・ワールドカップでは日本とも対戦したベルギー代表のコーチを務めていた。2018年10月にモナコの監督に就任し、翌年1月にはニース率いるヴィエラとの“ヴェンゲル・チルドレン対決”も実現したが、それから間もなくして解任。昨年11月にMLSのモントリオール・インパクトの監督に就任し、新たなチャレンジに着手している。
 

4位 FW デニス・ベルカンプ(376試合/102得点/50歳)

“美しすぎる”トラップやターンが今でも話題になるベルカンプ。プレミアリーグに限定すると、ヴェンゲル政権下で最多となる277試合に出場した。2011年から古巣アヤックスでアシスタントコーチを務めていたが、2017年12月のマルセル・カイザー監督解任を受けて退団。昨年は息子ミッチェルが所属するヨング・アルメレ・シティ(オランダ)でコーチをしていたが、本格的な現場復帰は果たせていない。なお昨年10月に行われたインタビューでは、将来的にアーセナルで仕事をしたい気持ちがあることを明かしている。
 

5位 MF アーロン・ラムジー(329試合/58得点/57アシスト/29歳)

 2008年に17歳でカーディフからアーセナルへ。2度のローン移籍を経て、2011-12シーズンからレギュラーに定着した。攻守のリンクマンとしてヴェンゲル政権に欠かせない存在だったが、恩師の退任から1年後の昨年夏にフリーでユヴェントスへ移籍。それでもヴェンゲル氏は昨年11月にテレビ出演をした際、本人はアーセナルに残留することを望んでいたと明かしている。
 

6位 MF フレドリック・リュングベリ(328試合/72得点/43歳)

 清水エスパルスでもプレーしたリュングベリも黄金期を支えた一人だ。2014年にインドのムンバイ・シティで現役を引退し、2016年にアーセナルU-15の監督に就任。翌年はヴォルフスブルクでアシスタントコーチを務めたが、1年でアーセナルに復帰。U-23チームの監督を経て、今季からトップチームのアシスタントコーチに昇格した。ウナイ・エメリ監督の解任後に暫定監督を務めたあと、現在はアルテタをサポートする。
 

7位 DF コロ・トゥーレ(326試合/14得点/39歳)

 ソル・キャンベルとともに“インヴィンシブルズ”を支えたセンターバック。退団後は弟のヤヤ・トゥーレが所属するマンチェスター・Cに所属し、キャリアの晩年はリヴァプールとセルティックでブレンダン・ロジャーズ監督の下でプレーした。引退した2017年にセルティックと母国コートジボワール代表でコーチ業をスタートさせ、2019年2月からはロジャーズ監督率いるレスターでコーチを務めている。今季の快進撃を支える一人でもある。
 

8位 DF ローラン・コシェルニー(324試合/24得点/34歳)

 昨年夏の移籍騒動で物議を醸したセンターバックも、ヴェンゲル氏の下で300試合以上に出場した。2010年に加入し、FAカップを3度制覇。昨季は正式にクラブキャプテンに就任し、ヨーロッパリーグ(EL)の優秀選手にも選ばれている。しかしシーズン終了後に移籍を志願し、チーム帯同をボイコット。現在は新天地のボルドーでレギュラーとして活躍しているものの、9年間苦楽をともにしたアーセナル・ファンとの間にはしこりを残す形となった。
 

9位 MF レイ・パーラー(318試合/26得点/47歳)

「アーセナル史上、最も過小評価されている選手の一人」。クラブの公式HPにそう紹介されているのがパーラーだ。アーセナルの生え抜き選手で、1992年1月にトップチームデビュー。ヴェンゲル監督就任後に円熟期を迎え、2004年に退団するまで通算466試合に出場した。2007年にハル・シティで現役を引退し、その後は解説者として活動中。2012年にはアーセナル時代の同僚、マーティン・キーオン氏らとともに一時的に現役に復帰し、当時9部に所属したウェンブリーの選手としてFAカップ予選に参加したことが話題となった。
 

10位 MF セスク・ファブレガス(303試合/57得点/32歳)

 2003年にバルセロナの下部組織から加入したファンタジスタ。同年10月に記録したクラブ史上最年少出場記録(16歳177日)は今も破られていない。2008年途中からはクラブキャプテンを務めていたが、2011年にバルセロナへ復帰。その3年後にチェルシーの一員となって、アーセナル・ファンの怒りを買った。昨季途中にはアンリのラブコールを受けてモナコへ電撃移籍を果たすも、元同僚は直後に解任。それでもチームに残って、プレーを続けている。
 

<その他主力選手>
GK イェンス・レーマン(200試合/0得点/50歳)

“インヴィンシブルズ”を支えたドイツ人GKは、アーセナルのために現役引退を撤回した男気の持ち主だ。2011年3月、GKに負傷者が続出した古巣からSOSを受けると、短期契約を結んで現役に復帰。1試合だけピッチに立ち、ヴェンゲル政権下での出場試合数が「200」に到達した。2017-18シーズンはアーセナルでトップチームのコーチを務め、2019年1月にアウクスブルクのアシスタントコーチに就任。しかし、マヌエル・バウム監督とともに同年4月に解任され、現在は解説者として活躍している。
 

DF トニー・アダムス(188試合/12得点/53歳)

 1983年のデビューから2002年の引退まで、ガナーズ一筋を貫いた“ミスター・アーセナル”。21歳の若さでキャプテンを任され、クラブ通算出場数は歴代2位の669試合を誇る。一方、監督としては短命で、ウィコム、フェイエノールト(下部組織)、ポーツマス、ガバラ(アゼルバイジャン)、グラナダを指揮するも2年以上続いたことがない。それでも、2000年にはアスリートが依存症を克服するためのクリニックを設立。昨年はラグビー・リーグの会長に抜擢されるなど、多岐にわたり活動する。
 

MF ミケル・アルテタ(150試合/16得点/38歳)

“ヴェンゲル・チルドレン”の中では一番の出世頭だろう。同氏の下でプレーをしたのはわずか5年だが、最後の2年はキャプテンを務めるほどに指揮官からの信頼は厚かった。2016年7月に現役引退を発表すると、ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任するマンチェスター・Cのコーチに就任。同胞の指揮官の右腕として、6つの主要タイトル獲得に貢献した。その実績を評価され、昨年12月に並み居るOB陣の中で最も早く“アーセナルの監督”の座を射止めた。
 

MF エドゥ(127試合/15得点/41歳)

 今シーズン、アーセナルはクラブ史上初となるテクニカル・ディレクター(TD)のポストを設立。初代TDに就任したのが、“インヴィンシブルズ”のメンバーであるエドゥ氏だった。アーセナルに所属したのは2001年からの4年間で、現役最後のクラブは母国ブラジルのコリンチャンスだった。引退後は同チームのディレクター職を務めた後、2016年からはブラジル代表のチーム運営などを行うジェネラル・コーディネーターに従事。2019年のコパ・アメリカ優勝後、14年ぶりにアーセナル復帰を果たした。

    

By Footmedia

「フットボール」と「メディア」ふたつの要素を併せ持つプロフェッショナル集団を目指し集まったグループ。

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