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サンティ・カソルラ 約束【雑誌SKアーカイブ】

2020.03.28

約2年間もピッチを離れていたが、カソルラは古巣ビジャレアルで復活を遂げた[写真]=レオン・ツェルノフラベク

[サッカーキング No.010(2020年2月号)掲載]

魔法のようなプレーも、代表のポジションも取り戻した。復帰までに費やした時間は戻らないが
その過程で家族の、仲間の、師の愛情を受け取った。サンティ・カソルラが失ったものなど、何もない。

インタビュー・文=クリス・フラナガン
翻訳=加藤富美
写真=レオン・ツェルノフラベク、ゲッティ イメージズ

 ドレッシングルームに足を踏み入れる。久々に味わう空気だ。メンバーは少し変わっていたが、懐かしい顔もある。人生最大の困難を乗り越えた彼を、チームメートは温かく迎えた。セルヒオ・ラモス、ジョルディ・アルバ、セルヒオ・ブスケツ、ヘスス・ナバス……ユーロ2012の戴冠を果たした仲間たちだ。「ともに赤いユニフォームを着て戦うことは、もう二度とないだろう」。彼がそう考えていた勇士たちの笑顔が、そこにはあった。

 2019年6月、サンティ・カソルラは4年ぶりにスペイン代表に復帰した。「ドアを開けた僕を見て、彼らは叫んだ。『ここで何をしてるんだ!?』って。『なんだか……呼ばれたみたいなんだ。びっくりだ』と答えたよ」。そう言って、カソルラは笑顔を見せた。

 カソルラの復帰は、代表の仲間はもちろん、世間を驚かせた。彼は今、この世で最も幸せな人間の一人に違いない。一度はキャリアが閉ざされたかに見えたが、“第2章”の幕は開いた。

 不可能を可能に変える──。使い古された言葉だが、彼の歩んだ道を振り返ると、それがどんなに難しいことで、尊いことなのかを再認識させられる。現在35歳の彼は、右足の切断すら危ぶまれるほどの大ケガをした。引退も考えた。そんな彼がスペイン代表のレギュラーに復帰するなど、誰が予想しただろうか。

インタビュー時に笑顔を見せるカソルラ[写真]=レオン・ツェルノフラベク

自身も、周囲も予期しなかった
アーセナルでのラストマッチ

 2015年11月13日、イングランドとの親善試合で、カソルラはスペイン代表のキャップを76に伸ばした。競り合いからこぼれたボールがつながり、パスが渡る。後方から走り込んだカソルラが左足をコンパクトに振ると、抑えの効いた低い弾道のシュートが左ポストに当たり、ゴールマウスに吸い込まれた。

 しかしこの時点で、カソルラはある痛みに悩まされていた。きっかけはちょっとした接触だった。試練が始まったのは、アーセナル加入2年目の13-14シーズンだ。スペイン代表として出場した2013年9月のチリ戦で、それは起きた。

「右足首に軽いタックルを受けたんだ。その後、なぜか問題を抱えるようになってしまった」。その4週間後にはアーセナルの試合に復帰するが、何かが前とは違っていた。「ちょっと蹴られただけだったし、問題ないと思っていた。1、2カ月もすれば痛みはなくなるだろう、とね。でも試合を追うごとに……いや日を追うごとに痛みはひどくなっていった」

 それでもカソルラは試合に出続けた。2014年5月17日に行われたFAカップ決勝では、ハルに2点のリードを許したアーセナルが3-2の逆転勝利を収めるきっかけとなったFKを決めている。この日、アーセン・ヴェンゲルは実に9年ぶりにトロフィーを手にした。

 スペイン代表としても、前述のイングランド戦までプレーを続けた。しかしその後は収まらない痛みのために離脱し、ユーロ2016のピッチに立つことはできなかった。その後、16-17シーズンの開始とともにアーセナルの戦列に復帰。レギュラーとしてプレーし続けたが、決断しなければならない時がやってきた。

 2016年10月、チャンピオンズリーグのルドゴレツ戦がアーセナルでの彼のラストマッチとなった──もちろん、当時の彼はそれを知る由もなかったが。この試合でアーセナルは6-0の大勝を収め、カソルラは56分に優雅なパスでメスト・エジルのゴールを演出している。しかしその直後に歩くことすらできない状態となり、57分にピッチを退いた。

「あれがエミレーツ・スタジアムでの最後の試合になるとはね……。アシストを決めても、チームメートと喜ぶことはできなかった。それまでも試合のたびに足の痛みが増し、ルドゴレツ戦はプレーを楽しむどころじゃなかった。ベンチに下がったあと、あまりに痛くて泣いたよ。歩くどころか動かすだけも痛かった。ついにドクターストップがかかったんだ」

アーセナルでの予期せぬラストマッチとなった16年10月のCL、ルドゴレツ戦。痛みに耐えきれず57分にピッチを退いた[写真]=Getty Images


 彼は手術を受ける決心をした。しかし、術後も何かがおかしい。その後の精密検査で、壊疽(えそ)を起こしていることが発覚する。別名、「塹壕足(ざんごうあし)」。第一次世界大戦中に塹壕で戦う兵士に頻発したことで知られる病気だ。感染症はアキレス腱を蝕み、カソルラを恐怖に陥れた。

「医者に言われたんだ。『バクテリアのせいでアキレス腱が10センチ失われている』って。耳を疑ったよ。発見がかなり遅かったらしい。医者は『腕の一部から皮膚を移植しよう』と言った。人生で最悪の瞬間だったね」

 移植する皮膚は左腕から切除することになった。娘の「India」という名を刻んだタトゥーで覆われた場所だ。「『そこに一番いい動脈が流れている』と聞いて決心した」とカソルラはつぶやく。移植する皮膚がどの程度の大きさになるのか、見当もつかなかった。「ほんの一部を移植するのかな、と思うよね。術後に腕を見て混乱したよ」

 腕に残されていたのは、「Ind」という文字だけだった。

待ち続けたヴェンゲルと
間に合わなかったカソルラ

 感染が見つかっていなければ、足の一部を切断する必要があったかもしれないという。「医者からそう聞いた。信じなかったけどね。手術前も『心の準備はしておいて』と言われた。ネガティブな気持ちを追い出そうと努めたよ」

 すでに32歳になっていた。ケガの重さを考えると、引退という道を選択しても不思議はなかった。「医者はその可能性を口にしたけど、僕は回復を信じていた。『先生、見ていてください。必ずカムバックします』と伝えたんだ」

 術後数週間は、彼がどれほど前向きな姿勢を維持できるのかが試される時間となった。回復は遅く、自宅から遠く離れた医師を訪ねるため、家族に会うのもままならなかった。気持ちは「引退」に傾きつつあった。

「ホテルで一人で過ごす時間が最悪だった。毎週ビトリアにいる医師を訪れ、その後個人トレーナーと一緒にサラマンカに行き、リハビリを続けた。病院に行っても、歩けるわけでも走れるわけでもない。ボールを蹴れるわけでもない。毎週退屈だったし、引退のことも時々考えた。『辞めるしかないと思う』と妻に電話しようとしたこともあったよ。でも、家族も友人もトレーナーも、僕を信じていると言ってくれたんだ」

 その後しばらくして、ようやく傷が癒え始めたが、アーセナルでのキャリアを取り戻すには遅すぎた。2016年のルドゴレツ戦の時点で契約は最終年度に入っていた。その後、スウェーデンで最初の手術を受ける際には、ヴェンゲルの申し出によって契約が1年延長されていた──結局、それから足首に9度メスを入れることになるわけだが。

「ついに契約が切れ、全く先が見えない状態になった」。彼は当時を振り返る。

「スウェーデンで最初の手術を受ける直前に、アーセンから電話があったんだ。『契約延長にサインしてくれ。あと1年ある。手術を受けて、落ち着いて、できるだけ早い復帰を目指そう』と言ってくれた。本当にうれしい言葉だった」

 しかし、延長した契約が切れる17-18シーズンの終わりになっても、ピッチに戻ることはできなかった。2018年4月19日、ヴェンゲルはカソルラとの契約の再延長を希望するコメントをした。翌20日、判断が下ることになる。それはカソルラとの契約に関するものではなく、ヴェンゲル自身の契約に関するものだった。シーズン終了をもって、ヴェンゲルがアーセナルを去ることが決まったのだ。

17-18シーズン終了後、アーセナルでの長期政権に幕を引いたヴェンゲル。カソルラの回復は間に合わず、2人はそれぞれ別の道を歩むことに……[写真]Getty Images


 結局、アーセナルがカソルラに契約延長をオファーすることはなかった。ヴェンゲルが次のシーズンもベンチに座ることになっていれば、状況は変わっていただろうか? 「それは分からない。可能性はあるけどね」とカソルラは言う。「アーセンがいれば、もう1年アーセナルにいたかもしれない。でも、あのシーズンはクラブに大きな変化があったからね。監督もスタッフも変わったから、僕の契約延長はないだろうと思っていた」

 それがたとえ納得できる理由であったとしても、気持ちの整理をつけるのは難しかった。5年を過ごした北ロンドンのクラブには愛着があった。

「アーセナルのことが本当に好きだった。もうこのクラブでプレーできないと考えるとつらかった。リハビリをしているとき、たくさんのチームメートが励ましの言葉をくれたんだ。スペイン人のナチョ・モンレアルやエクトル・ベジェリンだけではなく、ペア・メルテザッカーやダニー・ウェルベックも応援してくれた。『元気にやってる? ケガの具合は? みんな待ってるよ』ってね。エミレーツ・スタジアムが本当に好きだった。あの場所に立たずに別れを告げるのは、本当につらかった」

 彼はしかし、“それに近い形で”スタジアムとの別れの日を迎える。ヴェンゲルの退任が発表されたあと、カソルラは恩師に電話を掛けた。

「ヨーロッパリーグ準決勝のアトレティコ・マドリード戦の前だった。アーセンに電話して、『試合前の練習に参加していいですか?』と聞いてみたんだ。すると、『試合にも出られるだろう!』と言われたよ(笑)。『練習だけです。1日だけ参加したいんです。もう一度だけ、スタジアムに立ちたいんです』。そう言うと、アーセンは許可してくれた」

 カソルラは別れの時間を振り返った。「キックオフ3時間前だったから、スタジアムにはまだあまり人がいなかった。でも、僕にとって大切な節目となる時間だった。エミレーツ・スタジアムで走り、ボールを蹴る。自分自身が前に進むためにも、あの時間が必要だった」

2018年4月26日。カソルラはヴェンゲルの了承を得た上で試合前のエミレーツ・スタジアムのピッチでトレーニングを行った[写真]Getty Images

約束を果たし、取り戻した
“当たり前”の日々

 ヴェンゲルの意思を継いだのは、カソルラがプロキャリアをスタートさせたクラブだった。18-19シーズンの契約を視野に、ビジャレアルがプレシーズンにメディカルチェックを行ったのだ。

 数週間後、カソルラのもとに1年契約のオファーが届いた。“ピッチの魔法使い”にふさわしいマジック仕立てのセレモニーを終え、カソルラはついにピッチに戻ってきた。18-19シーズンのラ・リーガ開幕戦。アーセナルで最後にプレーした試合から実に668日が過ぎていた。相手はレアル・ソシエダだった。

「気持ちが高ぶっていた」。カソルラはそう振り返る。「親善試合であれば厳しいタックルはないかもしれない。でも、シーズンの初戦だ。『本気でいくぜ』っていう感じだよね。ケガで2年も離脱した僕は、正直少し怖かった。でも5分もすると楽しくて仕方なくなったよ。だって、この日のために頑張ってきたんだから」

 ピッチに戻った彼は、水を得た魚のようだった。苦痛に顔を歪め、復帰の可能性を疑う日々を長く過ごしたが、プレーヤーとしての勘は失われていなかった。

「いいプレーを見せなければ、『カソルラは終わった』って言われることは分かっていた。心配したけど、最初からいい感じでプレーすることができた。今でも少し痛みは感じるけど、質が違う」

7年ぶりに古巣ビジャレアルに復帰した18-19シーズン。カソルラはブランクを感じさせることなく、攻撃陣をけん引した[写真]=Getty Images


 彼がカムバックを遂げたシーズンに全く問題がなかったわけではない。彼自身は好調だったが、チームは降格の危機にさらされることになった。

「苦しかった」と彼は言う。4月のベティス戦ではPKを阻まれ、降格圏から脱出できず、ドレッシングルームの外で嗚咽する彼の姿もあった。「あの週は3試合を戦った。セルタとのアウェー戦では前半で2-0とリードしながら3点を奪われて敗れた。ホームでのバルセロナ戦は後半アディショナルタイムに入るまで4-2とリードしていたけど、リオネル・メッシとルイス・スアレスにゴールを許して追いつかれた。ベティス戦では試合終了間際に僕がPKを決められず1-2で敗れた」

 しかし、人生最大の危機を乗り越えたカソルラはここでも底力を発揮する。その後ビジャレアルの3連勝に貢献し、チームは降格圏から脱出した。

 その数日後、彼はスペイン代表の招集を受ける。4年ぶりの復帰だった。「あの知らせには驚いたよ。正直、また代表でプレーできるとは思ってもいなかった。もう34歳で、同じポジションに若くて素晴らしい選手が何人もいるからね」

 仲間たちはカソルラの復帰を心から歓迎した。復帰戦は6月のフェロー諸島戦だった。ハーフタイムで交代となったセルヒオ・ラモスは、後半から入ったカソルラにキャプテンマークを渡している。「代表に戻れただけではなく、キャプテンを任されるなんて感無量だった」

 19-20シーズンに入っても彼は好調を維持している。フアン・ロマン・リケルメが持っていたビジャレアルのMFとしての最多得点記録も更新した。代表では11月に行われたユーロ2020予選の最終節ルーマニア戦に先発している。

 スペインのカディスで行われたマルタ戦ではゴールも挙げた。それは奇しくも、2015年のイングランド戦とよく似たゴールだった。誰もが「代表で最後になるだろう」と考えていた、あのゴールだ。いずれも試合の2点目。左足でゴールの隅に放った低い弾道。ポストに当たって跳ね返り、ゴールラインを割るボール──。

 お帰り、カソルラ。

 リハビリに励むなか、彼はかつてのチームメートや恩師のヴェンゲルから多くのメッセージを受け取ったという。「本当にたくさんの人が連絡をくれたし、僕の復帰を自分のことのように喜んでくれた。アーセンもその一人だ」。ファンからの愛情も受け取った。「SNSのアカウントに本当にたくさんのメッセージをくれるんだ。信じられないよ」

悪夢を乗り越え、2019年5月にスペイン代表に復帰。11月にはゴールも決めた[写真]=Getty Images


 ケガさえなければ、カソルラは今頃アーセナルのキャプテンを務めていただろう。18カ月前、クラブとの契約満了が決定していたカソルラは、ウナイ・エメリと率直に言葉を交わし、新指揮官にとってプラスになると思われる情報を伝えたという。「エメリから電話をもらって、クラブや選手のことについて尋ねられた。彼を助けたかった。アーセナルのためになるならいつでもそうするよ」

 悪夢の日々を取り戻すように、カソルラはフットボールを心から楽しんでいる。「できるだけ長くプレーしたいね。あと3、4年はプレーできるかな。まあ、様子を見ながらだね。ケガをする前は、バスでスタジアムに行き、楽しくプレーするのが当たり前だった。今はそんな時間を本当に愛おしく思う」

 移植で切り裂かれた“娘の名前”の再建も試みているようだ。「腕の傷跡の上に文字をつなげることはできないみたいだ。感染症の危険があるらしい。別の場所に新しく入れるしかないかもね」

 娘への愛情を示すタトゥーは失われたままだが、娘は、そして家族は、きっと幸せの中にいる。「妻と子供たちはいつも試合を見にきてくれる。ケガをしているときは、息子に『パパ、どうしたの? どうして試合に出ないの?』って聞かれていた。だからこう答えていたんだ。『パパは今ちょっと調子が悪いんだ。でもまた試合に出るよ。必ず見にきてね』って」

 その言葉は、長らく虚しい響きをまとっていた。果たされない願いになる可能性も十分にあった。

 しかし、彼は約束を守った。サンティ・カソルラは、終わらなかった。

※この記事はサッカーキング No.010(2020年2月号)に掲載された記事を再編集したものです。

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