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「雑誌SK」アーカイブ|ジョゼ・モウリーニョの時代

モウリーニョは04-05シーズンからチェルシーを指揮。1年目からリーグ優勝を達成した[写真]=Getty Images

[サッカーキング No.006(2019年9月号)掲載]

革命は2004年に起こった。ポルトを欧州王者に導いた“スペシャル・ワン”は、嵐のような勢いでチェルシーを変え、イングランドのフットボールを変えた。それはクラブと監督、金と野心、権力と情熱のこれ以上ない融合であり、16歳のあるファンにとっては、フットボール・ライフが始まった瞬間だった。チェルシーサポーターでもあるジャーナリストがその思いを綴る。

文=クライヴ・マーティン
翻訳=湊 昂大
写真=ゲッティ イメージズ

 最初に「ジョゼ・モウリーニョ」の名前を耳にしたのは2004年、ポルトがチャンピオンズリーグのラウンド16で、マンチェスター・ユナイテッドと対戦したときだった。イングランドのフットボールファンのほとんどは、まだ彼のことを知らなかった──ごくわずかな海外フットボールオタクを除いて。

 イギリスのフットボールメディアはたいてい国外のクラブをよく知らないので、欧州カップ戦の対戦相手は“恐るべき強豪”か、“取るに足らない弱小”のどちらかで表現される。しかしそのときは何かが違っていた。メディアは奇妙なほどに、ポルトの指揮官に注目していた。短期間のうちに成り上がった、傲慢な青年監督に。

 2ndレグが行われる日の朝、僕はラジオでファン参加型のフットボール番組を聞きながら学校に向かっていた。そのとき聞いたあるファンの意見を今でも覚えている。

「ポルトを甘く見るな。彼らはユナイテッドを倒せる実力を持っている」

 この見解に賛同した専門家がどれだけいただろう? しかし試合が終わる頃には、イングランドのフットボール界は衝撃を受けていた。オールド・トラッフォードのピッチサイドを全力で走り、拳を高く突き上げ、プラダのコートを風になびかせる──。そんなモウリーニョのイメージが、瞬く間に世界に伝えられた。

 オールド・トラッフォードは“夢の劇場”だ。モウリーニョのパフォーマンスは、いわばプレミアリーグの“聖地”を冒涜したに等しかった。当然ながら、ユナイテッドのファンはこれを決して許せない侮辱行為と見なした。一方で、それ以外の大多数はこの監督に、魅力的で奇抜なフットボールの革命家の姿を見出していた。彼は感情の激しいスコットランドの頑固親父でも、数学教師のように堅苦しいフランス人でもなかった。空港でしか買えない高級雑誌の広告ページに登場するような、クールでエレガントな人物がそこにいた。

03-04シーズン。母国のFCポルトを欧州王者へと導いたモウリーニョ。一躍、欧州サッカーシーンの最前線に躍り出た[写真]=Getty Images

研ぎ澄まされたリアルなフットボール

 モウリーニョのチームはその勢いのまま、欧州フットボール界の頂点に立った。あのシーズンのポルトは、絶妙なタイミングでタレントがそろったチームだった。未知の逸材、新しいスター、隠れた実力者、最後のチャンスに懸けるベテラン……。世界を驚かせるクラブには例外なく、多彩なキャラクターが完璧なバランスで融合している。1990年代のアヤックスがそうだったように。

 その夏、モウリーニョは当然のようにチェルシーを選んだ。「なぜチェルシーなのか?」という疑問が浮かぶ余地はなかった。クラブには金があり、指揮官には野心があり、そのどちらもが名声を欲していた。ポルトガルで生まれ育った元体育教師が、どういうわけかロンドンで最もファッショナブルなクラブと完全にマッチした。

 僕が真の意味でフットボール・ファンになったのは、良くも悪くもこの15年前の夏のせいだ。

 気取ったコメント、あざとい皮肉、シニカルなジョークでカメラを引きつけるモウリーニョは、報道陣を文字どおり翻弄していた。その様子は、悪夢にうなされている友人たちを隣の部屋から眺めているような、一種の不健全な楽しさがあった。

 当時、サマーキャンプを過ごしていたフランスで、僕は1日遅れで届くイギリスの新聞を欠かさずにチェックしていた。だからモウリーニョが一流の詐欺師のように、プライドの高いメディアの連中を少しずつ味方につけていることが分かった。最初は“スペシャル・ワン”に批判的だった記者たちも、いつの間にか刺激的なコメントを求めて彼に群がるようになり、モウリーニョを扱った記事はどんどん増えていった。

 チーム作りはエキサイティングだった。モウリーニョは手始めに、古巣ポルトから不屈のDFリカルド・カルヴァーリョをロンドンに連れてきた。マルセイユからディディエ・ドログバ、PSVからアリエン・ロッベンも獲得した。大胆不敵な指揮官は、リヴァプールのスティーヴン・ジェラードにもオファーを出していたという。

 その夏、11年生(セカンダリー・スクールの最終学年)の卒業パーティに出るとき、ぴったりしたスーツを着てネクタイも締めず、シャツの襟元を明けていたと言えば、当時の僕がどれほどこの新監督に夢中になっていたかが分かるだろう。憧れの男はまだ、チェルシーで1試合も指揮を執っていなかったのだが……。

 やがてシーズンが始まると、モウリーニョはまるでドイツ軍の包囲網を打ち破ったスモレンスクのソビエト赤軍のように闘争を開始した。04-05シーズンの開幕戦、エイドゥル・グジョンセンのゴールでユナイテッドに勝った試合は、プレミアリーグの勢力図が変わったことを示すシグナルのようなものだった。ユナイテッドはこのシーズン、チェルシーに18ポイントもの差をつけられて3位に終わっている。

 前シーズンに無敗優勝を遂げていたアーセナルは、その名声に酔いすぎたのか、二日酔いの朝のようにフラフラしたシーズンを送っていた。ある意味で、彼らはいまだにそこから完全に立ち直ってはいない。

 チェルシーの全試合、全ゴールが素晴らしいものだった、などと主張するつもりはない。移籍1年目のドログバとマテヤ・ケジュマンはいま一つだったし、先発メンバーはロンドンの天気のように不安定で一貫性がなかった。それでも、チェルシーは驚異的なハードワークで勝ち点を重ねていった。

04-05シーズン。モウリーニョはいきなり最高の結果を残し、チェルシーに50年ぶりとなるリーグ優勝をもたらした[写真]=Getty Images

 ジョン・テリーはのちに、あの素晴らしいフィットネスが作られた方法をこう明かしている。

「モウリーニョはトレーニングにも3人のボールボーイを用意した。ボールをピッチの外へ蹴り出しても、次の瞬間にはインプレーが再開される。一瞬でも集中力を切らすことは許されなかった」

 フットボールのロマン主義者(主にアーセナルファンのことだ)は気に入らないかもしれないが、これこそが無駄な装飾のない、研ぎ覚まされたリアルなフットボールだ。モウリーニョのチームは決闘に挑むガンマンのように、生きるか死ぬかの瀬戸際で戦っていた。気楽に眺めていられるフットボールではない。選手たちはシュートを打つのと同じ真剣さで相手にタックルを仕掛けた。スコアは1-0でも、そこには強烈なインテンシティがあり、本物のスリルがあった。

 激しさ、規律、チームワーク、自己犠牲、我慢強さ……まるでマフィアのような価値観がこのチームを支配していた。そのなかで、モウリーニョという“ゴッドファーザー”を支えるルカ・ブラージ(映画『ゴッドファーザー』に登場する最強の殺し屋)を演じたのが、キャプテンのテリーだった。

「出来が良くない試合のハーフタイムは、ロッカールームに戻るのが嫌だった」

 のちに加入したジョン・オビ・ミケルはそう語ったことがある。「まず監督が話をして、次にテリーが気合を入れる。ロッカールームのあらゆるものを蹴り上げながらね(笑)。そしてピッチに戻り、試合に勝つんだ」

 この“儀式”がどんなものだったかを想像すれば、モウリーニョがユナイテッドで苦労した理由も理解できる。ユナイテッドの若手たちは、ハーフタイムも各自のインスタグラムを更新するのに忙しかったのだろう。

モウリーニョ主義者にとっての苦難の時代

 あれから15年が過ぎた。選手は入れ替わり、フットボール自体も大きく変化した。それでも僕は、本質的には16歳の頃と何も変わっていない。あのシーズンの、あのスタイル、あの試合の楽しみ方を、僕は捨てることができない。人生で最も影響を受けやすい時期に出会ったモウリーニョのチームが、フットボールにおける僕の価値観を築いたのだ。結局のところ、どれだけ素晴らしいフットボールを見せられたところで、僕はモウリーニョを支持する。キャバーン(アマチュア時代のビートルズが活動していたクラブ)で演奏するビートルズを見てしまったファンと同じことだ。

 もっと攻撃的で、もっと洗練されたフットボールがあることは知っている。より効果的なポゼッションスタイルも、その戦術に適応したスキルフルな選手たちのことも認めている。それでもやっぱり、僕は自分が好きなフットボールが好きだ。センターバックは飢えたオオカミのようにボールに食らいついてほしいし、MFは隙あらばミドルシュートを狙ってほしい。バルセロナ式の“ティキ・タカ”は、僕にとってはピンク・フロイドの曲みたいなものだ。見事な演奏だとは思うが、好きになることはない。

 正直に言えば、僕はシャビの素晴らしさをたぶん理解していない。モウリーニョのイデオロギーで育ってしまったせいで、僕が理想とするフットボールにはいくぶん暴力的な要素が含まれている。

チェルシーは05-06シーズンにリーグ2連覇を達成。ランパード(左)、マケレレ(中央)、テリー(右)らがハードワークを惜しまず、モウリーニョのサッカーを体現した[写真]=Getty Images


 
 だからITエンジニアみたいな若手監督、ユリアン・ナーゲルスマン(ライプツィヒ新監督)が「フットボールにタックルは不要」と主張するのを聞いたときは、愛する人を侮辱されたように感じたものだ。ナーゲルスマンがチェルシーの新監督に就任するという噂があったとき、僕はずっとイライラしていた。

 マウリツィオ・サッリのことも信頼できなかった。サッリは外見と英語の発音こそマフィアみたいに見えたが、彼のフットボールに暴力的な部分はまるでなかった。MFはシュートを打たず、オープンスペースにボールを展開することもない。ジョルジーニョはクロード・マケレレのように相手を潰す代わりに、短い横パスを出すことに専念していた。サッリは会見で相手チームを挑発することも、主審を脅迫することもなかった。これらすべてが、モウリーニョ主義の理想像からは遠くかけ離れていた。

 マンチェスター・シティやリヴァプールは、プレミアリーグのプレースタイルを根底から変えてしまった。そんな時代にモウリーニョ主義者であり続けるのは、ストレスが溜まる。自由民主党(イギリス二大政党に次ぐ第三党)を支持したり、メトリック・マーターズ(メートル法の使用に反対し、ヤード・ポンド法が正式な単位だと主張する団体)のメンバーになるのと大して変わらない。要するに、信じている価値観がすっかり時代遅れになってしまったのだ。監督たちがほとんど牧師のように穏やかな態度で対戦相手を称える時代に、芝居がかったセリフ、品のないユーモア、ライバルへの侮辱などは、わざわざ軽蔑するほどの価値も与えられない。ロンドン・パンクが若者を熱狂させた1977年になっても、まだエマーソン・レイク・アンド・パーマーのTシャツを着て歩いているようなものだ。

 僕のようなモウリーニョ主義者は、数々の苦難に直面している。最大の問題はモウリーニョ自身が、まだすべてをやり切っていないことだ。スタジアムに銅像が建てられたわけでもなく、ケニー・ダルグリッシュやアレックス・ファーガソンのように“生きる伝説”と化したわけでもない。彼はまだ現役の監督であり、パートタイムの解説者であり、“偉大な監督”として歴史の本に書き込まれるような存在になってはいない。

 ユナイテッドで栄光を勝ち取れていたら、話はまた違ったのかもしれない。しかしオールド・トラッフォードのベンチは、彼のキャリアに最も痛ましい傷を与えた。マイナーなタイトル、無気力なプレー、そしてスコット・マクトミネイに彩られた2年間の物語……きっとNetflixでさえ映像化を諦めるだろう。しかし、ホテルで暮らし、株主の顔色をうかがいながら、選手たちにインスタよりもフットボールに集中しろと怒鳴った日々が終わり、モウリーニョは再び“らしさ”を取り戻したように見える。

 解説者としてフットボールを語る彼は、15年前のように魅力的だ。冷静でリラックスしていて、鋭い知性とユーモアがある。この数年の間、レアル・マドリードでイケル・カシージャスをメンバーから外したり、チェルシーのドクターだったエバ・カルネイロを追放したり、ラファエル・ベニテスの妻に「亭主にダイエットさせろ」と言い放ったり、ジョゼップ・グアルディオラのストレスと抜け毛を心配したりしていた、あのひねくれた悪党はどこに行ってしまったのだろうか?

 モウリーニョは再びブランドのスーツを着るようになり、ヒゲもちゃんと剃るようになった。そして、もっと驚くべき変化もある。彼が不満ではなく、愛情を表現するようになったことだ。

 モウリーニョの変化を明確に示すシーンがある。

 昨シーズンのCL準決勝でリヴァプールがバルセロナに逆転勝利を収めたときだった。モウリーニョは、ジェラール・ピケとセルヒオ・ブスケツの消極的なプレーが悲惨な結果を招いた、と指摘する代わりに、ユルゲン・クロップに称賛の言葉を送った。

「この結果は一言で表せる。ユルゲンだ」

 モウリーニョは礼儀正しく、勝者にリスペクトを示した。以前、彼がこのドイツ人監督をピエロのように扱い、大げさなジェスチャーを真似してあざ笑っていたことを考えれば、信じられない態度だ。このセリフは一種の権力交代宣言であり、いささか遅すぎたバトンタッチの瞬間のように感じられた。かつて欧州最高の監督“だった”者として、彼は後継者に椅子を明け渡したことを受け入れたように見えた。本人はそう認めないかもしれないが、興味深い場面ではあった。

リヴァプールのクロップ監督。魅力的な言葉でメディアを引きつける手法は初期のモウリーニョと比較できる[写真]=Getty Images

 このとき、僕が初めて認識したことがある。クロップとモウリーニョは驚くほどよく似ているのではないか、ということだ。会見では好んで汚い言葉を使い、勝敗の責任はすべて自分で背負い、選手にはとことんゲームに集中させる。クロップがメディアを引きつけたやり方は、モウリーニョが書いた脚本を演じているようなものだった。違いがあるとすれば、いつも口の端を持ち上げて皮肉な笑みを浮かべていたモウリーニョに対し、クロップは口を大きく開け、満面の笑顔で演じたということだろう。

 このポルトガル人指揮官は確かに無愛想で、文句が多く、問題を起こすような性格だ。しかし同時に魅力的で、誠実で、革新的で、多くの人に愛される人間でもある。

 彼の戦術は、確かにもう時代遅れかもしれない。しかしモウリーニョはイングランドに、単なる戦術なんかよりもはるかに多くの変化をもたらした。「終わった監督」として忘れ去ってしまうのは、まだ早すぎる。

※この記事はサッカーキング No.006(2019年9月号)に掲載された記事を再編集したものです。

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