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5年目の“3.11”を迎えた手倉森監督「仙台で鍛えてもらったからこその五輪出場だった」

2016.03.11

東日本大震災の記憶と現在の心境を語った手倉森監督 [写真]=青山知雄

「あの時の経験があったからこそ、リオ行きの切符を勝ち取ることができたと思う」

 東日本大震災が発生した“3.11”を翌日に控え、U─23日本代表の手倉森誠監督が東京都内のJFAハウスで当時の記憶と現在の心境を語った。

 今から5年前、ベガルタ仙台を率いていた手倉森監督は「被災地の希望の光となるために」という言葉を旗印に復興の力となるべく奮闘し、2011シーズンのJ1リーグでチームを過去最高の4位に導いた。あれから5年。当時の記憶と経験を力に、今度は日の丸を背負って世界へ挑もうとしている。

「3月になると、いつも『自分自身が希望になれているのだろうか』と自問自答します。もしリオデジャネイロ行きを決めていなければ、仙台、そして東北の皆さんにどう思われるのかと考えたこともありましたが、実際にオリンピック出場を決めることができたので、今年はメダルを取ることで東北の皆さんに恩返しができる年になるとも考えています。今年の“3.11”はスケジュールの関係で仙台にいられませんが、復興への思いを胸に秘めてやっていければ、そして力を貸してもらってメダルを被災地に届けられればと思っています」

 下馬評の低かったU─23日本代表を素晴らしいチームマネジメントでリオ行きに導いた手倉森監督だが、その裏側では現在でも仙台時代の記憶を蘇らせることで自らを鼓舞しているという。

 当時を思い返して話をしているだけで「ジーンと来るものがある」という同監督は、「今でもたまに当時の映像を見返して自分を奮い立たせる時間を作っています。自分自身があの時に感じた思いは風化させないように、この仕事をやっていければ」と語る。仙台で戦った日々は、今でも自らの“原動力”として大切にし続けている。

「被災地の思いをしっかり汲んで戦った経験が今に生かされているんだなとつくづく思いますね。大きな仕事を乗り越えて結果を導き出せたし、だからこそ代表チームからオファーがあった。今回は『勝てないと言われた“谷間の世代”を背負わされて難しい』と言われましたけど、僕自身としては、あの状況でベガルタ仙台を率いたことのほうが難しかったと思っていた。あのシーズンは東北人にとっての本当に試練でしたし、自分自身の人間力も試されているんだなと。それを乗り越えてこそ人は強く、たくましくなれるし、ちょっとやそっとのことでは折れない人間になれる。十分に鍛えさせてもらったと実感しています。今は国民の皆さん、日本中のサッカーファンの思いを背負ってやっていますけど、仙台で十分に鍛えられたことで、『難しい』と言われたオリンピック出場を勝ち取れたのだと思います」

 被災地へ一つでも明るい話題を届けたいという思い、そして希望の光となることを自らのパワーに変えて――。5年目の“3.11”を迎えた手倉森誠監督が、リオデジャネイロ五輪でのメダル獲得を改めて胸に誓った。

文=青山知雄

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