PK戦での長谷部(左)と川島(右) [写真]=兼子愼一郎
アジアカップ連覇の道が途絶えながら、ミックスゾーンに出てきた長谷部誠の表情から落胆の色は見られなかった。大会から敗退した現実を真摯に受け止めようとするかのように、普段と変わらぬ明瞭な話しぶりで思いを語る。
「ワールドカップが終わってから、このアジアカップでまたみなさんに期待してもらえるようにという思いでやっていました。またここで結果が出なかったので、次にという気持ちに整理がつかないですね」
キャプテンとして臨んだ2度目のアジアカップでは、望んだ成果は得られなかった。「新しい監督が来て、新しいシステムでやって、手応えをつかんでいた中でのこういう結果。難しいですね」とも口にする。準々決勝敗退と失意の大会となったが、キャプテンとして歩んだ4年間の経験は、ピッチ内外で確実にチームの拠り所になっていた。
初戦前日の11日に、「この4年間で経験を積んだ部分は大きいし、自分のチームでの立場も変わっていると思う。それを若い選手に伝える部分では、非常に大切な役割を担っている」と語っていたとおり、10日には旗振り役となって選手ミーティングを実施。アジアの戦いにおける厳しさを共通理解させることで、チームはスムーズに初戦を迎えられた。
ハビエル・アギーレ監督体制になってから任されたアンカーとしても、チームを支えた。危険な局面に駆け付けて火消しに奔走したかと思えば、中盤の底から攻撃の起点となるパスを通し続ける。自身も「自分のプレースタイルとか人間性、性格を考えた時に、また新しい部分が見られるという意味では、色んなところをやるのは楽しい」と、充実感を漂わせていた。
ヨルダン代表とのグループ第3戦では、キャプテンとしての国際Aマッチの出場数が56試合に到達し、歴代単独トップに立った。当の本人こそ、「自分が日本代表のキャプテンという風に言われてここ何年かなりますが、それは自分の中では虚像という、本当の自分ではないかなという感じ」と明かしたが、少なくとも近い周囲は意見を異にする。
就任当初はキャプテンを固定していなかった指揮官だったが、「長谷部は生まれながらのリーダー。彼の声で経験から来るものを伝え、チームを落ち着けることができる」と、今ではすっかり信頼を寄せている。代表で長らくともにプレーしてきた川島永嗣も、「マコはチームメートにとっても偉大なキャプテン」という言葉とともに、変化についても語る。
「2010年にキャプテンになって、一緒にプレーしていても、時間を過ごす中でも、彼自身もキャプテンとしてすごく成長していると感じる。ピッチの上でも外でもチームの状況を一番理解している。何が必要かを見ていることが彼の魅力」
31歳を迎えた18日には、20代の頃との違いについて口にする場面があった。「より色々経験して、色んな人の支えの中でやっているので、そういう意味では少しは周りのことも考えられるようにはなったかな」という表現は、川島の言葉どおりにも思える。
自身も2番目のキッカーを務めたPK戦。キッカーの重圧や勇気は、誰よりも理解できるのだろう。シュートを外した本田圭佑、そして香川真司を迎え入れて、声をかけていた。
イスマイル・アハメドのPKが決まり連覇の道が途絶えても、先頭に立ってスタンドのサポーターに挨拶を行った。俯くことはない。ロッカールームに通じる階段を下りるまで、視線はまっすぐ前方を捉えていた。
4年前はカタールの地でアジアカップを高々と掲げていたが、キャプテンの責務は当然ながら歓喜の瞬間だけではない。長谷部は敗れてもなお、チームを気丈にけん引していた。