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澤穂希が築いてくれたもの…女子サッカーのシンボルが残した次世代への功績

2015.12.18

引退会見を行った澤穂希 [写真]=野口岳彦

 2011年の女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝を決めた直後、現地取材から帰国した私の目に、見慣れない光景が飛び込んで来た。夕暮れ時、近所の公園でボールを蹴って遊ぶ親子のシルエットに目を凝らすと、それは若いお母さんと小学生の女の子だった。母も娘も、蹴る動作はぎこちない。おそらく初めてボールを蹴ったのだろう。蹴り方を教わった経験もなさそうだ。それでも二人は楽しそうに向かい合って、いつまでもボールを蹴り合っていた。

 長年なでしこジャパンの中心選手であり続けた澤穂希は、キャプテンとなって臨んだワールドカップで優勝、得点王、MVPを獲得。翌年には世界最優秀選手(女子バロンドール)に選出され、念願の五輪のメダルも手に入れた。国内に目を移せば、二度の海外移籍というブランクがありながら、なでしこリーグで通算300試合出場、150ゴールという節目の記録をダブルで達成した史上唯一の選手となった。

 日本の女子サッカーの歴史とともに歩んだサッカー人生で、彼女が勝ち取ったものは数えきれないほど多い。そんな彼女の功績を、あえて一つだけ挙げるとすれば、「女子がサッカーをやること」を受け入れる世間の目を育てたことだろう。

 冒頭の母娘はその象徴だ。サッカーをやりたいと思う少女と、それを認めてあげる家族。両者が揃わなければ女子サッカーの競技人口は増えない。そう考えると澤は、長かった現役生活を貫いて、少女にとってのあこがれにも、家族にとっては娘のお手本となる存在にもなれる、女子サッカーのシンボルだった。

 ワールドカップで有名になるずっと前から、そのシンボルであり続けた。川澄奈穂美や宮間あやも、少女の頃から澤の背中を追いかけて来た。澤にあこがれた彼女たちは、やがてワールドクラスの選手に成長し、澤が抱いた「世界一になる」という夢の実現に欠かせない仲間となった。つまり澤は、自身が10代の頃からサッカーの楽しさ、サッカー選手の魅力を表現し続けることで、未来の仲間を呼び寄せていたことになる。

 これからサッカー選手になろうとする少女たちには、残念ながらもう、澤と一緒に世界で戦うチャンスはめぐってこない。だが、澤は引退後も女子サッカーの底辺拡大、普及のために一役買いたいと願っている。引退発表会見で、澤は「(サッカーをやっていれば)良いときばかりが訪れるわけではない。けれど、仲間と同じ目標に向かう苦しさや楽しさを、一緒にプレーして触れ合いながら子どもたちに伝えていけたらと思います」と、未来の抱負を語った。

文=江橋よしのり

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