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【中溝康隆J連載】アテネ世代は「谷間の世代」ではなく「遅咲きの世代」である

2017.08.14

石川直宏(左)、大久保嘉人(中)、松井大輔(右)らアテネ世代は30代半ばを過ぎてキャリアの岐路に立っている [写真]=©Jリーグ

 人は同世代のアスリートが引退発表すると己の年齢を実感する。

 知り合いの浅田真央と同い年の26歳のOLさんからは、その引退会見の直後に「あたしも四捨五入すると30だなあって思い知らされた」となんだかよく分からないLINEが送られてきたし、俺は石川直宏の引退発表に「もうアテネ世代も36歳か…」と虚空に向かって呟きひとり黒ウーロン茶を飲んだ。


 10数年前、大学卒業後に就活もせずに無職だった頃、ガラガラの長居スタジアムのバックスタンドから眺める彼らのキレキレのドリブルが退屈な日常の救いだったのを思い出す。中村俊輔が「今の若い奴らは本当に上手い」と感嘆していた当時売り出し中の松井大輔、石川直宏、大久保嘉人らの若手時代の話である。

 先日、石川は今季限りでの現役引退を発表し、松井はポーランド2部オドラ・オポーレへの完全移籍が決まった。今、手元に2004年アテネ五輪男子サッカーの日本代表チームのメンバーリストがある。懐かしいと言うか、その名前を追うとそこにいない選手のことまで色々と記憶が蘇る。

36歳の石川直宏は、8月2日、今シーズン限りでの引退を発表した [写真]=©Jリーグ

 例えば、オーバーエイジ枠での招集が確実視されていた高原直泰はエコノミークラス症候群でメンバーから外れ、予選でキャプテンまで務めた鈴木啓太も代表落選。その鈴木は先日、埼玉スタジアムで引退試合が行われた。同じく16年に吹田スタジアムのこけら落としマッチで引退セレモニーが行われたのが、懐かしの“浪速のゴン”こと中山悟志である。

 長い間、99年ワールドユース準優勝のゴールデンエイジと比較され「地味」とか「谷間の世代」と揶揄されてきたアテネ世代だが、本大会のオーバーエイジ枠には小野伸二と曽ヶ端準という79年生まれの黄金世代がお兄さん的な立ち位置で招集。個人的に彼ら79年組は「早熟の世代」だと思っている。早くからの海外移籍や代表強化プラン等、すべては日韓W杯に向かって猛スピードで突き進んでいた90年代後半から2000年代前半のサッカーバブル狂騒曲。いわば時代が彼らの背中を押した。

 厚く高い前世代の壁。結局、1勝2敗のグループリーグ敗退で終えたアテネ五輪から2年後に開催された06年ドイツW杯には、アテネ世代からは駒野友一、茂庭照幸の2人しか代表入りを果たせなかった。当時、中田英寿や宮本恒靖が29歳、中村俊輔は27歳、小野や稲本潤一は26歳とそれぞれ先輩たちがサッカー選手としてピークの年齢を迎えており、入り込む余地がなかったのは事実だ。

 それでも、いつか俺たちの時代が来ると大久保はスペイン、松井はフランスでプレー。もう時効だと思うから書くが、この頃FC東京のシーズンDVDジャケットのデザインを担当して今野泰幸を中心に配置してラフを提出したら、チーム側から「海外移籍するかもしれないから」とNGを食らったことがある。

五輪代表はゴールではなく、スタート地点

2010年南アフリカW杯ではアテネ世代の多くが主力選手として日本代表のベスト16入りに貢献した [写真]=Getty Images


 そして4年後の2010年南アフリカ・ワールドカップでは川島永嗣、田中マルクス闘莉王、岩政大樹、今野泰幸、阿部勇樹、駒野友一、長谷部誠、松井大輔、矢野貴章、大久保嘉人ら総勢10名のアテネ世代が代表入り。すでに20代後半を迎えていた彼らだが、その多くが主力選手として日本代表のベスト16入りに貢献した。

 もはや谷間というより、チームのど真ん中。年上の遠藤保仁や中澤佑二を助け、年下の本田圭佑や長友佑都を支えてみせた。時間は掛かったものの、「遅咲きの世代」という言葉がしっくり来る。

 ちなみにプロ野球界では青木宣親、岩隈久志が81年生まれ。内川聖一、中島宏之が82年。中村剛也、金子千尋が83年組にあたる。なんだかこちらも高卒からプロ入りしてすぐ活躍した田中将大や坂本勇人の88年組、大谷翔平や藤浪晋太郎の94年組と比較したら、苦労人の遅咲きの選手が多いのは気のせいだろうか。

 さらに強引に女性タレントで見ると柴咲コウ、乙葉、ついでにビヨンセらが81年。深田恭子、真木よう子、吹石一恵ら大物揃いの82年。宇多田ヒカル、磯山さやかといった大御所感が半端ない83年。いまや2児の母の木村カエラ、そしてサッカー界とも繋がりの深いアモーレ平愛梨ら個性派揃いの84年組である。どさくさに紛れて書くと、松井大輔の奥さんの加藤ローサは85年生まれだ。

 こうしてアテネ世代を振り返ってみると、やはり五輪時点で何らかの答えを出すのは早すぎると実感させられる。例えば、アテネではバックアップメンバーだった前田遼一はのちにA代表でもエース級の活躍を見せたし、予選登録メンバーの川島永嗣は代表の不動の正ゴールキーパーとして君臨した。逆に飛び級で招集された平山相太のようにその後伸び悩むケースも多々ある。

 あくまで五輪代表はゴールではなく、スタート地点。石川や松井の波瀾万丈のサッカー人生を見れば分かるように先は長い。ったく10代後半や20代前半で人生が決まってたまるかよ、と79年組のおじさん(俺)は思うわけだ。

 今月31日にはオーストラリア代表との大一番が控える日本代表。次のW杯まですでに1年を切っている。

 さて、いったい何人の選手が「リオ経由ロシア行き」の切符を手にするのだろうか?

文=中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)

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