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【コラム】7年前の映像で伝統を学んだDF昌子源…“らしさ”取り戻した鹿島が下克上Vへ

2016.11.24

川崎戦にフル出場し、完封勝利に貢献したDF昌子源 [写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 何かに導かれるかのように、鹿島アントラーズのDF昌子源はパソコンを起動させた。クリックしたのは動画投稿サイトのYouTube。画面には浦和レッズと必死に戦う先輩たちの姿が映し出されていた。

 時は2009年12月5日。5万3783人で埋まった埼玉スタジアム2002で行われたJ1最終節。66分にFW興梠慎三(現浦和)があげた値千金の一発を死守した鹿島が、前人未到の3連覇を達成した一戦だ。


 当時の昌子は米子北高校の2年生。川崎フロンターレとの明治安田生命2016Jリーグチャンピオンシップ準決勝の直前になって、なぜ自身が加入する前の試合の映像を見たのか分からないと苦笑いする。

「モチベーションビデオなども含めて、僕は試合前にまったくサッカーの試合を見ない方なんです。自分の好きな音楽を聴いていれば、それでOKだったんですけど」

 7年もの空白を結びつける共通項があるとすれば、憎らしいほど勝負強く、無骨で泥臭く戦う姿勢を前面に押し出す鹿島が復活していたことだ。川崎のホーム・等々力陸上競技場に乗り込んだ23日の大一番。90分間を終えて同点ならば、今季から改定された規定により、年間総合順位で2位の川崎が3位の鹿島を抑えて浦和の待つ決勝へと駒を進める。勝利だけが求められる一戦で、鹿島は攻守ともにほぼ完璧なパフォーマンスを披露。川崎を1-0で撃破する下剋上を演じてみせた。

「今日の試合を見ていた人は『やっぱり鹿島か』と思ったはずだし、実際、そう思われるように僕たちはやってきた。常勝軍団ではなくなった今、それを復活させるにはこういう苦しい展開をものにして、鹿島の伝統でもある1-0のスコアで終わらせるか、もしくは2点目を取る試合運びをすること。今日は2点目がなかなか遠く、最終的には取れなかったけど、試合の流れとしてはよかったかなと」

 試合後の取材エリアで最後まで残り、リーグ最多の68ゴールを誇る川崎の強力攻撃陣をシャットアウトした90分間を振り返った昌子が胸を張った。しかし、準決勝を迎えるまでの過程は決して順風満帆な軌跡をたどったわけではなかった。むしろ不安の方が大きかったといってもいい。

 最終節まで怒涛の6連勝をマークした鹿島は、浦和と川崎を逆転してファーストステージを制覇。同時に昨季は手が届かなかったチャンピオンシップ出場権を獲得した。快進撃の原動力となったのは、リーグ最少の10失点でしのいだ堅守。一転してセカンドステージでは、24失点と脆くも崩壊する。

 失点がかさめば、必然的に勝利からも遠ざかる。開幕戦でガンバ大阪に逆転負けを喫し、第5節の浦和戦から3連敗、そして第14節の大宮アルディージャ戦からは悪夢の4連敗を喫してセカンドステージを11位で終える。年間総合順位で3位に入ったとはいえ、2位の川崎には勝ち点で13もの大差をつけられた。

 ヴィッセル神戸に0-1で苦杯をなめたセカンドステージ最終節。試合後に行われたホーム最終戦セレモニーで、選手会長のDF西大伍はファン・サポーターとこんな約束を交わした。

「鹿島の強さというものを、もう一回見せたい。取り戻せるチャンスがあるので」

 数日後の夜。鹿嶋市内のブラジル料理店に、鹿島の選手たちが集結していた。トニーニョ・セレーゾ前監督が解任された翌日の昨年7月22日。石井正忠新監督のもとで行う初練習を前にも選手だけで決起集会を開催し、3年ぶりのタイトル獲得となるヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)制覇につなげた縁起のいい店だ。

 ブラジル料理に舌鼓を打ちながら、和気あいあいとした雰囲気の中で各自が思いの丈をぶつけ合った数時間は、昨夏のそれとは大きく異なっていたと西は振り返る。実際、昨夏は西が音頭を取って実現させたが、今回は「ごく自然に『集まろう』となった」という。

「あまり勝てていない状況でしたけど、なあなあに試合をやっていくだけじゃなく、みんなが何かをしたいと思っていたはずなので」

 前回は「監督が代わっても、僕たちが変わらなければ意味がない」と悲壮感を漂わせながら危機感を口にした昌子は、今回は目前に迫っていた神戸との天皇杯4回戦での必勝を誓った。

「みんなは目先のことを言うと思ったので。『ヴィッセルにはリーグ戦とナビスコで負け越しているから、借りを返せるのはこの機会しかない』と。僕としては食事会で、完全に良い方向へ行ったととらえている。このタイミングで開催を決断した先輩たちの行動力というのもまた鹿島(の伝統)なのかと思いましたし、そういう点は見習って、しっかりと受け継いでいきたい」

 果たして、敵地ノエビアスタジアム神戸に乗り込んだ天皇杯で、鹿島は神戸を2-1で撃破。9月25日のアルビレックス新潟戦以来となる公式戦白星とともに、自信を取り戻すきっかけをつかむ。

「1点差に詰め寄られて最後は押し込まれたけど、切り替えられたという意味では、天皇杯の勝利は大きかった。あれで負けていたら、さらに沈んでいたと思うので」

 こう振り返った昌子は神戸戦からほどなくして、鹿島に脈打つ伝統を再び目の当たりにする。川崎戦へ向けて再開されたある日の練習前。在任21年目を迎えているクラブの語り部的存在、鈴木満常務取締役強化部長が練習を見守っている姿に気がついた。グラウンドには一気に緊張感が漂ってきた。

「本当にマンさん(鈴木常務)がただいるだけで怖いというか、何も言われなくても『ちょっとピリピリしているね』となりますから。危機感といったものがまず監督に伝わり、スタッフに伝わり、キャプテンの(小笠原)満男さんに伝わり、そして僕たちに伝わってくる。それを誰も途切れさせない点で、やっぱり鹿島なのかなと。この1週間は本当にピリピリしていたし、それが悪い方向ではなく、去年のナビスコの決勝前日みたいに、セットプレーの確認時こそピリピリしているけど、その後のレクリエーションゲームでは笑顔があふれる感じになった。そういう雰囲気を作ってくれたことにも、感謝したいですね」

 鹿島の歴史を見守ってきた鈴木常務によれば、国内三冠を独占した2000シーズンに幕を開けた黄金時代には「相手のボールホルダーを数人で囲んで、ボールを奪うディフェンスが十八番だった」という。例えば川崎戦の27分。当時をダブらせるシーンが訪れる。

 最も警戒すべきFW大久保嘉人に縦パスが入った直後だった。後方からDFファン・ソッコが、左右から小笠原と永木亮太の両ボランチが大久保を挟み込む。結果的には小笠原のファウルとなったが、高い位置から激しく、積極果敢にボールを奪いに行くこの日のゲームプランが体現されていた。

 DFエドゥアルドをパワープレー要員として前線へ上げ、川崎の攻勢がさらに激しくなった88分。前線へのロングボールが最終ラインの裏に弾み、ノーマークのDF登里享平が走り込んでシュートを放った絶体絶命の場面では小笠原が足から飛び込み、最後は体を投げ出した西に当たってコーナーキックへ逃れた。

「相手も素晴らしいチームだし、本気のぶつかり合いの中でそれほど良い部分を出せるわけではない。本当に大事なのは一瞬、最後に体を投げ出すところだったりするので、その意味では僕以外の選手が頑張ってくれたかな」

 試合後には笑いながら謙遜した西だが、鹿島のユニフォームに袖を通して6シーズン目を迎えた今、改めて気づかされることがあるという。

「サッカーに関わる人なら誰でも、『鹿島は勝負強い』という意識があるわけじゃないですか。そういう歴史があるからですけど、僕たちも思い込みというか、それを信じてプレーできているのは大きいですよね」

 50分に値千金の先制弾をダイビングヘッドでゲット。準決勝のMOMに選出されたFW金崎夢生は走行距離11.714キロ、スプリント31回と両チームを通じて群を抜く数字を残した。前半から守備でプレッシャーをかけ続け、カウンター狙いに転じた後半は何度も長い距離を駆けて川崎に脅威を与えた。

 ピッチ上の11人が指揮官から与えられた仕事に黙々と徹し、大舞台の緊張感に舞い上がることなく、ほぼ完璧に実践してみせる。自らも最終ラインを統率し、大久保をはじめとするストライカーたちとの肉弾戦を制する中で、鹿島が身にまとった「憎らしいほどの勝負強さ」の一役を担った昌子は、試合終了からしばらくして、ようやく7年前の映像と出会った理由が分かりかけてきたと笑う。

「スコアも同じ1-0やったし、そういう勝ち方をするイメージができていたのかな。最後は押せ押せで攻めてきた浦和を鹿島がことごとく跳ね返して、確か高原(直泰)さんのシュートを(岩政)大樹さんが一歩寄せて、左足で当てて防いでいた。あの時間帯で、あそこで左足が出るなんて奇跡としか言いようがない。これが鹿島や、これが鹿島の3番やと思ったし、そういう点は今日の試合前に大樹さんから学んだ。だから僕も最後まで頑張れたと思う」

 当時のメンバーで今も残っているのは、川崎戦もプレーしたともに37歳の小笠原とGK曽ヶ端準の両ベテランだけ。黎明期のレジェンド秋田豊からディフェンスリーダーの座ととともに「3番」を引き継いだ岩政は、昌子にバトンと背番号を託して2013シーズン後に鹿島を去り、今はファジアーノ岡山でJ1昇格を目指している。

 偶然にも昌子が見た浦和戦には、鹿島の伝統が凝縮されていた。そして、くしくも浦和と対峙するチャンピオンシップ決勝を制して7シーズンぶりに、他のクラブの追随を許さない8度目のJ1王者の座を手にすることで常勝軍団の歴史を再び紡げ、という先人たちの熱い思いが昌子をパソコンに向かわせたのかもしれない。そう考えれば、セカンドステージで味わわされた苦難も成長への糧になると昌子は力を込める。

「いろいろなことがあったし、すべてが原因じゃないですかね。監督とムウ君(金崎)の衝突みたいなこともあったし、監督がちょっと体調不良になったこともあった。僕たちには影響がないと強がったけど、正直なところ、どこかではあったと思う。それでも、それらを乗り越えて、こうやって決勝へ行ける。過去のことは忘れて、新たな鹿島というものを浦和相手に見せたい。第1戦はホームのアドバンテージを生かして、アウェーゴールを与えずにしっかりと勝つこと。特に何も変えることなく、鹿島らしいサッカーを最後まで貫いて勝ちたい」

 敵地で成就させた痛快な下剋上の余韻に浸るのも一瞬だけ。小笠原は笑顔を浮かべることなく、逆に「得点してからの戦い方がもう少しうまくできないと」と勝って兜の緒を締めることを忘れなかった。隙すら見せない貪欲な姿勢と、神様ジーコに植えつけられた「敗北」の二文字を頑なに拒絶するDNA。短い時間の中で往年の強さを取り戻しつつある鹿島は、歴代最多タイの年間勝ち点74を獲得した浦和を畏怖させるのに十分なオーラを放ちはじめている。

文=藤江直人

スポナビライブ

By 藤江直人

スポーツ報道を主戦場とするノンフィクションライター。

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