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[明秀日立]キャプテンが見せた獅子奮迅の活躍…県内に留めた恩師の存在とは【高校サッカー選手権】

2019.12.26

明秀日立を牽引する大山晟那 [写真]=松尾祐希

 10番でゲームキャプテン。チームを牽引する大山晟那は特別な想いを持って、高校最後の戦いに挑む。

 小学校時代から大山は将来を嘱望されていた。小学校3年生で鹿島アントラーズのスクールに通うと、才能が認められてジュニアチームに加入。鹿島アントラーズジュニアでは10番とキャプテンを任され、全日本少年サッカー大会で目覚ましい活躍を見せる。決勝では値千金の先制ゴールを決め、チームの初優勝に大きく貢献した。U-12のナショナルトレセンにも選出され、中学生になると、他の仲間たちともにジュニアユースに昇格。3年次には再びキャプテンを担い、5月には中学年代の3大タイトルの1つであるJFAプレミアカップ(2017年度で大会は廃止)で準優勝を成し遂げた。

 まさに順風満帆のサッカー人生。だが、そう簡単にはいかない。大山は小学校時代の栄光を引きずった影響で伸び悩んだ。また、周囲との体格差も如実に現れるようになり、次第に存在感を示せなくなる。生井澤呼範や根本健汰(ともに鹿島アントラーズユース)など、小学時代から仲の良かった同じ中盤のライバルに敗れ、ユース昇格は見送られた。初めて味わった挫折。「呼範とか根本に負けて、本当に悔しかった」(大山)。その悔しさを抱えながら、新天地を探すことになった。

 大山は複数の高校から誘われた中で、県外で新たな挑戦をスタートする考えを持っていた。しかし、恩師の一言で前言を翻すことになる。「鹿島でプロになりたいなら、茨城に残らないか」。こう言ったのが、元鹿島のFWで現在は同クラブでユース監督を務める中村幸聖氏だ。

 大山が初めて中村氏と出会ったのは小学校3年生の時で、ひたちなか市内にある鹿島のスクールに入ったことがきっかけ。その後、中村氏の誘いで鹿島本体のスクールに転籍し、ジュニア、ジュニアユースでは監督と選手の間柄でほとんどの時間を一緒に過ごしてきた。

 そんな恩師からの言葉に心が動く。「茨城県内でプレーすれば、鹿島に見てもらえる機会が増える」と茨城残留のメリットも説明され、声が掛かっていた明秀日立への進学を決意した。

「全国大会に出たいし、鹿島ユースとの試合でも活躍したい。昇格させれば良かったと思われる選手になる。なので、明秀日立では1年からレギュラーを取りたい」

 入学後、大山は強い決意で日々のトレーニングに励むと、1年次から出場機会を掴んだ。ただ、その後は結果を残せず、ベンチに甘んじることもしばしば。昨年の高校選手権では長い時間プレーできずに終わった。

「サッカーノートに悔しい思いを包み隠さずに思いを書きました。もっと技術を身に付けて、周りに何も言わせないようしたい」

 迎えた最終学年。中村氏との約束を果たすべく、今季は10番とキャプテンを託され、文字通り大黒柱として1年間を戦ってきた。前半戦はチームNo.1の技術力を買われ、本職のボランチではないFWで出場。インターハイ出場を逃した夏以降は低迷するチームを変えるべく、中盤の底でゲームを作りながら、攻守で獅子奮迅の働きを見せる。結局、鹿島入りの目標は叶えられなかったものの、高校選手権の出場権を獲得。鹿島学園との予選決勝では中村氏が見守る前で、最高の瞬間を迎えられた。

 泣いても笑っても残すは最後の選手権だけ。入学前に描いた道を辿れなかったが、まだやり残したことがある。日本一を掴み取り、中村氏に恩を返すことだ。「幸聖コーチはサッカー人生で一番お世話になった人。良い意味で本当に見返したい」。目指すは埼玉スタジアムの舞台。恩師のためにも最後の冬は負けられない。

取材・文=松尾祐希

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