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日本フットサル界の“父”ミゲル、無念の退任…7年間の功績と継承すべき意志とは

2016.03.16

退任が決まったミゲル・ロドリゴ監督 [写真]=河合拓

 日本フットサル界が抱くことになる喪失感は、かつてなく大きなものになるだろう。

 東日本大震災発生から、ちょうど5年が経過した2016年3月11日、公益財団法人日本サッカー協会はフットサル日本代表ミゲル・ロドリゴ監督の退任会見を開いた。

 7年間にわたってフットサル日本代表を率いたスペイン人監督は、2012年、2014年のAFCフットサル選手権(アジア選手権)で初めて日本代表を大会連覇に導いた。そして2012年にタイで開催されたFIFAフットサルワールドカップでは、横浜FCのFW三浦知良を招集して大きな注目を集めた上で、ブラジル代表、ポルトガル代表といった強豪と同居した“死のグループ”を突破。史上初のベスト16入りという目標を達成した。

 また、サッカーのS級ライセンス講習会でフットサルの講義、実技を行うなど、講習会、講演会で多くの日本人指導者に自らの経験を伝え、交流を持った。そしてフットサルの指導者ライセンス整備、さらにはジュニアカテゴリーのルール改定にも携わってきた。

 育成年代のサッカー選手育成にも影響を与え、サッカー指導者におけるフットサルの立場向上にも大きな役割を果たしたミゲル。今年2月に開催されたアジア選手権までは、すべてが順風満帆に進んでいた。

 3連覇が期待された同大会を前に行われた壮行試合のコロンビア代表との2連戦でもフットサル日本代表は連勝を飾り、意気揚々と大会の開催地であるウズベキスタンへ飛んだ。過去13回開催されたアジア選手権で、日本代表は一度もベスト4進出を逃したことはなく、日本がアジアに与えられた5つのW杯出場枠のうち、一つを手にすることは大勢の予想だった。

 カタール、クウェート、オーストラリアと対戦したグループステージを3連勝で終えた日本は、準々決勝でベトナム代表と対戦。昨年12月時点での世界ランクは日本が10位、対するベトナムは50位と格下相手の一戦だった。昨年に二度行われた練習試合では日本が2-1、7-2で連勝。この試合でも日本の勝利は確実視されており、実際に試合も常に日本代表が先手を取る展開となった。しかし、3-2で迎えた試合終盤に同点ゴールを決められ、延長戦に入ってしまう。その延長戦でも日本はエースのFP森岡薫(名古屋オーシャンズ)のこの試合2点目となるゴールで3度目のリードを奪ったが、このリードも守り切れず。PK戦の末に1-3で敗れてしまった。

 この結果、日本は5位を争うプレーオフに進むことになった。3連覇の夢が途絶えた日本は、ベトナム戦翌日のプレーオフ1回戦でキルギスタン代表と対戦し、この試合も2-6で敗戦。W杯の連続出場記録を「3」で止めてしまった。

 本来、この原稿が出るタイミングでも、フットサル日本代表はコロンビアで開催されるW杯に向けて準備を続けているはずだった。当初の予定では3月17日から4月1日まではスペイン遠征が予定されていたが、予選敗退を受けて強化プランは白紙となった。さらにミゲル自身の契約も「W杯に出場できなかった場合は2月末日まで」という条項があったため、大会終了と同時に契約満了となった。

 ミゲルに監督を続投してもらうべきなのか。それとも契約どおりに退任させるべきなのか。誰もが予想すらしていなかった予選結果を受けて、意見は割れた。ミゲルに直接指導を受けていた日本代表選手や講習会などを受講していた指導者の多くは、続投を支持していた。ミゲルから得られるものがまだまだあり、この先さらに日本のフットサル界を高みに導いてくれるという期待感を持っていた。

 だが、これまでマリーニョ氏や木村和司氏(ともに現サッカー解説者)が率いていた時代を含め、アジア選手権で4強入りを逃したことがなかったチームに、初の汚点を付けた監督に続投を要請することは、今後の監督人事を考えてもあり得なかった。とはいえ、歴代の監督以上に様々な役割を果たしていただけに、別の役職に就いてもらうこともできただろう。だが、ミゲルの下に日本サッカー協会やFリーグクラブから仕事のオファーは届かなかったという。

 ミゲルが不在となることで最も大きな打撃を受けるのは、コーチングライセンス制度作りの部分だろう。退任会見の席でミゲルは「(ライセンス制度の)すべてを作り切ったわけではありません。まだ足りないところがあります。すでに稼働し始めていることもありますし、私からも意見や助言をさせていただいています」と説明した。

 そして、ここで職を離れなければならなくなったことの無念さを滲ませながらも、「私がいなくなった後、日本サッカー協会が引き継いでくれることに疑いはありません。(コーチングライセンス制度作りを継続していく)器量を持ったスタッフがいますし、私ミゲル・ロドリゴがいなくても、プロジェクトは前に進んでいけます」と、前向きなコメントを残した。

 今回のアジア選手権は失敗に終わったものの、ミゲルの7年間は間違いなく日本代表を強化した。2012年W杯までの期間でスペインから持ち込んだ戦術を植え付けると同時に、常に頭を動かしながらプレーをさせて状況判断する力を身に付けさせた。その大会後には、世代交代をテーマに掲げ、当時主力であったFP木暮賢一郎、FP小宮山友祐、FP村上哲哉、FP北原亘をバッサリと代表から外した。そして経験が浅いながらも高い技術を持っていた選手たちに経験を積ませ、世界とも渡り合える技術があることを伝えて自信を持たせて、どんな強豪相手にも自分たちの攻撃的なフットサルで戦えるチームを作った。その集大成となるはずだったコロンビアW杯では、ベスト8進出を目標に掲げていたが、それまでの過程からすれば、決して望外な目標ではなかったはずだ。

 監督続投を支持する声が多かったことからも明らかなように、ミゲルの指導力を高く評価している人は多い。ミゲル自身も日本で仕事を続ける強い意欲を持っているが、現実的な問題として日本代表監督として支払っていた金額、あるいはそれに近い金額を支払えるフットサル団体は、残念ながら皆無に近いだろう。

 今回は“勝負師”として結果を残せなかったミゲルだが、日本代表のボトムアップでは大きな成果を出した。そんなスペイン人監督の下には、すでに新しくフットサルリーグを作るアメリカ、日本のライバルとなるアジアの国、さらに母国のスペインからもオファーが届いているという。だが、「まだ心の整理ができていない。少し今回の大きな傷を癒す期間、落ち着く時間を持とうと思う」と、夏まではゆっくり過ごしたい考えを持っているという。

 そして、最後の希望を口にした。

「私の個人的な希望ですが、最低でも2020年までは、私のやり方を継承してくれるスペイン人監督でやってもらいたいと思っています。そこから日本のやり方でやってもらえたらと思います。私のやってきたプロジェクトを、あと4、5年は継続してもらえたら……。子供に例えるなら、ようやく12歳、13歳というところまで来ました。そこで父親がいなくなってしまうという気持ちです。あと、もう少しで18歳になって、一人立ちできるのに……と無念でなりません」

 そう言い終え、ミゲルは深い深いため息を吐いた。大らか過ぎる一面もあったが、接した誰からも愛された指揮官。日本フットサル界への偉大なる貢献は疑いようのないものだ。果たして彼が残したもの、そしてその意志をどう受け継いでいくのか。ミゲルの後任は、時間が掛かっても慎重に選ばなければならない。

文・写真=河合拓

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