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日本サッカー協会第9代会長の岡野俊一郎氏が85歳で死去…日韓W杯成功の功労者

2017.02.03

日本サッカー協会の第9代会長を務めた岡野俊一郎氏 ©JFA

 日本サッカー協会(JFA)は3日、日本サッカー協会第9代会長の岡野俊一郎氏が2日に肺がんのため亡くなったことを発表した。85歳だった。

 東京都出身の岡野氏は、東京大学在学中の1953年に西ドイツ(現ドイツ)ドルトムント国際大学スポーツ週間に(現ユニバーシアード競技大会)代表選手として出場。1955年に日本代表へ選出されると、1961年には日本ユース代表監督に就任した。1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコ五輪ではコーチとして参加し、メキシコ五輪では銅メダルを獲得。1970から1971年には日本代表監督も務めた。

 1965年、日本サッカーリーグの創設に関わり、1993年にはJリーグの理事を務めた。また、日本サッカー協会では、理事、副会長として2002年の日韓ワールドカップ招致に尽力。1998年に日本サッカー協会会長に就任し、大会を成功に導いた。

 FIFA(国際サッカー連盟)では、W杯組織委員会委員、五輪トーナメント組織委員会委員を歴任。また東アジアサッカー連盟(EAFF)初代会長もつとめた。また、活動はサッカーのみならず、1975年からは日本オリンピック委員会(JOC)、日本体育協会の役員を歴任。特にJOCでは総務主事としてその独立に力を注ぎ、1989年の独立認可と同時に初代専務理事に就任した。1979年に国内オリンピック委員会連合(ANOC)理事、1990年に国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めていた。

 日本サッカー協会の田嶋幸三会長、川淵三郎最高顧問、小倉純二最高顧問、大仁邦彌名誉会長が、協会を通じてコメントを発表し、故人を悼んだ。

■田嶋幸三JFA会長
「昨年11月末に岡野さんからご連絡をいただき、入院されている病院に行きました。これまでのサッカーの話やこれからのこと、本当に色々なお話を伺いましたが、ご自分の死期を意識されているような話しぶりで、一抹の寂しさを感じました。若い頃、サッカーの勉強をしていると、必ず、岡野さんが訳された文献にあたり、岡野さんのお名前を見る度、日本サッカーの国際的な窓口であり、広く世界に扉を開いている方だと思っていました。今頃、(デットマール)クラマーさん、長沼(健)さん、平木(隆三)さんと天国で会っているのかもしれません。心からのご冥福をお祈りします」

■川淵三郎JFA最高顧問
「東京オリンピック、メキシコオリンピックともにクラマーさんの教えは全て岡野さんを通じて、我々選手に伝えられました。そういう意味で、“日本サッカーの伝道師”と言えるでしょう。サッカー以外にもIOCやJOCの要職を務められ、また、教育にも携わるなど幅広く活動されました。日本サッカーの誇りというべき方でした。謹んでご冥福をお祈りします」

■小倉純二JFA最高顧問
「デッドマール・クラマーさんを招へいしたときから、岡野さんは長沼健さん、平木隆三さんとタッグを組み、日本サッカーの躍進に力を尽くされました。JSLの創設にも携わられたわけですが、JSLがなかったらJリーグもできなかったわけで、岡野さんは、まさに日本サッカーの黎明期を支え、日本サッカーの基礎を築いた偉大な方です。心からの感謝を申し上げます」

■大仁邦彌JFA名誉会長
「メキシコ大会後にスタートした『ダイヤモンドサッカー』は岡野さんの代名詞であり、サッカーの普及に大きく貢献しました。岡野さんの後を引き継ぐ際、岡野さんの解説があまりに評判がよかったため、大きな重圧を感じましたが、岡野さんの後を継ぐことができたことは光栄でした。日本サッカーにとってかけがえのない方でした。ご冥福をお祈りします」

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