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熊本国府高校サッカー部の長い夏が終わった

2016.07.29

 今年4月、熊本地震があったときの現地からの映像で、校庭にパイプ椅子を並べ作られた「SOS」を覚えていますか? あの学校が熊本国府高校。椅子を並べ始めたのがサッカー部3年野田くんです。

「避難所指定されていなかったので、避難者は増えるのに物資がない状況が続き、なんとかしようと行動に移しました。あの「SOS」は10人くらいの仲間で作りました。」

 ここまでは新聞やテレビのニュースになったので、皆さんの記憶にあると思います。この報道をキッカケに高校には沢山の物資が集まり始めました。そのことで「自分のことしか考えないのか?」と批判まで起こったことを、サッカー部の佐藤秀樹総監督は、話してくれました。

「僕は言ったんですよ。子ども達は自分たちのためにSOSを書いたんじゃない!避難所でお困りの高齢者など避難者のために動いたんです。サッカーと同じ、自分たちで考えて行動したんです」

 物資が集まりすぎた避難所を見て、サッカー部員達は焦りました。

「どうする?」

 サッカー部3年渡辺智貴くんは「新聞やテレビで物資が足りない避難所がまだあるというのを見て、俺達で配ろうとLINEで相談しました。物資のリストを作り、一か所ずつ電話して、必要な物を聞き、自転車の前と後ろにくくりつけて走りました。遠いところは片道10kmありました。荷物積み過ぎでこけました(笑)」

「往復20キロ、無茶でしょう」

「僕らの学校からサッカー部のグラウンドは16キロ離れていて、毎日往復するのが国府ですから別に問題はなかったです。学校(授業)も部活もないし。届けた時の皆さんの笑顔が嬉しかったです。数日かけて15か所くらいは行ったと思います」

 学校が再開したのは地震からほぼ1か月の5月10日。ユース世代の取材に定評がある川端さんの記事より
https://www.soccer-king.jp/news/youthstudent/20160724/471769.html?cx_cat=page2

「ここまで長期間、サッカーをできないことはなかった。みんなとサッカーができたときに本当の喜びを感じることができた。自分たちがサッカーをできていることを本当に感謝したい」(MF杉田達哉)

 地震後の6月7日。

 高校総体男子サッカー・熊本県予選、全試合無失点で、広島で開催されるインターハイへの切符を手にしたのは、熊本国府高校でした。そして佐藤総監督が18年前に全国に行ったメンバーの一人、現OB会長の園田鉄也さんにこう語りました。「園田~。こういう時だからこそ、全部員を広島に連れて行きたい。なんとかならんか?」(冬の高校選手権と違い、夏のインターハイは予算の関係から全部員を帯同させることはなかった)
お金の話でした。

 サッカー日本代表のサポーターでもある「ちょんまげ隊」のもう一つの顔は被災地支援。東北、広島、常総、今回の熊本支援に現地入りしていた。彼らの活動を現地在住としてコーディネートしていたのが、熊本国府OB会長園田さんでした。

 園田さんはちょんまげ隊に佐藤総監督の思いを伝え、そこで考えられたのが熊本国府高校サッカー部応援Tシャツの販売。目標700枚売って、100万円を寄付しよう。新入生のバス代に使ってもらうプロジェクトがスタートしました。

 せっかくならいいものを作り、ずっと熊本国府や地震の事を忘れないでほしいとの思いから、著名なサッカー漫画家4先生にイラスト提供をお願いしました。

 北海道から沖縄まで、全国のサッカーファンが購入し、熊本への応援メッセージも沢山届きました。

 まだ目標の700枚に到達していませんが、インターハイ開幕前には見切り発車で熊本国府高校に100万円を振り込み、予算の心配なく勝ち進んほしい。と全国の想いを届けました。(なのでまだTシャツの販売は継続しています)

 インターハイ初戦の前日も当日も選手はリラックスしている様子で「緊張してません」と話してくれました。そしてサッカー部全員が広島にやって来ました。応援Tシャツを着た大応援団が始動開始!

 ところが、いざ試合になると前半は鹿島学園の俊敏な動きについていくのがやっと、熊本国府本来の動きやチャレンジができませんでした。ハーフタイムにはコーチ陣からの怒号が飛び交ったといいます。すると後半は別チームのように動き、攻め、再三のチャンスを作りましたが、一歩及ばず、スコアレスドロー。PK戦に結果は委ねられました。
両チーム5名の選手が決め、6人目の尾上りつき選手のボールは枠外へ、泣き崩れる姿に駆け寄る選手達。誰も彼を責めてない。かばうシーンは南アフフリカワールドカップの駒野選手のPKを思い出させました。

 試合後のロッカールームで泣き止まない選手たちに佐藤総監督は怒鳴りまくったそうです。これだけ沢山の人に支えられてここまで来たのに、本来のサッカー、チャレンジが出来なかった。と強く叫んだそうです。気づくと全員泣き止んだのは、総監督らしい心配りだったと思います。おかげで少し落ち着いた選手たちはお世話になった方々に感謝を伝えていました。

 実際、佐藤総監督は試合後にこう言っていました「鹿島学園はすばらしいチームでした。でも勝たなきゃいかん。これだけ色々な人に支えられ、注目されて、色々なものを背負って試合をすることは一生に何度もあることじゃないんですよ。子ども達はいい経験をしました。冬(選手権)にまた戻ってきます。今度こそ、皆さんに恩返しをします」

 熊本国府の長い夏は終わり。冬が始まった…

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